その会話は流暢で、表情は穏やかで優しい。
“障がいが全くわからないですね”と、声をかけようとして、ふと躊躇する。
それは、障がいのある人生と競技生活を成立させてきたパラアスリートにとって、嬉しいことなのだろうか。
あなたは和田なつきについて、どのくらい知っているだろう。
たたでさえ競技数が少ないパラリンピックの中でも、知的障害クラスがあるのは水泳、陸上、卓球のみである。
日本が1964年にパラリンピックに参加して60年、和田は卓球シングルスで、男女通じて日本初の金メダリストとなった。
写真:和田なつき(内田洋行)/撮影:アフロスポーツ
このページの目次
和田なつきの知的障がいとは
数字は足せるが、引くのは難しい。
1対1の会話は支障がないが、4人以上の会話が弾み始めると入れなくなる。
卓球の練習中でも、ちょっとしたきっかけで癇癪が起きる。
感覚過敏で、音・匂い・光などの刺激には過緊張が起こる。
一方で、その鋭敏な感覚と、ボールのマークまではっきりと見える集中力は、類まれなボールタッチも和田にもたらした。
卓球という競技の光が照らす、21歳の若きパラアスリートに話を聞いた。
写真:和田なつき(内田洋行)/撮影:ラリーズ編集部
パラ後に「バーンアウトに」
戻ってすぐはやる気がなくなったり、卓球の楽しさがわからなくなる時期もありました。トレーナーさんからも「バーンアウト(燃え尽き症候群)になってるね」って。
あと、11月のフランスオープンで櫨山(はぜやま)選手にフルゲームで負けて、表彰台に上がっても嬉しくなくて。次やったら負けないように頑張って練習してます。
写真:和田なつき(内田洋行)/撮影:ラリーズ編集部
診断に「なんで自分ばっかりしんどいのかな」
小学校4年から不登校気味で、家に引きこもりになって。中学一年は最初の2週間でダメでした。
薬の影響で太ってしまって、私、兄と身長が同じなんですが体重も同じになって、これはヤバいぞと(笑)。
それで15歳のときに東住吉の長居障がい者スポーツセンターに行って、卓球したのがきっかけですね。
精神的にもつらい時期だったので、私には障がいもあるのか、なんで自分ばっかりしんどいのかな、健常に生まれたかったなと、マイナス方向に悩みました。
写真:和田なつき(内田洋行)/撮影:ラリーズ編集部
車椅子の選手が1球1球大切にしていた
その障がい者スポーツセンターでは、車椅子の選手が毎日5時間とか練習していて、手が不自由なのにボールを自分で拾って、その1球1球大切に練習していました。
こんなに重い障がいの人でも頑張ってるんだから、自分にもできるんじゃないかなって思い始めてからですね。
でも、試合に出て負けたら悔しくなって、頑張ろうって。
練習あんまりしてない頃から勝てたりして、周りの人が“すごいやん”って言ってくれて、どんどん続けてたら結果が出てきたって感じです。
写真:和田なつき(内田洋行)/提供:ITTFWorld
障がいと共に備わっていた感覚
どの面の角度で、どこまで食い込ませて、このタイミングで離して、とかの感覚はあるんだと思います。
ラバーがダメになったとか、今日は湿気多いからこの打ち方できないとか、すぐわかります。
写真:和田なつき(内田洋行)/提供:ITTFWorld
私には感覚過敏の障がいの特性があって、そのせいなのかはわからないんですけど。
始めての環境が苦手
パリパラリンピックの準決勝が、会場真ん中の、光が強く当たる台でした。トスが上げられないと思ってしまって運営の方に言ったんですけど、ルールの範囲内だし、カメラ位置も決まってるから変えられないよって。
初めての環境が苦手です。
写真:和田なつき(内田洋行)/撮影:ラリーズ編集部
1回戦が不戦勝になったとき会場にいたので、 自分が戦ってる姿を想像できました。
それがひどくなっちゃって、コーチにもう5分間泣いたらいいよって言われて、卓球から1回離れて思いっきり泣いたら、結構すっきりしました。
私は泣いてしまうタイプ
例えば、飛びつきの後のこの体重の乗せ方って言われても、大きい動きをした後だと、やっぱり細かい動きって難しいじゃないですか。
なんでできないのって、混乱したり癇癪を起こして泣き出したりします。
コーチが重要なアドバイスを遠回しに言ったり説明が長いときも、まず話をじっとして聞けないので、そわそわし始めて会話が全く入ってこないです。
タイムがあるとまだ落ち着けるんですけど。
写真:和田なつき(内田洋行)/提供:ITTFWorld
後ろから話しかけられない座席
数字は足すことはまだ得意なんですけど、引くのは難しいです。数字を数えてるときに話しかけられてしまうと全部忘れてしまったり。
あと、1対1の会話は得意だけど、4、5人で会話が弾んでくると入れなくなってしまいます。
写真:和田なつき(内田洋行)/撮影:ラリーズ編集部
突然話しかけられると全部バーンって落ちて、緊張度が一気に上がって、それが抜けるのに時間がかかってしまうので。
写真:所属の内田洋行 大阪支店/撮影:ラリーズ編集部
他動の人とか、物忘れがひどい人もいるし、自閉の子もいるので、症状は人それぞれ違うんですけど。
写真:和田なつき(内田洋行)/撮影:ラリーズ編集部
卓球がなかったら外に出られてない
写真:和田なつき(内田洋行)が金メダルを入れているポーチと/撮影:ラリーズ編集部
ブリスベンまで駆け抜けたい
あと、2年後の世界選手権と、「Virtus(ヴァータス)」という知的障がい者だけの大会で優勝すること、そしてロサンゼルスパラリンピックでもいいメダルを取ることです。
ただ、世界で勝てても日本で勝ち残るのが難しいです。世界は同じ人がずっと強いですが、日本は次々と、各県にひとりとか強い選手が出てくるので、まずは日本で勝てるように頑張ります。
写真:和田なつき(内田洋行)/提供:ITTFWorld
取材を終えて
聞きづらいことをたくさん質問した。
特に知的障がいの場合、選手がどんなハンディキャップと折り合いをつけながら競技生活を続けているか、伝わりづらいからだ。
聞けば聞くほど、15歳当時引きこもりと障がい診断で苦しんでいた和田選手が、卓球に出会えたことが嬉しかった。
引きこもりからの日本初のパラ卓球女子シングルス金メダルはもちろんシンデレラストーリーだが、“卓球に救われた”という意味では、老若男女、健常・障がい者関係なく、私たち卓球愛好家の肖像でもある。
写真:和田なつき(内田洋行)/提供:ITTFWorld