【#2森薗美月】もう卓球台捨てたい!“緑色の目”の父と迎えた、過酷な〈ガチ卓球〉


2018年4月にプロへの転向を表明した森薗美月。いとこの森薗美咲・政崇と卓球で遊んだのをきっかけに「卓球一家・森薗家」のいち員として導かれるように卓球の世界へと足を踏み入れた。愛媛県で父とともに卓球に興じるが、小学3年の最初のターニングポイントを迎える。待っていたのは「本格的な卓球」だ。

森薗美月インタビュー第1回はこちらから

「卓球台を捨てたい」“エンジョイピンポン”から“本格卓球”の世界へ

 小3になると清水クラブからえひめTTCに移った。中国出身の張良コーチがおり、技術面の指導を受けることができるからだ。TTCは松山市内に練習場があることから、移動時間も短くなり、練習に多くの時間を費やすことができるのも大きかった。

 技術的な練習が始まると厳しさが増した。「エンジョイピンポン」から「本格卓球」の世界へと足を踏み入れたのだ。午後5時から個別練習を始め、午後6時から9時までえひめTTCの練習時間になる。父がフラリと現れることもしばしば。練習中は何も言わない父だが、最後の練習試合でミスすると顔色が変わった。

森薗らしいユニークな言葉で振り返る。

「サーブをミスると目が“緑色”になるんです」。

練習帰りの車内ではいつも張怡寧のビデオを見るのを楽しみにしていたが「緑色の目」になった父が、自分のビデオを見始めると「やばい…」と冷や汗を垂らした。
 
 午後10時に家に帰るとリビングに置かれた卓球台で練習が始まる。

 そこからは根性マンガさながらのスパルタトレーニングが始まる。父の猛烈なスマッシュについ体が反応して、避けると大変だ。父の「避けるな!」という厳しい言葉が飛んでくる。体はクタクタだが、球も叱責も止むことなく飛んでくる。ときには日付が変わるまで親娘そろって卓球にのめり込む日もあった。

「正直、家に卓球台があるのを恨みました。最後は、マジで捨てたい。捨ててくれる業者を呼ぼうって思っていました」

風邪を引き、熱が出ても「鏡の前で素振り1000回」をやりぬいた。練習は365日、小学校を卒業するまで1日も休まず打ち込んだ。卓球漬けの日々の中、森薗は着実に強くなっていった。

あまりの辛さに「もう辞めたい」と思うこともあった。するとタイミングよく母が「辞めてもいいんだよ」と声をかけてきた。そう言われると逆にやめられなくなる。森薗がラケットを置かなかったのは清水クラブでの経験が大きかったという。

「厳しくてつらくても辞めなかったのは、清水クラブで『卓球は楽しい、競い合うのは楽しい』という土台をつくってもらったからです」

  父と張良という2人のコーチに育まれ、森薗は、強くなっていった。

「張コーチの存在はすごく大きかった。技術面、特にバックサイドを教えてもらい、両ハンドのスタイルの確立を目指しました。『攻撃は最大の防御だ』と言われ、しっかり振れる選手になること、逃げないで攻めるように言われました」

 張コーチが提唱したスタイルは、森薗の性格にもフィットしていた。

「基本的に私は、大の負けず嫌い。クラシックバレエをしている時も、『あの子に絶対センター取られたくない。私がセンターよ』と平気で口に出していう子どもでした」

 卓球のスタイルと性格のシンクロが、森薗の成長を加速させていったのだ。

 そして、最初のピークを迎えることになる。

念願の日本一でもぬぐい切れなかった不安感

 小6の時、全日本卓球選手権カデット(中1以下)のシングルス、決勝の相手は同じ四国出身の前田美優だった。前田とは小学1年の練習試合で対戦して以降、良きライバルだ。小6の大会ではファイナルゲームまでもつれたが、粘って初優勝を果たしたのだ。

「美優がいたから私は成長できた。小1以来、負け越していましたが、小4の時に四国大会で初めて勝つことができたんです。でもやっぱり全国大会では勝てなくて小6のホープスの決勝でも負けて……。本当に悔しくて絶対に勝つんだという気持ちでカデットまで練習してきたんです。それで勝てたので本当にうれしかったですね。今の私があるのは彼女がいてくれたらからだと思っています」

 ライバル対決を制し、小6で頂上に立った。

 父からは「良かったな。でも、まだ上があるぞ」と冷静な声で言われた。

 望んでいた日本一だが、その頂はそれほど居心地のいいものではなかった。

「私は、年下の美誠(伊藤)ちゃんや美宇(平野)ちゃんたちの中にいて、彼女たちに追いつこうと必死にやってきたんです。強い選手、勝ち続けている選手は緻密ですし、総合力が高い。私はひとつが飛びぬけているけど、ダメなものも多い。優勝したけど、まだ技術があやふやで自分のスタイルも完成していない。勢いだけで勝った感じなので自信を持てなかった。これで大丈夫かなって……」

 自分にしか分からない言いようのない不安感。

 しかし、周囲は「期待の星」として森薗を高く評価した。全国の卓球強豪中学校から勧誘が増え、JOCエリートアカデミーからも声がかかった。

 自分が強くなるために――。森薗はその一点で進路を決めたのである。

【#3森薗美月】「卓球が全てなんです」のしかかる重圧、襲う試練、大怪我で選手生命の危機に続く

取材・文:佐藤俊(スポーツライター)、写真:伊藤圭
撮影地:中目黒卓球ラウンジ

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