「なんで自分ばっかりしんどいのかな」引きこもりから日本初のパラ卓球シングルス金メダリストになった和田なつき | 卓球メディア|Rallys(ラリーズ)

写真:和田なつき(内田洋行)/撮影:ラリーズ編集部

卓球インタビュー 「なんで自分ばっかりしんどいのかな」引きこもりから日本初のパラ卓球シングルス金メダリストになった和田なつき

2024.12.11

この記事を書いた人
1979年生まれ。2020年からRallys/2024年7月から執行役員メディア事業本部長
2023年-金沢ポート取締役兼任/軽い小咄から深堀りインタビューまで、劇場体験のようなコンテンツを。
戦型:右シェーク裏裏

その会話は流暢で、表情は穏やかで優しい。
“障がいが全くわからないですね”と、声をかけようとして、ふと躊躇する。

それは、障がいのある人生と競技生活を成立させてきたパラアスリートにとって、嬉しいことなのだろうか。

あなたは和田なつきについて、どのくらい知っているだろう。
たたでさえ競技数が少ないパラリンピックの中でも、知的障害クラスがあるのは水泳、陸上、卓球のみである。

日本が1964年にパラリンピックに参加して60年、和田は卓球シングルスで、男女通じて日本初の金メダリストとなった。


写真:和田なつき(内田洋行)/撮影:アフロスポーツ

和田なつきの知的障がいとは

数字は足せるが、引くのは難しい。
1対1の会話は支障がないが、4人以上の会話が弾み始めると入れなくなる。
卓球の練習中でも、ちょっとしたきっかけで癇癪が起きる。
感覚過敏で、音・匂い・光などの刺激には過緊張が起こる。

一方で、その鋭敏な感覚と、ボールのマークまではっきりと見える集中力は、類まれなボールタッチも和田にもたらした。

卓球という競技の光が照らす、21歳の若きパラアスリートに話を聞いた。


写真:和田なつき(内田洋行)/撮影:ラリーズ編集部

パラ後に「バーンアウトに」

――9月にパリパラリンピックで日本女子初のシングルス金メダルを獲って2ヶ月ほど、いまはどんな心境ですか。
いまは、今後の大会に向けてめっちゃ頑張ってます。

戻ってすぐはやる気がなくなったり、卓球の楽しさがわからなくなる時期もありました。トレーナーさんからも「バーンアウト(燃え尽き症候群)になってるね」って。

――どうやって回復していったんですか。
楽しいことを考えたり、1ヶ月先の目標より1週間先どうする、という小さな目標をコーチと話し合いながら過ごしていたら、また卓球の楽しさが戻ってきました。

あと、11月のフランスオープンで櫨山(はぜやま)選手にフルゲームで負けて、表彰台に上がっても嬉しくなくて。次やったら負けないように頑張って練習してます。


写真:和田なつき(内田洋行)/撮影:ラリーズ編集部

――普段、どんなスケジュールで練習しているんですか。
週5、6日、グループレッスンやコーチレッスンに行って、2週間に1回出社しています。空いてる時間はパーソナルトレーナーに通ったり、自分の体のケアを中心に向き合ってる感じです。

診断に「なんで自分ばっかりしんどいのかな」

――そもそも卓球を始めたきっかけは。
ダイエットです。

小学校4年から不登校気味で、家に引きこもりになって。中学一年は最初の2週間でダメでした。

薬の影響で太ってしまって、私、兄と身長が同じなんですが体重も同じになって、これはヤバいぞと(笑)。

それで15歳のときに東住吉の長居障がい者スポーツセンターに行って、卓球したのがきっかけですね。

――その頃には、自身に知的障がいがあることは分かっていたんですか。
中学2年の冬ぐらいに診断されたので、同じくらいの時期です。
――聞きづらい質問ですが、不登校の時期に診断が出たのはどこか安心する部分もあったんですか。
いえ、納得がいかなかったです。学校に行けてないから知能が劣ってるだけじゃないかと思いました。

精神的にもつらい時期だったので、私には障がいもあるのか、なんで自分ばっかりしんどいのかな、健常に生まれたかったなと、マイナス方向に悩みました。


写真:和田なつき(内田洋行)/撮影:ラリーズ編集部

車椅子の選手が1球1球大切にしていた

――そこからどうやって前向きになっていったんですか。
徐々に、納得していった感じです。

その障がい者スポーツセンターでは、車椅子の選手が毎日5時間とか練習していて、手が不自由なのにボールを自分で拾って、その1球1球大切に練習していました。

こんなに重い障がいの人でも頑張ってるんだから、自分にもできるんじゃないかなって思い始めてからですね。

――卓球は最初から楽しかったですか。
いえ、うまくないから続く楽しさがわからなくて。

でも、試合に出て負けたら悔しくなって、頑張ろうって。

練習あんまりしてない頃から勝てたりして、周りの人が“すごいやん”って言ってくれて、どんどん続けてたら結果が出てきたって感じです。


写真:和田なつき(内田洋行)/提供:ITTFWorld

障がいと共に備わっていた感覚

――15歳で卓球を始めて、わずか5年後に世界大会で優勝するんですよね。ご自身では短期間で成長できた理由はなんだと思いますか。
うーん。ボールタッチなのかな。

どの面の角度で、どこまで食い込ませて、このタイミングで離して、とかの感覚はあるんだと思います。

ラバーがダメになったとか、今日は湿気多いからこの打ち方できないとか、すぐわかります。


写真:和田なつき(内田洋行)/提供:ITTFWorld

――それは卓球選手にとって大事なセンスですよね。
集中していると、ボールのマークも見えます。“星がついてるやん”って。
――すごいですね。視力がいいんですか。
いや、悪いです。コンタクトで今、0.65くらい。

私には感覚過敏の障がいの特性があって、そのせいなのかはわからないんですけど。

始めての環境が苦手

――その感覚過敏って、卓球しているときにはどんな影響があるんですか。
光とか音とかの刺激が全部入ってきちゃうんで、疲れやすいし、苦しいんです。

パリパラリンピックの準決勝が、会場真ん中の、光が強く当たる台でした。トスが上げられないと思ってしまって運営の方に言ったんですけど、ルールの範囲内だし、カメラ位置も決まってるから変えられないよって。

初めての環境が苦手です。


写真:和田なつき(内田洋行)/撮影:ラリーズ編集部

――パリの応援けっこう激しかったですけど、音は大丈夫だったんですか。
もう、音がすごいっていうのはオリンピックからずっと聞いていたので、配信を見ながらこんな感じなんだと。パラも先にダブルスの試合があったので、フランスの選手の試合を見ながら耳を慣らして。

1回戦が不戦勝になったとき会場にいたので、 自分が戦ってる姿を想像できました。

――イメージできることが大事なんですね。
ただ、向こうの会場で練習はうまくいかなくて、ずっと泣きながらやってました。

それがひどくなっちゃって、コーチにもう5分間泣いたらいいよって言われて、卓球から1回離れて思いっきり泣いたら、結構すっきりしました。

私は泣いてしまうタイプ

――練習ではどんなときに苦しくなるんですか。
言われてることがわからないときと、わかるけど体で表現ができないとき。

例えば、飛びつきの後のこの体重の乗せ方って言われても、大きい動きをした後だと、やっぱり細かい動きって難しいじゃないですか。

なんでできないのって、混乱したり癇癪を起こして泣き出したりします。

コーチが重要なアドバイスを遠回しに言ったり説明が長いときも、まず話をじっとして聞けないので、そわそわし始めて会話が全く入ってこないです。

――僕らはその場面を見る機会が少ないので、わからないだけなんですね。
私はもう何かわからなくなったら泣いてしまうタイプなので、練習でも泣くし、試合中も今年5月の台湾の大会で号泣してしまって、1点で取られたゲームがありました。

タイムがあるとまだ落ち着けるんですけど。


写真:和田なつき(内田洋行)/提供:ITTFWorld

――じゃあ、ダブルスもペアが変わると大変ですか。
いや、ダブルスは誰がパートナーでも平気なんです。自分のプレーに集中するだけなので。

後ろから話しかけられない座席

――卓球以外の場面ではどうですか。
片付けの順番を決めていたのにそれが崩れたりしたら、こうじゃないって納得がいかなくて、癇癪が起きたりします。
――こうやって話している限りでは、全くわからないですね。苦手な傾向ってあるんですか。
漢字は、難しいのが続くと綺麗な形として私の頭に入らなくて、歪んで見えて書き写せないです。読むのはなんとなく読めたりするんですけど、書いてって言われると書けなかったり。

数字は足すことはまだ得意なんですけど、引くのは難しいです。数字を数えてるときに話しかけられてしまうと全部忘れてしまったり。

あと、1対1の会話は得意だけど、4、5人で会話が弾んでくると入れなくなってしまいます。


写真:和田なつき(内田洋行)/撮影:ラリーズ編集部

――そうなんですね。
所属の内田洋行の皆さんにも配慮してもらって、私の席は、基本的に後ろから声を掛けられない配置です。座るとみんなが視界に入ります。

突然話しかけられると全部バーンって落ちて、緊張度が一気に上がって、それが抜けるのに時間がかかってしまうので。


写真:所属の内田洋行 大阪支店/撮影:ラリーズ編集部

ただ、入ってくる情報に対して過敏だからか、映画とかは2回見たらセリフはだいたい頭に入ります。英語版と日本語版両方を覚えていたぐらい。
――それはすごいですね(笑)。和田選手の障がいは、一般的に何と呼ばれるものなのでしょうか。
ざっくりまとめたら、知的障がいと、たぶんADHDの1種です。

他動の人とか、物忘れがひどい人もいるし、自閉の子もいるので、症状は人それぞれ違うんですけど。


写真:和田なつき(内田洋行)/撮影:ラリーズ編集部

卓球がなかったら外に出られてない

――聞けば聞くほど、1対1で向かい合い、ボールタッチの感覚が重要な卓球は、和田選手に向いてますね。
そう思います。チームスポーツは無理だし、水泳や陸上のように自分で自分を追い込む競技は、方法がわからない。たぶんいい感じにサボってしまいます(笑)。
――卓球に出会えて、良かったですね。
はい。卓球してなかったら、今ごろ何してたんだろう。まず外にも出られてないし、この内田洋行にも入れてない。


写真:和田なつき(内田洋行)が金メダルを入れているポーチと/撮影:ラリーズ編集部

ブリスベンまで駆け抜けたい

――これからの目標を教えてください。
世界ランクがまだ1位じゃないので、まずはそれが今の一番の目標です。

あと、2年後の世界選手権と、「Virtus(ヴァータス)」という知的障がい者だけの大会で優勝すること、そしてロサンゼルスパラリンピックでもいいメダルを取ることです。

――21歳で金メダリスト。ずっと長く活躍したいっていう気持ちですか。
そうですね。パラリンピックが、ロサンゼルスの次がオーストラリアのブリスベンなので、そこまでは駆け抜けたいなと。

ただ、世界で勝てても日本で勝ち残るのが難しいです。世界は同じ人がずっと強いですが、日本は次々と、各県にひとりとか強い選手が出てくるので、まずは日本で勝てるように頑張ります。


写真:和田なつき(内田洋行)/提供:ITTFWorld

取材を終えて

聞きづらいことをたくさん質問した。
特に知的障がいの場合、選手がどんなハンディキャップと折り合いをつけながら競技生活を続けているか、伝わりづらいからだ。

聞けば聞くほど、15歳当時引きこもりと障がい診断で苦しんでいた和田選手が、卓球に出会えたことが嬉しかった。

引きこもりからの日本初のパラ卓球女子シングルス金メダルはもちろんシンデレラストーリーだが、“卓球に救われた”という意味では、老若男女、健常・障がい者関係なく、私たち卓球愛好家の肖像でもある。


写真:和田なつき(内田洋行)/提供:ITTFWorld