「プレイヤーズファーストです。ECサイトで安く売っているのにきれいごとを言って、と言われるかもしれない。でも、それが私の正直な気持ちです。だって、私たちの仕事は、プレイヤーのために存在してるんですから」。
福岡の大手卓球小売店「こぞのえスポーツ」社長、小園江慶一郎(47歳)さんの言葉です。
こぞのえスポーツは、先代社長で慶一郎さんの父である小園江慶二(74歳)さんが、1979年に地元福岡で立ち上げた卓球場とショップです。九州を代表する大手卓球専門店として、また多くの名選手を輩出してきた名門卓球場としても知られています。
また、15年ほど前から、こぞのえスポーツは卓球用具のネット通販に取り組み、現在ECサイトを5つ運営、その売上は国内トップクラスを誇ります。さらに、2019年5月にリニューアルした社屋の中にある卓球場は“民間運営の中では最高峰”と称されるほどの充実の設備を誇り、地元のジュニア選手や、愛好家たちで賑わっています。
写真:こぞのえスポーツの卓球場/撮影:ラリーズ編集部
二代目社長・慶一郎さん自身も現役時代に国体・インカレ3位の戦績を持ち、日本リーグでもプレーした卓球の実力者でしたが、約5年前にこぞのえスポーツに入社するまでは、東京一部上場企業・富士通株式会社に勤務していました。
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慶一郎さん「継ぐとは思ってなかった」
――ゆくゆくはご自身がお店を継ぐと思ってました?
「いや、全く思ってませんでした(笑)。もちろん卓球は好きでずっと繋がりを持っていたのですが、会社員生活17年、家も神奈川に買ってましたので(笑)」。
写真:小園江慶一郎氏/撮影:ラリーズ編集部
卓球場の家に生まれ、卓球と共に育ち、自身も選手生活を送った後、社会人としてはIT企業で17年間勤務してきた慶一郎さん。そのバランス感覚と柔らかな話し口に惹き込まれつつ、コロナ以降の社会でこぞのえスポーツをどう舵取りしているのか、聞いてきました。
写真:こぞのえスポーツ/撮影:ラリーズ編集部
こぞのえスポーツへの道に迷わない理由
「大きな卓球のラケットが目印です」
慶一郎さんからの、わりとざっくりした説明を頼りに、東京から福岡のお店に向かったのでした。
写真:最寄りの井尻駅/撮影:ラリーズ編集部
路線バスに乗って…
路線バスって、降りるバス停を間違えないかドキドキしますよね
はい、まったく迷いませんでした。
「あれだ!」
建物の反対側にはNittakuマークの巨大ラケット!
「でなければ、何のためにやっているかわからなくなる」
爽やかに社員のみなさんに歓迎して頂いた後、2019年5月にリニューアルしたという社屋を案内してもらいながら、お話を伺うことに。
IT企業の企画・システム部門での勤務が長かった慶一郎さんは、2016年に入社してから3年ほどの間に、卓球用品ネットショップを楽天、ヤフーに続けて出店、元々こぞのえスポーツが進めていたIT化を軌道に乗せます。
写真:こぞのえスポーツ社屋内の倉庫の一部/撮影:ラリーズ編集部
広い倉庫では、全国からやってくる注文を早く捌けるよう、数人のスタッフが手際よく配送作業を行っていました。
ふと見ると、ラケット1本ずつの重さが外箱に記載されています。
「木材合板などは、個体によって重さが結構違うんです。ネットショップでお客様が検討する上ではあったほうが良い指標なんです」。
プレーヤーズファーストの考え方は、こんなところにも表れているのかもしれません。
確かに、結構重量違う…
こぞのえスポーツオリジナルボール、売行きも好調だという
現在、こぞのえスポーツはパート社員含めて27人。卓球関連企業としては、決して小さくない規模です。
EC売上が会社全体の屋台骨を支える規模に成長し、約10ヶ月前にはECサイト運営として新たに3人を採用するなど、よりネットショップに力を入れていく方針かと思って尋ねました。
――今後さらにリアル店舗からネットショップにシフトを?
「いや、実際の店舗、卓球場の割合を増やして、もっとリアルの比率を上げたいなと思っています。ボリュームが違うので、難しい面はあるんですが」
写真:小園江慶一郎氏/撮影:ラリーズ編集部
――え、意外でした。ECサイトを5つも運営し、もっとECに特化していく方針なのかと。
「卓球場の売上が一番小さいのは事実です。でも、卓球場があってこそなんです。私たちの商売はどこから始まるか。卓球のプレーヤーからなんです。その現場を持っていないと、何のためにやっているかわからなくなります」。
今もなお、慶一郎さん自身が平日は夕方5時から9時まで、土日は1日中ジュニア指導にあたる、第一線の指導者でもあります。2019年5月に改築した“民間最高峰”と称される自社の卓球場で。
写真:こぞのえスポーツの卓球場/撮影:ラリーズ編集部
卓球場で卓球する価値を高めたい
そこには、民間卓球場の地位が低いことへの、慶一郎さんの忸怩たる思いがあります。
「ボウリングはボウリング場でするじゃないですか。私たちは、卓球場で卓球をする価値を高めていかなければいけないんです。特に地域の中での選手育成や卓球普及については、民間の卓球場が果たす役割はもっと大きいはずなのに、今は単なる台の提供くらいに甘んじてしまうことが多い現実があります。自戒を込めてですが、もっと色々なイベントや発信をしていくべきです」。
写真:小園江慶一郎氏/撮影:ラリーズ編集部
――その思いが、この充実の卓球場改築にも繋がったんですか。
「はい。床、天井、照明、換気、壁、その他細部に至るまで徹底してこだわりました。設計を担当していただいたダイワハウス(株)の担当者の方が卓球経験者だったこともとても心強く、綿密に連携しながら進めました」。
階段の照明にもこだわりが
――ちょっとした大会なら何の支障もなく開催できそうですよね。
「実際よく行ってますし、とても使いやすいという声を頂いています。尊敬する故・スティーブ・ジョブズ氏風に言えば、“良い卓球場を作りたいのではなく、卓球場に感動してもらいたい”という思いです」。
――ジョブズ。大きく出ましたね。
「はい、前向きな姿勢がこぞのえスポーツの社風ですから(笑)。感染症対策をしっかりした上で、大会や講習会も復活していきたいと思っています」。
写真:野田学園高校監督の橋津文彦さんが講師を務めることも/提供:こぞのえスポーツ
写真:ショップの天井には逆向きの卓球台が/撮影:ラリーズ編集部
こぞのえスポーツに転職した3人
慶一郎さんに、逆質問もされました。
「3人の様子はいかがでしたか?」
慶一郎さんへの取材の前に、約10ヶ月前からこぞのえスポーツに中途入社して働いている3人に話を聞いていました。
写真:溝口良宏さん(左)、加藤瞭さん(中央)、清水啓太さん(右)/撮影:ラリーズ編集部
――ECのサイト運営って、もっとデジタルなものかと思っていましたが、電話やメールでの対応でも、案外リアルと変わらないんだな、とか。
「それは僕にとっても嬉しい声ですね。やっぱりデジタルであっても、その先にいるのは人間なので」
――こぞのえスポーツというブランドが、看板の大きさだけでなく(笑)、とても大きいので、プライベートで変な卓球できないとか。
「(苦笑)」
3人とも、みんな福岡に引っ越しての転職だったので、大きな変化があったようです。このあたりの話はとても面白かったので、後編で。
活躍する“74年組”同期たち
愛工大名電高校監督の今枝一郎さん、愛工大監督の鬼頭明さん、野田学園高校監督の橋津文彦さん、タマス代表取締役社長の大澤卓子さん。
実はみなさん、慶一郎さんと同じ“1974年”世代で、この世代は今、卓球界のそれぞれの分野の第一線で活躍しています。
「そこに気づいてもらって嬉しいです」と、慶一郎さんは顔をほころばせます。
「この世代はちょうど、ホカバ三種目がそろった昭和61年に小学6年生でした。私もAGNT(HNTの前身)メンバーでしたが、 小学生強化の創成期世代と言っても良いと思います。なので、この世代の皆さんは、立場は違っても、若い人への強化や普及が大切だということを肌感覚で知っているように思います。本当に活躍している方々が多くて、嬉しいです」
写真:現役時代は当時珍しいシェークフォア表速攻型だった小園江慶一郎氏/撮影:ラリーズ編集部
どう変わるか、だけ
「元に戻るかどうかって考えると間違えるんですよね。どう変わるか、だけです」
取材の合間に、コロナ後の話題の中で、ふと慶一郎さんがつぶやいた言葉が印象に残っています。
この先の卓球業界について、卓球用具の小売、そして卸業も兼ねる立場からの言葉は、とても勉強になるものばかりでした。
「感じたままに書いて頂いて構いませんから。そうだ、お昼まだですよね、ラーメン食べに行きましょうか」
ITに精通するビジネスマンであり、でもやっぱり卓球場に生まれ育った卓球人であり、そして柔らかな人柄に、次はもっと突っ込んだお話も聞きに来ようと思ったのでした。
写真:小園江慶一郎氏/撮影:ラリーズ編集部
ラーメン実に美味しゅうございました