高校生に伝えたい、「勝ち」にこだわることが人生を変える


創部からわずか2年で全国制覇を成し遂げた卓球部がある。それが山口県の野田学園だ。率いるのは橋津文彦、元は宮城県の仙台育英で卓球部の顧問を務めていた。通算4度の全国制覇という実績は、紛れもなく名指導者と言っていいだろう。だが、橋津という男のすさまじさは、その業績だけではない。思春期真っ只中の教え子たちと、真正面からぶつかり、時にともに涙し、足並みをそろえて日本の頂きを目指し続けた。試合中、ベンチにどっしりと腰掛け、的確に選手にアドバイスを授け、勝利に導く。その様はコーチというよりも“よき師”という言葉がふさわしい。足掛け20年間、中学・高校卓球を見つめてきた橋津が感じたものは何か。

名将は静かに口を開いた。

「あいつらとは運命共同体だった。教えたことよりも教わったことの方が多いんだ。」

インターハイは一生モノの体験

橋津はこれまで監督としてインターハイに20回出場し、2回の優勝を果たした。橋津の元から巣立った選手の多くは、今も第一線で活躍している。育て上げた選手として最初に挙がる2人が吉村真晴と岸川聖也だ。吉村はリオデジャネイロオリンピックで男子団体で初めて銀メダルを獲得、岸川は水谷隼とダブルスで世界卓球横浜で銅メダルを獲得した。「1人として同じ選手なんていなかった。それに“育て上げた”なんて思っていません。僕も一人ひとり、必死に向き合いました。」橋津はそう振り返る。

▶橋津文彦の愛弟子 吉村真晴(野田学園高校OB)の「俺の卓球ギア」はこちら

橋津たちが何よりも重要視していたのがインターハイだ。他の大会とは異なり、注目度も跳ね上がる。いわば野球部における甲子園のような存在だ。橋津とってインターハイは、例えようもない存在のようだ。「たった1度の大会に向けて、仲間たちと必死に練習する。結果を残せる時もあるし、残念だった時もある。でも本気でぶつかり合って、泣いて、笑う。現実世界でそんな経験する機会って一生に1回しかないんですよ。」と力説する。

一生に一度のインターハイに全てを懸けることが、卒業後の生き方にプラスに働くと語る橋津監督

橋津が伝えたいのは、がむしゃらで青臭い精神論ではない。橋津が教え子たちに口を酸っぱくして言って聞かせる言葉がある。それが「本気になれば世界は変わる」だ。そしてその言葉の通り、生徒たちは濃密な卓球漬けの日々を経て、自らの世界を変えてみせた。野田学園のOBたちが切り拓いた進路は吉村、岸川のような卓球選手としてのキャリアだけではない。卓球界という枠を超えて、有名大学への進学が決まり、有名企業から続々と声がかかる。

急成長ベンチャー、生命保険会社のセールスなど卓球以外のフィールドで野心を燃やす卒業生から、大手自動車、化学品、出版、家電メーカーで活躍するもの、そして、電力、ガス、銀行、地方自治体など社会インフラを支える仕事に使命感を持って取り組むOBまで、橋津門下生が社会人として活躍するフィールドは幅広い。

そして社会に出てもさらなる成長を求めて生き生きと働くビジネスパーソンが多いという。なぜ野田学園の卒業生は、たくましく社会の中で生き抜いていけるのだろうか。

「いくら学生時代に甘やかしても大人になったら否が応でもつらい経験はやってくる。その時に壊れちゃったら、その人の人生は終わり、です。だから部活動を通して強くなるということはあると思います。それに、部活動でしか生まれない人間関係も大きな理由だと思います。」

勝負の世界で共に戦い抜いた仲間の結束は固い。OBたちは今でも橋津を囲むために集うという。今は戦うフィールドこそ違えど、困難に境遇した時に、相談しあえる一生涯の仲間は何よりも得難い存在だ。

一緒に駆けずり回って作り上げた信頼関係

2008年の野田学園での創部当初、橋津たちは練習環境を整えるのにも苦労していた。卓球台を求めて、公民館やスポーツ施設を駆けずり回り、生徒たちと一緒に遠征もした。生徒の多くが山口県外からの寮生活で、必然的に練習以外の時間を共にする時間が増えていった。やがて橋津たちは生徒とコーチを超えた信頼関係で結ばれた。

無論、一筋縄ではいかないことばかりだ。厳しく指導することもあれば、教え子から思いっきり反発を食らうこともある。「僕はあいつらにとって、立ちはだかるべき“共通の敵”だったかもしれません。みんなの悪口や話のネタになってくれればいいんです。」と豪快に笑う。生徒から信頼を得ているからこそ飛び出す、橋津なりの冗談だ。直後に、こう付け加えた。「ただ、僕が言いたいのは、強くなって勝つという成功体験をしたことは社会に出ても間違いなく通じる」。その眼差しは真剣そのものだ。

時に厳しく、時に導くように生徒たちと向き合う橋津が、ただひとつ、“決して変えなかったこと”がある。それは「勝ちにこだわる」ということ。「一生懸命やったんだからよかったという考え方は絶対にしていません。勝つためにやるのと、なんとなく頑張るのはまったく違う。勝ちにこだわるから必死になるし、その嬉しさも悔しさも倍になる」。2010年の沖縄インターハイ、決勝で青森山田の前に敗れた橋津たちは悔しさのあまり、選手みなで短パンのまま海に飛び込んだ。「練習の大変さ、勝った時の喜び。そして負けた時の悔しさ。それを知っているから野田のOBはみんな強いんです。」と我が子の成長を喜ぶような口ぶりだ。

「卓球用具も塾講師も同じ。お金がかかっても最高のものを選ぶことが結果に繋がる。」と語る橋津氏

橋津の勝利への執念は練習現場でも垣間見える。長年指導者をしていると指導法が凝り固まってしまうこともあるが、橋津は柔軟だ。野田学園に在籍する20人の練習メニューは8割が橋津の手によって作成されるが選手に委ねることもある。さらに橋津自ら大量の卓球動画に目を通し、生徒の性格や体格、戦型に合ったメニューを考案する。いわば“セミオーダー”の練習メニューを組み上げる。

そこまで勝ちに徹する橋津が強いこだわりを持つのが用具だ。個人の力量を最大限に引き出す用具を選択した選手が勝つ姿を橋津は何度も見てきた。

「卓球の場合、用具と選手のマッチングが勝負に直結することもあるんです。勝つためにはできる限りのことはしたい。もちろん費用の問題もありますが、例えば受験のために塾に行く場合でも、アルバイトの大学生講師に教わるのと、何年も実績を持ったプロの講師に習うのとでは、その差は歴然ですよね。卓球も同じ。やはり良い用具を使うことが良い結果に繋がる。だから、野田の選手は全員、フォア面に『テナジー05』を貼っているんです。」

勝つために卓球をやっている橋津にとって『用具にこだわる』のはごく自然な発想だ。

一人一人の卒業生の思い出話になると笑顔が溢れる。

現在、43歳を迎えた橋津。入学する生徒たちとは年の差が大きくなる一方だ。今後のスタンスについて「一緒に泣いて、一緒に笑う。まさに運命共同体なんです。」名将はそう言って破顔一笑する。

これからも「橋津流」が日本の卓球界を熱くしてくれそうだ。

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取材・文:武田鼎(Rallys編集部)/写真:伊藤圭

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