震災から6年 宮城県で伝統の町対抗卓球大会が開催 | 卓球メディア|Rallys(ラリーズ)

文:武田鼎/写真:里見澪(ラリーズ編集部)

卓球×エンタメ 震災から6年 宮城県で伝統の町対抗卓球大会が開催

2017.10.02

文:武田鼎/写真:里見澪(ラリーズ編集部)

9月30日、宮城県加美郡加美町、加美町総合体育館で第10回仙北地区町職員親睦卓球大会が開かれた。この大会は宮城県の仙北地区の6町(女川町、加美町、色麻町、美里町、南三陸町、涌谷町)の町役場職員たちが卓球で交流を図る。この6町は2011年の東日本大震災では大きな被害を受けた地域の一つ。震災から6年が経過したものの、土嚢が積まれた地域や、いまだ仮設住宅で暮らす住民もいる。

9時半に加美町総合体育館のメインアリーナに集ったのは約80名。青や赤など町ごとにデザインされたユニフォームを纏い、町の威信をかけて卓球に臨む。

加美町は仙台市街地から約60km、車で1時間半のところに位置する

冒頭の開会式では加美町吉田惠副町長が「日ごろの仕事終わりの練習成果を是非発揮してください」と述べ、前回大会の優勝者である色麻町の選手から優勝トロフィーの返還が行われ、山内さん(南三陸町)による選手宣誓も行われた。

実はこの大会は歴史が古い。大会幹事長によると「『第10回』と銘打っていますが、それは平成15年の市町村合併以降のことです。実はそれ以前にも46年間続いています。合わせると50年以上の歴史がある大会なんです」と語る。

だが、2011年に仙北地区を襲った東日本大震災の影響で3年間、開催されないこともあった。「震災の時は正直、それどころじゃなかった。当時町の職員たちは必死になって業務にあたっていました。それを労う意味もありますね」と大会の意図を語る。卓球だけではなく、サッカーや野球での交流も開かれている。さらに「行政の区分が違うと町職員同士の町を超えた交流は少なくなってしまいます。だからこの大会を通じて交流を図っている」のだという。

「町の親睦」を謳っているが、勝負は真剣そのもの。一点ごとに声援が飛び交う。出場する町職員に話を聞くと「町を代表してるからね。負けらんないよ」と意外にも闘志剥き出しの様子。中には子連れで訪れる職員やうちわを作り大会を盛り上げるプレーヤーの姿も。


うちわを作って応援した美里町の町職員

大会の形式としては、午前は団体戦、午後は個人戦が開催される。団体戦では、男子シングルス2本、女子シングルス2本、40代以上男子シングルス、男子ダブルス1本、ミックスダブルスの合計7本の結果から競われる。

白熱した試合が多く、多くの試合が4-3と最後までもつれ込む結果になった。

団体戦の優勝は開催地の加美町が果たした。

団体戦優勝を果たした加美町の選手たち

13時からは個人戦が開催された。40代男子シングルス、男子シングルス、女子シングルス、男女混合ダブルス、女子ダブルス、男子ダブルスなど様々な種目にエントリーして行われた。10時に始まった大会、終わったのは日も傾き始めた16時過ぎのこと。6時間の熱戦を終えた選手の一人に声をかけた。「津波でみんな流されちゃってさ。あれ以来、初めてラケット握ったよ。土地もなんもかんも流されて、あんまり動こうって気持ちにならなかったけど、久しぶりに卓球やった。やっぱいいね。体は動かなかったけど!」と笑顔で語ってくれた。

ここで好成績を残した選手には次の大会が待っている。県大会だ。宮城県内各地で同じように地区予選が開かれており、勝ち残った選手たちが県大会に集まって戦う。

個人戦準優勝の女川町黒代選手(左)と優勝の女川町坂本選手(右)

震災という未曾有の大惨事から6年が過ぎた。無論、「道半ば」だ。だが一歩一歩着実に前へ進んでいる。大会が行われた加美町に足を運ぶといまだに必死で戦う町職員と、卓球で汗を流す束の間の一時の笑顔があった。

大会後、笑顔を見せる涌谷町の職員