プロ卓球選手である森薗美月は、Tリーグで2ndシーズンまで2年間在籍した木下アビエル神奈川から、琉球アスティーダへの移籍を発表した。
昨季2ndシーズンの個人成績、シングルス4マッチ出場で2勝2敗。ダブルス6マッチ出場で1勝5敗。
強い決意で実業団を辞め、チームの全21試合に帯同して戦った本人としては、納得のいく戦績ではなかったのかもしれない。
プロ三年目を迎える24歳の、環境を変える動機は理解できる。
だが、移籍先の琉球アスティーダに女子チームはない。
>>森薗美月、卓球選手らしさと自分らしさの間に揺れて(前編)
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「普通だったらこうなのに」を変えに来た
男子チームしかない琉球アスティーダへの移籍。そして沖縄への移住。同時に結婚発表。
「琉球への移籍もそうだし、結婚したら卓球辞めるんですかと聞かれるんです。普通を前提として考える、それを変えにきたということもあります」。
画面の向こうで、柔和な笑顔でそう語る森薗美月。
そもそも、どういう経緯で琉球アスティーダへの移籍が決まったのだろうか。
写真:森薗美月(琉球アスティーダ)/提供:琉球アスティーダ
「2ndシーズン最終戦が終わってから、自分から早川さん(琉球アスティーダ代表)に『お願いできませんか?』と相談しに行きました。それで快く受け入れてくれて」。
具体的には、来季、選手としてはどういう過ごし方をするということだろうか。
「まだ決まってないんですけど、自分の希望としては、既存の女子チームのどこかに琉球アスティーダから派遣という形をとらせてもらえないかなと相談はしてます」。
サードシーズンの11月開幕が発表された現在、琉球アスティーダの早川代表にも最新の情報を確認した。
「将来は女子チーム結成も視野に入れて活動してまいります。まずは森薗選手と、県内だけでなく全国で卓球の楽しさを広げていきます」。
前例のないことには、もう驚かないようになってきた。
「弱いなあ」全日本での敗戦に涙
写真:森薗美月/提供:琉球アスティーダ
その動機は、卓球選手として強くなるために環境を変えたかった、という思いからなのだろうか。
「もともと木下アビエル神奈川は、選手が強くてなかなか自分の出番がなくて。でも、全試合に帯同して戦う中で、Tリーグの日程が重なって全日本社会人(全日本社会人卓球選手権、9月開催)に出られず、そして全日本選手権(天皇杯・皇后杯 全日本卓球選手権大会、1月開催)でも負けた。ちょっと卓球選手としては落ち込んでるというか、どうにか自分が変わらなきゃなと思っていた時期ではありました」。
全日本卓球選手権5回戦、四天王寺高校時代の後輩の芝田沙季(ミキハウス)に敗れた森薗美月は、試合後「弱いなあ」と涙をこぼした。
写真:森薗美月/撮影:ラリーズ編集部
「ショックでしたね、本当に。芝田選手が強いのはわかってるけど勝たないとベスト16入れない、相手が誰でも勝つしかないやん、と。相手が決まった時からずっと芝田選手対策をやってきて、本気で勝ちに行ったんですけど、負けた。ああ、プロツアー出られないっていうショックでした」。
懸けてきた全日本は、終わった。
「環境については全日本選手権が終わってから考えようとずっと思っていた。だから、全日本終わってから考え始めたっていう感じです」。
木下アビエルにいたからこそ
写真:森薗美月/提供:琉球アスティーダ
ただ、この2年間、木下アビエル神奈川で得た経験はとても大きかったと振り返る。
「石川さん(石川佳純)とずっと同じチームで、真後ろで見てやれることはなかなかないことなので。すごくいい勉強になりました」。
具体的にはどういう部分なのだろう。
「技術的にもたくさんあるんですけど、負けず嫌いなところですかね」。
それは自身も「負けず嫌い」な性格だからだろうか。
「いや、私以上に。あんなハードなスケジュールで戦いながら、あれだけ全ての試合に負けず嫌いでいられるっていうのは、本当にすごいです」。
そして、思い出したように、こう付け加えた。「あと、木下に行ってなかったら川崎にも行ってないですから」。
結婚相手も川崎で
川崎での卓球以外での出会いに、森薗美月は深く感謝している。
川崎でのコミュニティで、結婚相手とも出会った。
「川崎の家から30分くらいのラム酒専門バーで仲良くなって、一昨年の12月くらいに付き合いはじめて、付き合って1年3ヶ月くらいで私がプロポーズしました。今、隣の部屋にいますよ」。
写真:夫と森薗美月の2ショット/提供:森薗美月
二人はどんな夫婦なのだろう。
「なんでも話し合います。結構ズバズバ言われます。美月、それ違うんじゃないって笑」。
でも、一人じゃできない
一人でどんどん道を切り拓いていくイメージもあるが、周囲のサポートに恵まれているからこそと語る。
「自分のやりたいと思っていることを応援してくれる人たちがいるからできている。一人じゃできないです。ひたすら琉球の人たちには感謝してます。だって普通できないですよ、女子チームがないのに受け入れてもらって、卓球の練習環境も作ってもらうって」。
写真:森薗美月/提供:琉球アスティーダ
「普通」を超えていこうとする森薗美月の姿に、サポートもまた「普通」ではない熱量で応える。
「今、一般の人たちと接触しないように早朝に練習してるんですけど、そんな早朝からも練習相手で来てくれる人とか、もう感謝しかないです」。
沖縄の卓球に貢献したい
だからこそ、沖縄の地に、自分が貢献できることを具体的にイメージする。
写真:森薗美月/提供:琉球アスティーダ
「自分がプロ選手として一番最初に沖縄に住んで、沖縄を活動拠点にすることで、この先沖縄でもプロ卓球選手が活動していけるようにしたい。中学生・高校生が沖縄に残って卓球続けられる環境作りもその一つ。相乗効果でどんどん良くなっていく、一番最初のきっかけを自分が作れたらいいなって思ってます」。
Tリーグがこの国に根づいていくことで、選手寿命は伸びていく。そうしなければならない。
そのとき、多様な選手が多様なあり方を体現していること。次の時代のために、今、森薗美月のような個性的な選手が、時に傷つきながらでも変わることを恐れずに挑戦していく。
「3年先、私、また違うこと言ってるかも」。
照れて笑う森薗美月に射し込む、琉球の光がまぶしい。
<>>卓球とプログラミングと英語と森薗美月(後編) に続く>
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