郷愁である。
約67年に及ぶ営業を終えた卓球場を、閉めた後に紹介するのは遅すぎるのだから。
山手卓球場。1958年(昭和33年)3月に高田馬場さかえ通りに卓球場を構えて約67年、2024年12月15日に惜しまれながら、その営業を終えた。
“気軽に立ち寄れる卓球場”
1950年代当時、まだ日本に主婦の働き口が少なかった頃、卓球場経営が婦人のサイドビジネスとして流行した時代があった。1952年世界選手権ボンベイ大会優勝で、日本卓球の黄金期がやってくる前後の話だ。
当時、高田馬場界隈にも住居を改装した小さな卓球場は幾つもあったが、山手卓球は卓球場として建てられたため天井が高く、愛好家たちにも親しまれた。
写真:山手卓球場の室内/撮影:ラリーズ編集部
それから約67年。
卓球史に刻まれる選手を輩出したわけではない。強化の拠点だったわけでもない。
ただ、気軽に立ち寄れる台貸し卓球場として、高田馬場さかえ通りで卓球場の灯を守り続けた。小道に面した立地とは裏腹に、実に間口の広い客層に“ちょっと卓球でも”、の機会を提供し続けた。
写真:山手卓球場の受付/撮影:ラリーズ編集部
時代は移り変わり、高田馬場も早稲田も街並みが綺麗になっていったが「さかえ通りに山手卓球がある」という変わらぬ景色の1点は、卓球場の中に入ったことがない人にさえ、安心感や追憶の気分をもたらしていた。
2024年現在、特に都市部においては、公共体育館はもちろん、マシン専用や24時間使える卓球場、さらにはラウンドワンなどのアミューズメント施設内の卓球台など、多様な“卓球する場所”の選択肢がある。
山手卓球場のような昭和の卓球場が長く繋いできた卓球場文化は、また次の形へと引き継がれている。
写真:営業最終週の山手卓球場の様子/撮影:ラリーズ編集部
閉店の理由
その営業最終週でさえ、閉店を知らずにコーヒーを片手にふらっと卓球しようとやってきた、初来店の若いお客さんもいた。山手卓球の醍醐味だ。
閉店には、建物の老朽化、現在の建築基準法に合わせた改築の難しさ、オーナーの高齢化など幾つもの理由が重なったが、最後に決心させたのはコロナ禍だった。
「コロナ禍で人の流れが変わってしまいました。飲みに出る人も減り、常連だったお客さんも別の場所で練習するようになってしまって」
店主の富田真俊さんは振り返る。富田さんの母・あやさんが67年前、山手卓球場を開業した。
写真:店主の富田真俊さん/撮影:ラリーズ編集部
「楽しかったよ」が一番の思い出
一番印象に残っていることは、と富田さんに尋ねると、少しだけ言葉を詰まらせながら、こう答えた。
「楽しかったよって言って、帰っていくお客さんたちの顔です。特に、閉めると発表してから、いろんな方が来てくれて改めてそう思います」
年明け1月から取り壊しが始まる。
ぜひ年末年始、近くに行った際には覗いてみてほしい。もう営業はしていなくても、ドアの向こうに昭和から続いた卓球台の音の余韻が聞こえるかもしれない。
その郷愁を噛み締めながら、一句。
「いつまでも あると思うな 卓球場」
写真:山手卓球場/撮影:ラリーズ編集部