石川県の卓球、と聞いて、何が思い浮かぶだろう。
盛況を見せる全国百万石オープン卓球大会、だろうか。
遊学館高校男子卓球部を率いて29年、植木大監督の奮闘だろうか。
昨年誕生した、地域密着型Tリーグ男子チーム・金沢ポートの存在だろうか。
大宗(だいそう)クラブ、という卓球チームがある。
往年の卓球ファンは、大宗卓球部として記憶しているかもしれない。日本リーグにも参戦していた、石川県を代表する一般男女の実業団チームだった。そして現在、小学生や指導者からすると、石川県でキラリと光るジュニアの卓球クラブのことである。
写真:大宗クラブの卓球場/撮影:ラリーズ編集部
写真:卓球場のある大宗株式会社第2ビル/撮影:ラリーズ編集部
このページの目次
きっかけは経験者の入社
加賀友禅などの呉服や寝具の卸売業を営む大宗株式会社が、卓球部を創設したのは1995年。現在の会長・大西憲治さん自身も、自宅に卓球台のあった生粋の卓球愛好者だったが、部創設の直接のきっかけは、地元で卓球経験のある社員数人が同時期に入社したことだった。
写真:発足当初の大宗クラブを伝える地元紙記事/撮影:ラリーズ編集部
「地方の零細企業だったので、求人も苦労していました。卓球で人を採用できて、その選手たちが仕事も一生懸命頑張って、新たな分野を開拓してくれた。卓球があったからこそ、いまの大宗があるんです」
大西会長はそう振り返る。当時、選手として獲得した中国選手の一人は、現役引退後もずっと大宗で働き、いまは上海大宗の社長を務めている。
写真:大宗株式会社 大西憲治会長/撮影:ラリーズ編集部
日本リーグ2部で優勝も
地元の高校卓球部を卒業した男子チームとして発足したが、ほどなく女子チームも設立、選手も県外から獲得するようになった。約20年前に新たに自社ビルを建てる際、オフィスの中に卓球場を作った。
その後、大宗クラブ男子は日本リーグにも加盟、最盛期には2部優勝も果たし、1部にも参戦経験がある。
「当時17時30分まで仕事をする会社としては、日本一だったと思います」
冗談めかしながら、仕事と卓球の両立を貫いた卓球部に自負を見せる大西会長。約15年の企業スポーツ部活動の末、少数精鋭の選手たちが、指導者や家業を継ぐなどそれぞれの進路を歩み始めた約15年前、大宗卓球部の活動は終わりを告げた。
写真:日本卓球リーグ2部で優勝した当時の大宗卓球部メンバー/撮影:ラリーズ編集部
「会社の名を背負うからには」
ちょうどその頃、大西会長の孫たちが卓球を始めていた。一般男女の“夢の跡”の卓球場を、娘夫婦が子どもたちの指導で使うようになった。
やがて地域の子どもたちも通うようになり、大宗卓球場はオフィスの中に存在したまま、子どもたちの元気な声が飛び交う、大宗ジュニアクラブと変わった。
遊学館高校卓球部OBで大宗卓球部最後の一年を選手として過ごした渡会純さんが、大西会長の娘・麻衣子さんと結婚、現在も大宗株式会社の営業担当取締役として社業に邁進するのも、大宗卓球部からの伝統だ。
写真:大宗クラブ代表の渡会純・麻衣子夫婦/撮影:ラリーズ編集部
「ジュニアとはいえ、会社の名前を背負い、その恵まれた環境を使わせてもらうのだから、社員や地域の方には常に挨拶や感謝の気持ちを忘れないように指導しています」
企業卓球部から地域のジュニアクラブへ、「大宗」という場所は、今も石川県の卓球選手たちの夢を育てている。
写真:大宗クラブ卓球場で練習する子どもたち/撮影:ラリーズ編集部
大宗クラブからは4人が全日本ホカバへ
さて、その大宗クラブの全農杯全日本ホカバ石川県予選会はどうだったのだろうか。
「力を出せた子と、もう少し頑張れたなという子が半々くらいですね」と振り返りつつ、「嬉しかったのは、大宗クラブの中学生が応援に来てくれたこと」と渡会純さんは顔を綻ばせる。
「朝から中学生のエースの子が練習相手に来てくれて。中学生女子も4、5人応援に来て、父兄の方々と一緒に応援してくれたのが子どもたちの力になったと思います」
“それぞれの個性を生かした指導を心がけている”という夫婦の方針通り、各年代の子どもたちが元気よくプレーし、4人が全農杯全日本ホカバへの駒を進めた。
写真:石川県ホープス男子の部1位の岡部獅央(大宗クラブ)/撮影:ラリーズ編集部
“我慢”を覚えるための日課
その大宗クラブから、カブ女子の部1位となった渡会梛都(わたらいなつ)が、副賞のお肉を家族で食べる夕食にお邪魔した。
渡会純・麻衣子夫婦の次女である椰都は、全日本バンビ女子の部でベスト16の実績を持つ、回転をかける感覚にセンスを感じる、小学4年生の女子だ。
いまの課題は「試合中に怒らないこと」。
我慢を覚えるために、朝は布団たたみ、学校から帰ってきたら玄関の掃除を毎日の日課にし、勉強では公文にも通い始めた。発案者の麻衣子さんも、娘の「勝ちたい」と「楽しい」の違いを本人に伝えようと苦心している。
「卓球と一見関係のない習慣でも、勝ちたかったら、我慢もしないといけない、苦しいこともしないといけない。強制的にやらせるだけも好きじゃないので、本人にわかってほしくて」
写真:渡会梛都は大宗クラブ代表・渡会夫婦の次女である/撮影:ラリーズ編集部
1位副賞は「能登牛」
各カテゴリーの1位に贈られたのは、石川県を代表するブランド和牛「能登牛」600グラムである。
石川の美しい自然と潮風が吹く素朴な風土で、丹誠込めて肥育される能登牛は、その多くが震災被害の甚大な奥能登地域で育てられている。牛舎への被害はもちろん、停電・断水など牛へ水・飼料を十分に与えることができず、川から水を汲み、雪を溶かして飲ませたりしながら、地域のブランド和牛を守ってきた。
写真:能登牛のブロック肉/提供:JA全農いしかわ
「すごく、美味しい」美しい風土が育てたキメの細かいお肉を、カメラに照れながらも、たくさん頬張る渡会椰都だった。
写真:お家で能登牛の焼肉、嬉しいご褒美/撮影:ラリーズ編集部
2位副賞は「石川県産米食べ比べセット」
2位副賞は「石川県産米食べ比べセット」として『石川県産こしひかり 一粒のきらめき』『石川県産 ゆめみづほ』『石川県産 ひゃくまん穀』の3種がそれぞれ5kgずつ贈られた。
写真:『石川県産こしひかり 一粒のきらめき』『石川県産 ゆめみづほ』『石川県産 ひゃくまん穀』/提供:JA全農いしかわ
石川県が米どころとして広く知られるようになったのは、戦国時代のこと。“加賀百万石”の呼び名も,加賀藩の石高(玄米の収穫量)がおよそ102万石であったことに由来する。
街中を流れる金沢の用水、霊峰白山から湧き出る清流と肥沃な加賀平野、世界農業遺産にも認定される能登の里山里海。これらの土地の恵みが、石川県産の良質米の栽培を支えている。
ちなみに、渡会家では普段から『石川県産 ひゃくまん穀』を食べているとのこと、「お米一粒がしっかりしている」麻衣子さんも、主婦の表情で、その味に太鼓判を押していた。
写真:副賞の能登牛を堪能する渡会梛都(大宗クラブ)撮影:ラリーズ編集部
夕食の最後に、家族で卓球をする指導者の多くが直面する未来の予定を聞いてみた。“ご自身のお子さんが手を離れても、クラブ運営を続けますか”。
もうその結論は出ている、というふうに渡会夫婦は、顔を見合わせ、純さんが答えた。
「はい、続けていこうと。ホカバのベンチとかに入っていると、日常では味わえない“生きてる”っていう感覚があって。やっぱり楽しいんです」
大宗の夢は、まだ続く。
写真:渡会家にて/撮影:ラリーズ編集部