【日本卓球史#1】起源は日本? ラバーの元祖は、薬局にあり? 知られざる「卓球はじまり物語」 | 卓球メディア|Rallys(ラリーズ)

卓球×エンタメ 【日本卓球史#1】起源は日本? ラバーの元祖は、薬局にあり? 知られざる「卓球はじまり物語」

2018.08.28

みなさん、卓球、楽しんでますか?

ラケットにボール、ネットに卓球台。私たちが今、当たり前に接している卓球の道具も、最初から現代のような形で存在していたわけではありません。

この記事では、卓球愛好家の間でもあまり知られていない「黎明期」のお話をさせていただきます。あなたもきっと、仲間に話したくなるかも??
(長嶺超輝/卓球ライター)

卓球の起源はイギリス?

これは卓球ファンの間ではよく知られた話ですが、卓球が始まったのは、1880年代のイングランドだといわれています。このころ、大英帝国の上流階級の間で大流行していたスポーツのひとつが、テニスでした。

テニスの起源は、エジプトともフランスともいわれています。しかし、現代のような、コートの中央にネットを張った形式のローンテニスは、1873年にイギリスで始まったことがわかっています。

たった4年後の1877年には、ロンドンで第1回のウィンブルドン選手権が開催されたほど、テニスは当時の貴族の間で急速に広まり、少しでも上達しようと人々は夢中になりました。

イギリス独特の「気候」が卓球を生んだ

ただ、イギリスでは、よくにわか雨が降ります。朝から晩までずっと晴れている日は珍しいくらい。かといって、日本の梅雨時のように終日にわたって雨が降り続くこともありません。まとまった大雨が数時間は降り続くことが多いので、そのたびにテニスの試合は中断を余儀なくされました。

そこで、雨が上がるのを待つ暇を持てあまして、誰からともなく行われるようになったのが、食卓の上でテニスボールを葉巻タバコのフタで打ち合う、いわば即席の「室内ミニテニス」でした。

貴族の遊びのわりには、あまり行儀がいい印象が感じられませんが、ダイニングや食卓もかなりの大きさでしょう。室内でミニテニスを行う競技場として、十分な広さがあったと考えられます。

これが、のちに「ピンポン」と呼ばれ、やがて「テーブルテニス(卓球)」へと進化するのです。

卓球のルーツは日本だという説も?

いったん時代を下りますが、昭和13年(1938年)に、当時世界トップクラスの卓球プレイヤーとして知られたハンガリーのイステバン・ケレン選手(当時26歳)が来日した際、「その昔、日本の『追羽根(おいばね)』がヨーロッパに伝わり、やがて卓球になった」という趣旨の発言をしたことがあるようです(高村義雄著『卓球入門』)。追羽根とは、今でいう正月に羽子板で羽根をつく、いわゆる「羽根つき」の元祖です。

ただ、羽根つきは卓球というよりも、むしろバドミントンに近いといえるかもしれません。大歓迎で日本に迎え入れられたケレン選手が放った、彼なりのリップサービスだったのかもしれません。

転機となったのは、アメリカで発明された「新素材」

1880年代のイングランドで行われていた「室内ミニテニス」は、最初こそ手近にあった平たい板でボールを打っていたものの、当時バドミントンで使われていたラケットの柄を短く改良したものが使われるようになりました。

中が空洞になっている革張りの「バンジョーラケット」と呼ばれるものです。ボールが当たると、まるで太鼓のようにいい音が鳴るので、台の上をボールが跳ねる音も相まって、そこから「ピンポン(ping-pong)」という名が付きました。

最初はテニスボールがそのまま使われていたピンポンでしたが、やがて、シャンパンのコルクを丸く削った独自のボールが用いられるようになっていきます。シャンパンの廃材が使用されるところなども、英国貴族の食卓から始まった卓球ならではのエピソードです。

そのうち、ゴム製のボールが使われるようになり、ラケットも木製のものが主流になりましたが、「ラリーが単調になってしまう」という点で不評となり、英国貴族の間でいったん、ピンポンのブームはいったん廃れてしまいます。

同じ頃、パッケージセットが民間企業で商品化されたピンポンは、「安物の子どものおもちゃ」とみなされたのかもしれません。

転機となったのは、イギリスで発明され、アメリカで普及した「新素材」

人類が開発した、史上初のプラスチック素材といわれる「セルロイド」。これもイギリス人研究者が発明したのですが、開発当時は、あまりにも製造コストが高かったため、商品化には失敗してしまいます。

セルロイドの生産を商業ベースに乗せる研究を引き継いだのが、当時世界最先端の工業技術を持っていたアメリカ合衆国でした。セルロイドは、ビリヤードの球や写真用フィルムなどの素材として大量生産に成功していたのです。

そして、英国紳士のジェームス・ギブ氏が、アメリカ出張の際に幼児玩具用のセルロイド球を持ち帰り、それがピンポンに使われたことから、その独特の音や回転で、新たな魅力を醸し出すようになりました。

子どもの玩具とみなされて廃れたピンポンが、子どもの玩具だったセルロイド球をきっかけに復活したというのも、皮肉な運命かもしれませんね。

ラバーの元祖は、薬局の釣り銭皿

1902年のこと、当時のイギリス卓球界では無名だったE.C.グッド氏が、大会でいきなりの優勝を収めました。

そのラケットには、ちょっとした異変が。なんと薄いゴム板が張ってあったのです。

グッド氏が薬局で薬を買ったとき、気になったのが釣り銭用の平皿でした。その表面に張ってあるゴム板の表面が粒立っており、これをラケットに張れば、セルロイド球に未知の回転を生じさせられるのではないかと思いついたのです。

つまり、今でいう「イボ高ラバー」が、史上初めての卓球ラバーだったわけですね。それにしても、ラケットにゴム板を張ることが、このとき仮に反則だとみなされていたら、現代の卓球は果たしてどうなっていたのでしょう。

それと時を同じくして、1902年(明治35年)、ピンポンのラケット、そしてボールとルールブックが、イングランドから日本へ初めて持ちこまれました。奇しくも、日英同盟が締結され、両国の関係性がとても良好な時代でした。

<つづく>