インハイダブルス8強、関西学生リーグ通算33勝の男が実業団の誘いを断った理由「卓球は最強のガクチカになる」 | 卓球メディア|Rallys(ラリーズ)

写真:関西学院大学時代の大野聖弥さん/撮影:ラリーズ編集部

卓球×インタビュー インハイダブルス8強、関西学生リーグ通算33勝の男が実業団の誘いを断った理由「卓球は最強のガクチカになる」

2025.12.13

宮崎から石川の名門・遊学館高校へ。全国大会での躍進、関西学生リーグでの活躍がありながら保険営業の道に進んだ大野聖弥さん。

両親の助言と、ビジネスの現場で感じた”人生は出会いで決まる”という哲学があった。

高校時代は全日本選手権ダブルス16、インターハイベスト8という実績を持ちながら、あえて実業団ではなく一般企業を選んだ理由に迫った。

関西学生リーグで通算33勝


写真:インタビューに応える大野さん/撮影:ラリーズ編集部

――まず、大野さんの簡単な自己紹介をお願いします。
大野聖弥さん:大野聖弥です。宮崎県出身で、中学までは宮崎に住んでいたんですが、高校は石川県の遊学館高校に進学しました。その後、大学で兵庫の関西学院大学に進み、現在は社会人1年目として保険業界で働いています。
――ありがとうございます。高校・大学時代の戦績も簡単に教えていただけますか?
大野聖弥さん:高校時代はインターハイの男子ダブルスベスト8で、全日本選手権も男子ダブルスでベスト16に入りました。大学でも関西学生選手権の男子ダブルスで優勝して、関西学生選抜という関西学生選手権の上位選手だけが選ばれる試合ではシングルスで優勝できました。

あとは、団体戦が好きで、関西学生リーグでは通算で33勝3敗という成績を残しました。


写真:大学時代の大野さん/撮影:ラリーズ編集部

――ご両親も卓球をされていたとお伺いしました。
大野聖弥さん:はい。母が和歌山銀行、父は住金(現:日鉄物流ブレイザーズ)で実業団選手をしていました。
――大学卒業後は実業団からの誘いもあったのではないでしょうか?
大野聖弥さん:はい。実際に誘われたところもありました。最初は実業団選手になるつもりで両親にも「実業団に入る」と伝えたんですが、両親からは「選手生命が短いからやめた方がいい。残れる実力があるならいいけど、残れないなら絶対やめた方がいい」と、はっきり言われました。

私自身も、実際に両親が実業団を引退後に卓球教室や卓球ショップの運営、その他の仕事なども経験していた姿を見ていたので、「選手生命は短い」という言葉の重みは感じていました。


写真:大野さんは実業団からの誘いがあった/撮影:ラリーズ編集部

大野聖弥さん:なので、大学3年の終わりから4年の半ばくらいまで悩んだんですが、両親にも「一度社会人を経験してからでも戻れる」と言われたので、一般企業への就職を決めました。

就活の軸は「直感」と「金融」

――現在の仕事内容を簡単に教えてください。
大野聖弥さん:生命保険を中心に、個人のお客さまに対して営業を行っています。毎朝8時半に出社して、自分で電話をかけてアポを取ります。既にご契約いただいているお客さまへのルート営業もありますし、新規のお客さまを開拓することもあります。

基本的には自分からガツガツ営業する感じですね。


写真:最初は就活のやり方がわからなかった/撮影:ラリーズ編集部

――就活はいつ頃から始めたのでしょうか?
大野聖弥さん:3年の11月とか12月ぐらいに始めたので、他の方よりは遅かったと思います。それまでは卓球しかしてこなかったので、企業面接に行ってもあまりピンときませんでしたし、「何をすればいいかわからない」という状態でしたね。
――そのなかで、どのようにして就活の軸を決めたのでしょうか?
大野聖弥さん:実は、最初から「金融業界」という軸は決まっていたんです。銀行か保険のどちらかという選択肢のなかで、最終的に保険業界に決めました。

その理由は2つあります。1つは、保険営業で成績を出せばお金を稼ぎやすいからです。もう1つは、実際に両親が病気をした経験です。昔、父が心臓病で入院・手術をしたことがあったんですが、その当時は保険に入っていなくて、かなり大変だったんです。

その経験から「保険に入らずに後悔する人を減らしたい」という想いで、保険業界に決めました。


写真:直感的に入社を決めた/撮影:ラリーズ編集部

――会社選びはどのようにされたのでしょうか?
大野聖弥さん:僕はかなり直感的に決めました。数社見させていただいたなかで、「この企業のオーラはすごいな」と感じた企業があったんです。その企業の人事をされている方が卓球をやっていて、僕自身も試合をしたこともあります。その方の話を聞いたときに、「ここの企業に行きたい」と思ったんです。

正直、細かい仕事の話は詳しく覚えていなかったんですが、「自分もこんな人になりたい!」という感覚で決めました。もちろん、その他の会社の話も聞かせていただいたんですが、僕にはその企業以外は見えませんでしたね。

――具体的には、その企業のどういった部分に魅力を感じたのでしょうか?
大野聖弥さん:保険代理店という形態かつ、卓球経験者がいるということが一番大きかったです。

代理店なので一社だけを扱うのではなく、数多くの保険会社の商品を扱っています。競合他社への乗り換えも目に見えるので、自分の将来の資産形成やライフプランを考えるうえでも、さまざまな保険会社を見ておきたいというのもありました。

また、先輩や上司に卓球経験者の方がいてくださると、気軽に何でも相談しやすいと感じたこともありますね。

遊学館での「死ぬ気の練習」をガクチカに


写真:高校時代は練習漬けの毎日だった/撮影:ラリーズ編集部

――ガクチカ(学生時代に頑張ったこと)では、卓球経験が役立ちましたか?
大野聖弥さん:かなり役に立ったと思います。ガクチカでは、「挫折経験」と「努力できるところ」について書いたんですが、いずれも卓球での話でした。

特に「努力」の部分では、遊学館での経験を語りました。高校に入るまでは全国大会1回戦負けのレベルだったんですが、遊学館に入って365日練習をしたおかげで、最後のインターハイではダブルスでランクに入って、全日本選手権でもベスト16に入れました。

「高校3年間で何があったのか」と振り返ったときに、規定練習をこなして、その後にトレーニングと自主練をする生活で、本当に遅い時は夜中の1時、2時まで練習していました。文字通り「死ぬ気」で練習していたので、この努力は誰にも負けないなと思ってガクチカにも使いましたね。


写真:怪我がありながらも団体戦では33勝3敗という戦績/撮影:ラリーズ編集部

――挫折経験のほうはどのような内容だったのでしょうか?
大野聖弥さん:大学時代に、コロナが明けて練習を再開したときにヘルニアになってしまったんです。動いたら足がしびれるほどひどくて、そこから3ヶ月は練習ができなくなりました。

なので、そのときの関西学生選手権ではすぐに負けてしまって落ち込んだんですが、気持ちを切り替えて、痛みに耐えながらも練習を再開して、徐々にヘルニアを治していきました。

そこから最終的にはリーグ戦で活躍できたので、その経験を挫折経験として書きました。


写真:卓球経験が就活に生きた/撮影:ラリーズ編集部

――就活で苦労したことは何ですか?
大野聖弥さん:僕は結構人見知りだったので、初対面の方と話をするのはかなり緊張してしまうんです。なので、質問されたことにしっかり答えられるかどうかは、本当に不安でした。

ただ、ガクチカに関してはまったく苦労しませんでした。卓球で書けるネタはたくさんあったので、そこはスムーズに進められました。

卓球部の後輩へのメッセージ

――最後に、今卓球をされている後輩へのアドバイスをお願いします。
大野聖弥さん:僕自身が遅めの時期から就活を始めたので、「もっと早くから就活を始めたほうがいい」というアドバイスをしたいです。就活は時間がなくなるほど焦ってしまいます。なので、なるべく早めに就活を始めて、「自分が行きたい会社に絶対受かる」という強い気持ちで就活を進めたほうがいいです。

あとは、卓球は社会人になっても趣味で絶対できます。ずっと卓球でご飯を食べられる人は限られた一握りだけなので、実業団を考えていたとしても、早めに卓球を諦めて就活を始めるのも一つの手だと思います。

ただ、卓球経験は就活において本当に強い武器です。努力の経験、挫折の経験、チームワークの経験、すべてがガクチカになります。なので、卓球も頑張りつつ、早い時期から就活を始めてほしいですね。

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