亀澤(旧姓:佐藤)理穂(かめざわりほ)の名前を知っているだろうか。
ろうあ者(聴覚障碍者)スポーツの最高峰、デフリンピック卓球競技に4大会連続で出場、これまで8個のメダルを獲っている“レジェンド”アスリートである。
日本において、デフリンピックの知名度は低い。
こんなに強いアスリートが卓球競技にいるにも関わらず、である。
丁寧な手話通訳者にも同席してもらった今回、多くの質問を投げかけた。
生まれつき耳が聴こえず、卓球を愛する家族の元に生まれてきた、一人の“ママアスリート”に。
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シングルス決勝トーナメント直前で日本選手団全員が棄権
前日までに、亀澤さんは団体銀メダル、ダブルス銅メダル。シングルスに懸ける思いは強かったはずです。
これまでデフリンピックに4回出場して、それぞれ2つのメダルを獲ってきたので、2022年ブラジル大会こそ、3つのメダルを目指していました。
戦う前にまたメダルが2つになってしまうこと、正直それは残念でした。
でも、コロナ禍で無事に開催できたことへの感謝と喜びもあって、うん、半々くらいの気持ちでした。
例えば、2013年ブルガリアのデフリンピックのダブルス決勝戦。
元々小さいときから知っている、上田萌選手(2014年に引退)とペアを組んでいました。
最後はデフリンピックで金メダルを獲ろうね、という約束を二人でしていました。
決勝まで進んで、あと1回勝てばというところで、3ゲーム目の途中で私が左足首を捻挫したんです。回り込もうとした一瞬。
結局、靭帯が伸びていたんですが。
写真:亀澤理穂(住友電設)/撮影:ラリーズ編集部
佐藤真二監督「これはダメだ」
タイムアウトのベンチで、父でもある佐藤真二監督から「これはダメだ、もうあきらめなさい」と言われました。
でも私は最後まで戦いたいという気持ちが強くて、痛みはありましたが、最後まで戦いました。その後1ゲームは取ったんですけど。
写真:当時の監督である父・佐藤真二と亀澤理穂/提供:卓球レポート/バタフライ
でも、あのとき続けなかったら一生後悔したと思います。やってよかったと思っています。
写真:亀澤理穂(住友電設)/提供:卓球レポート/バタフライ
写真:上田萌(写真右)・亀澤理穂ペア/提供:卓球レポート/バタフライ
写真:亀澤理穂(住友電設)/撮影:ラリーズ編集部
あの感動をもう一度
外国からいらっしゃる方ももちろんなのですが、日本にいる方に、またあの感動を届けられるチャンスが来たと。
写真:2012年世界ろうあ者卓球選手権東京大会5番で勝利した亀澤理穂/提供:卓球レポート/バタフライ
ベンチに戻って、みんなとハグしたとき、ああ現実なんだ、やったあと思って、感情が沸き起こってきたことを覚えています(笑)。
写真:亀澤理穂(住友電設)/撮影:ラリーズ編集部
勝たなきゃと思うと同時に、自分のためではなく応援してくださるみなさんのために、この特別な環境でできる卓球を楽しもうと思いました。
日本で、デフリンピックはとても知名度が低いです。今回の2025年デフリンピック東京大会を、PRできるチャンスにしたいと思っています。
写真:亀澤理穂(住友電設)/撮影:ラリーズ編集部
デフ卓球強豪国の理由
国際大会に出るたびに、ベテランも新しい若手もびっくりするくらい強くなっています。
韓国は、メダルを獲ると国から、生涯に渡って年金をもらえるから自分の時間がたくさん作れる、と聞いたことがあります。
ウクライナはそもそもメダルを獲ると、家がもらえると(笑)。そんな制度が日本にもあればまた違うのかなあと、海外の選手に会うたびに思います。
写真:亀澤理穂が獲得してきたメダルの数々/撮影:ラリーズ編集部
復帰の理由は“ママアスリート”
不思議に思うのが、既にメダルも多く獲り、でもその報酬は決して多いわけではない日本で、もう一度その目標に向かって復帰したのはなぜですか。
でも、ろう者の中にも子育てしながら続ける“ママアスリート”の方もいて、子どもから「ママ、頑張って」と言われる、というSNSの投稿を見て、私もまだ頑張れるんじゃないかと。
健常者でも難聴者の中でも“ママアスリート”を諦めた人は何人もいます。
でも、経験しないまま諦めてしまうのは自分は嫌だなと思い、よし、経験してみようという気持ちで復帰しました。
写真:亀澤理穂(住友電設)/撮影:ラリーズ編集部
子育てと、仕事と、家庭と、練習と、トレーニングと、たくさんのことをやらないといけないのに時間は限られています。
写真:亀澤理穂(住友電設)/撮影:ラリーズ編集部
普通に働いて、仕事が終わってから練習に行くと、あまりに時間が無いのと、お金の面でも自己負担が多く苦しかったので、2022年2月からアスリート雇用していただける会社(住友電設株式会社)に転職しました。
それによって、少し時間に余裕ができましたし、活動に係る諸費用を支援いただいております。それが大きなポイントだったのかなと思います。
補聴器が禁止されているデフリンピック
耳に頼ることができないぶん、目からの情報に集中します。
初めてデフリンピックに出場が決まったとき、補聴器が禁止されてることを知りませんでした。人それぞれだと思いますが、私は慣れるまで一年くらいはかかりました。今でも慣れませんが……(笑)
回転の音、台にボールがつくときの音、相手が打ったときの音、すべての音が入らないので、スマッシュとドライブをどう判断するのか、どうやって回転量を判断して合わせていけばいいのか、今でも私は順応するのが大変なタイプだと思います。
写真:亀澤理穂(住友電設)/撮影:ラリーズ編集部
私たちは当たる最後までボールを見ている
耳が聴こえる健常の選手は、ネットを超えるあたりでボールを見終わっている。
私たち聴こえない選手は、当たる最後までボールを見ている。それくらい私たちは目を使っていることを知りました。
目からの情報に集中しすぎて、視力も落ちてきました。
耳の聴こえないママアスリートの子育て
あとは、2、3歳くらいまでは、まだ耳が聴こえないということがわからないので、私が娘の話していることを読み取れず、“何?何?”って何回も聞くと、もうイヤって怒ってしまうときに、私としては心が痛いときはありました。
でも、成長するにつれてコミュニケーションは取りやすくなってきたので、今は一緒にYoutubeを見たりして、とても楽しいです(笑)。
ママアスリートになって、約4年経ちました。正直まだまだ大変なことはあるんですが、2025年東京デフリンピックでは、日本中の皆さんに感動を届けたいと思っています。
メダルを3個以上、ひとつでも金メダルを獲りたいです。
写真:亀澤理穂(住友電設)/撮影:ラリーズ編集部
取材を終えて
この取材後に行われた全国ろうあ者卓球選手権大会で、亀澤理穂は木村亜美に敗れて2位だった。
「やっと下の選手が出てきた」と嬉しそうに話すその表情に、ずっと日本のデフ卓球を背負ってきた亀澤の葛藤の一端を見た気がした。
これから私たちは、2024年パリ五輪について多くを語るだろう。
その何回に一回でいい、2025年開催のデフリンピック東京大会に懸けるママアスリート、亀澤理穂のことを思い出してほしい。
まずは2023年7月、台北で世界ろうあ者卓球選手権大会が開催されることを胸に刻む。
写真:父・佐藤真二と娘・亀澤理穂/撮影:ラリーズ編集部