2024年9月8日、満を持して臨んだ金沢ポートでのデビュー戦を、男は白星で飾れなかった。
第3マッチに敗れてベンチに戻って呆然とする男に、監督の西東輝が近寄った。
「ビクトリーマッチ、雅己で行きたい」
男は表情を変えず、ひと言「マジか」と呟いた。「雅己を信じてる」監督の西東は、そう続けた。
「じゃあ、心、決めてくるわ」男はベンチから消えた。
二人は母親が姉妹の、従兄弟同士でもある。
写真:吉田雅己(右)と西東輝監督(左)/撮影:ラリーズ編集部
このページの目次
丹羽孝希と同世代の30歳
吉田雅己。
札幌市出身、円山クラブで卓球を始めて小学生から全国タイトルを獲得、“最強軍団”青森山田中高に進学、丹羽孝希や町飛鳥と同学年でしのぎを削ってきた男も、30歳になった。
高校3年時にインターハイ男子シングルス優勝、愛知工業大学時代に日本代表入り、2016年全日本ダブルスでは水谷隼とのペアで優勝、Tリーグも3球団を渡り歩いて重ねた28勝という勝ち星は、燦然と輝く。
写真:吉田雅己(金沢ポート)/撮影:ラリーズ編集部
一方で、長く怪我に苦しみ、近年は出場機会が減少、指導者としての道を模索しているように見えた。
その佇まいや勝負勘から“侍”と呼ばれて卓球ファンから愛される男が、移籍した金沢ポートに懸ける選手としての思いと、これまで語ってこなかった家族の話などを語った。
写真:吉田雅己(金沢ポート)/撮影:ラリーズ編集部
昨季はたったの“0勝1敗”
ただ、試合がなく、目標が無い中でもいつも通り意識の高い練習ができていました。
やっぱり自分は卓球をやりたいんだな、選手としてもっとやりたいんだなという感情がありました。
最終的にチームも優勝できましたし、自分のやるべきことはやれたんじゃないかなと思っていますね。
写真:昨季2023-2024シーズンの吉田雅己/撮影:ラリーズ編集部
木下に2年目から強い選手が入ってきて、自分がいるからチームにとって何がプラスなのかと考えたとき、選手でありつつアカデミー事業やコーチもやることで自分の価値を出したいと思い、自分から志願しました。
自分の指導論もどんどん変わっていきました。どういう言い方をすれば選手にうまく伝わるか、とか、怒るか怒らないか、とか、もっと言ってあげればよかったという後悔もあります。
選手より指導者のほうが難しい。今までいろんな指導者にお世話になったんですけど、改めてリスペクトと感謝を感じました。
従兄弟からのオファーに「気持ちが高ぶった」
僕は自分のことをうまく話せて相談できるタイプではないんですが、子どもの頃から知っている親戚ということもあって、いろんなことを吐き出して相談できました。
写真:従兄弟同士の吉田雅己(右)と西東輝監督(左)/撮影:ラリーズ編集部
監督よりもっと“卓球オタク”
ひょっとして吉田選手も、寝る前ずっと試合動画を見るんですか?
写真:吉田が何十回と観ていると語る張継科(中国)/提供:ittfworld
そのときの点数とか、次どっちが取るとかもう覚えているので、そこは面白くないんですけど(笑)。
写真:吉田雅己(金沢ポート)/撮影:ラリーズ編集部
中学・高校のときはスーパーラリーみたいなのが好きでしたけど、今は逆に試合の展開や流れとかを見るほうが好きですね。
自分の試合はあまり好きじゃないです、これは自分のダメなところなんですけど(笑)。
“吉田でも勝てるんだから自分も”
選手としては、順風満帆ではなかったと自分では思ってます。不器用なりに一生懸命やるなかで、卓球を、自分がプレーするだけでなくいろんな面から考えてきたから、どうにかやってこれたんだと思います。
写真:吉田雅己(金沢ポート)/撮影:ラリーズ編集部
僕より技術能力も高い器用な選手はたくさんいたわけで、僕の感覚としてはもったいない、頑張ったらもっと強くなれるのに、と思ってきました。
逆に言えば、不器用だから頑張れる、技術がないから考える、という面もあります。その意味では、器用じゃなくて良かった、とも言えるかもしれません。
そこから、天才であっても考えて壁を突き抜けていった選手が本当にスターになれる。それが、水谷さんであり、(松平)健太さんであり、丹羽選手であるわけで。
僕は不器用で技術では点が取れず、頭で考えるしかなかった。結果的に、不器用で良かったと今は思っています。
写真:吉田雅己(金沢ポート)/撮影:ラリーズ編集部
2拠点生活の理由
金沢市内にもアパートを借りて、僕自身は札幌と金沢の両方で活動しています。
“この間来てくれたから吉田選手のファンになった”という子どももいました。
写真:2024年5月野々市中学を訪問した吉田雅己/提供:金沢ポート
選手として試合で良いパフォーマンスをすることももちろん大事なんですけど、自分が誰かの卓球を強くなるための力になったり、卓球面白いなと思ってもらう活動にも、意味があると今は考えています。
いつかは地元に卓球場を作りたいと思っていたところに、運良くお話をいただいて、僕自身の練習拠点が札幌にも欲しかったので。
2024年9月にオープンしたばかりの札幌の卓球場「TABLE TENNIS YOSHIDA」
◯卓球場について🏓
・基本的には台貸しを行う無人卓球場になります。
・完全予約制でサイトで予約していただきます。
・現地で券売機で購入いただき、ご使用になれます。
・2台配置しており、もう一台は卓球マシーン専用台となっております。 pic.twitter.com/rPdm6fxNKs— TABLE TENNIS YOSHIDA (@takkyu0901) August 30, 2024
筋ジストロフィーの家族が3人
父親の病気が進行しつつあり、去年、病院から家に帰ってきた際、今まで以上にサポートをしないといけない状況になりました。
筋ジストロフィーという病気です。
写真:吉田雅己(金沢ポート)/撮影:ラリーズ編集部
あと、自分には兄が二人いるんですが、兄二人も父と同じ病気を患っています。
自分が中学から北海道を離れてすぐ、兄二人の筋力・握力が弱い、少し知能が低いなどの症状から検査に行って、診断を受けました。
写真:吉田雅己(金沢ポート)/撮影:ラリーズ編集部
「母にとっては自分が支え」
それでも、全国大会にはどこでも必ず母とおじいちゃんが来てくれました。関係者の間ではちょっと有名なくらいに(笑)。
自分も、試合前に家族を見つけて“頑張ってくるね”と、アイコンタクトするのがルーティンになっていました。
今まで自分はやりたい卓球だけをずっとやってきて母親に迷惑をかけてきたので、今年からは自分も実家近くに住み、家族を支えながら選手としてもしっかり活動したいと思っています。
ただ、今回北海道に戻ると伝えたとき、“正直、帰ってきてくれてよかった”と言うのを聞いて、いま決断して良かったと思いました。
ただ、自分が結婚する前に、北海道に帰ってお世話になっている病院に行って検査をして、自分自身がその因子を持っていないことをクリアにはしました。
自分はずっと早めに子どもが欲しいと思っていましたが、絶対に妻や妻の両親も不安な部分はあるだろうと思ったので。
検査前に妻が“もしあったとしたとしても全然大丈夫だよ”と言ってくれていたことは心強く、本当に感謝しています。
今回打ち明ける理由
ただ、我慢したことは全くないですが、安定しないといけないという気持ちはありました。
特にこの数年は、金銭面も含めて家族のこともしっかり考えつつ、その中で自分のやりたいことをやろうと考えています。
そうなんですけど、自分はこういう理由でそれができない。
監督は親戚なのでわかってるんですが、ファンの方や関係者、地元の方にもその事情を伝えたかったという思いです。
写真:吉田雅己(金沢ポート)/撮影:ラリーズ編集部
とはいえ、金沢ポートもすごくレベルが高い選手ばかりなので、まずは監督にオーダーを書いてもらえるように必死で頑張ります。
監督はもちろん、選手もスタッフもみな、自分が信頼できる方たちばかりです。
去年、対戦相手として金沢ポートを見ていて、ここでプレーしたいと思えた、圧倒的なホームの雰囲気でした。
ファンの皆さんと一緒に勝ちに行きたいと、本気で思っています。
写真:吉田雅己(金沢ポート)/撮影:ラリーズ編集部
そのラケットは離さず
さて、冒頭のビクトリーマッチに戻る。
結果、吉田は英田理志(静岡ジェード)とのビクトリーマッチにも敗れた。先行されて追いつき、また先行されては追いつく、これまでの吉田の選手人生のような辛抱の展開だった。
デュースの末、最後は相手のボールがネットインして敗れた瞬間、思わず脱力して天を仰いだが、手から滑り落ちそうなラケットは離さなかった。
“侍”と呼ばれる不器用な卓球オタクの、矜持だった。
写真:吉田雅己(金沢ポート)/撮影:ラリーズ編集部