文:武田鼎(ラリーズ編集部)
14歳という若さで平成最後の全日本卓球選手権で準優勝を成し遂げ、一躍有名になった木原美悠。
いつもニコニコ、笑顔を絶やさぬ令和期待の星だが、「唯一緊張して手が震えた」という試合があったという。その試合を深掘りすると、木原の意外な一面が見えてきた。
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「手が震えた」スターとのダブルス
写真:木原美悠/撮影:伊藤圭
全日本決勝の伊藤美誠戦でも緊張しなかった、という木原が唯一「手が震えた」という試合、それは「Tリーグで石川佳純さんとペアを組んだときですね」と明かす。日本一を決める舞台でも緊張を見せなかった木原は、なぜ石川とのペアでは緊張したのだろうか。
「石川さんは頼りになるから、自分が入れさえすれば石川さんが決めてくれる。私は“リターンさえ”すればいい。なのにそれができない、って思うと情けなくて。それで負けたらもう完全に自分のせいですよね。もう自分が許せないって感じ。なんかそう一度考え出すと、サーブのときに手が震えちゃって」。
どんなときでも明るく笑顔。天真爛漫な卓球少女が唯一苦手とするのが「考えること」だという。「色々考えてどうしようどうしようってなると固くなっちゃうんです」。得手不得手がはっきりとしているが、どのような幼少期を送っていたのだろうか。「子供のときから人前に出るのは好きで。兄弟はそうでもないんですけどね…。私だけ、こんな感じ(笑)!」。
「こんな感じ」とざっくりとした自己分析だが、幼少期を紐解くと、相当にストイックな練習環境に身を置いていた。「お父さんは厳しかった。3歳でラケットを握って、4歳から素振りの練習です。幼稚園の頃には、しごかれてましたね」と振り返る。だが、この過酷な練習が今の木原に大きな影響を及ぼしている。「何千本って多球練習をしたけど、自分からは絶対に休憩しなかった。でもそこで止めたら負け、みたいな気がして」。アスリートに不可欠な負けん気は幼少期に培われていった。
だが、木原と話していて不思議なのは若いアスリートにありがちなガツガツした様子は感じない。それを感じさせないのが木原らしさだろう。
今では兵庫の親元を離れ、赤羽のエリートアカデミー、通称「エリアカ」から中学校へ通い、学校が終われば練習に打ち込む日々だ。文字通り「エリート」たちが集い、寝食を共にしている。親元を離れる寂しさはないのだろうか。「ホームシックになることはないですね。昔から各地を遠征してたんで」。あっけらかんとしている。木原は現在、長崎美柚と小塩遥菜と3人部屋で共同生活を送っている。
「3人とも歌が好きで。部屋ではスピーカーで音楽をかけて、カラオケしてます。普通に部屋の中でも歌ってますよ!」。木原もコートの外では“普通の中学生”だ。ちなみに木原の十八番は「AIのStoryは最高に好きですね。あとは…赤いスイートピーも歌うんですよ!」。松田聖子をチョイスするあたり、やはり“普通の中学生”ではないのかもしれない。
歌が好きなのは木原家共通のようだ。「実は家族も歌が好きで…。今年のお正月は実家に帰ったんですが、家にカラオケがあるんです(笑)。そこでひたすら歌っていました」。
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意外な課題とは
写真:木原美悠/撮影:伊藤圭
話を卓球に戻そう。目下、自身の課題はどこにあるのだろうか。そうぶつけると、「んー…」と長考した結果、「勉強です」の一言。どんな大舞台でも動じない強心臓の中学生を苦しめるのは「数学」だという。
いまだ成長途上の木原はどこまで駆け上がることができるか。東京もパリもその先にある大舞台も見据える木原の“大化け”の日はもうすぐかもしれない。