勝ち負け以外の価値にあふれていた 日本最南端の卓球市長杯 | 卓球メディア|Rallys(ラリーズ)

写真:石垣市長杯で子どもたちと記念撮影する麻生麗名(日本生命レッドエルフ)と司千莉(香ヶ丘リベルテ高校)/撮影:槌谷昭人

卓球とSDGs [PR] 勝ち負け以外の価値にあふれていた 日本最南端の卓球市長杯

2022.04.28

3.すべての人に健康と福祉を 11.住み続けられるまちづくりを

この記事を書いた人
1979年生まれ。2020年からRallys/2024年7月から執行役員メディア事業本部長
2023年-金沢ポート取締役兼任/軽い小咄から深堀りインタビューまで、劇場体験のようなコンテンツを。
戦型:右シェーク裏裏

指導者は選手を育て、ときに選手に育てられるものだが、ひとつの土地に卓球というスポーツそのものを育むことは、誰の仕事なのだろうか。

これは、石垣島3泊4日の滞在記である。
「石垣島で2回目の市長杯が開催されるので取材に来てみませんか」
元日本代表監督の村上恭和監督から、意外な誘いを受けて、初めての石垣島に行くことにした。

島の子どもたちに卓球は人気

市長杯の前日、石垣島の児童センターで小さな講習会が行われた。
村上監督がロート製薬と共に5年前から続ける、全国の保育園・幼稚園にジュニア用の安全な“こども卓球台”を寄贈するプロジェクトの一つだ。
麻生麗名(日本生命レッドエルフ)や、司千莉(香ヶ丘リベルテ高校)らの選手たちや、岸田聡子(日本生命卓球部監督)さんと共に、島の子どもたちに講習を行うという。


写真:村上恭和×セノビック夢卓球教室が行われた石垣市福祉事務所子どもセンター/撮影:槌谷昭人


使い込まれていた こども卓球台

講師の選手たちが到着する少し前に、集まった島の子どもたちは既に卓球台で遊んでいた。

「いつも卓球は人気で、5分交代にしてるくらいなんです。島の天気は変わりやすいんですが、雨でもできますしね」
児童センターのスタッフの方が教えてくれる。


始まる前から卓球していた

多様な子どもたち

「みんな早く打ちたいだろうから、ちょっとだけ選手たちのお手本を最初に見せますね」
子どもたちの様子を見た村上監督も、開始時間前に講習会を始める。


写真:村上恭和×セノビック夢卓球教室の様子/撮影:槌谷昭人


ラケットの持ち方から教える岸田聡子監督


野球のユニフォームで参加している子も

実に一流の指導陣が、ラケットの持ち方から丁寧に教える貴重な機会なのだが、たぶん子どもたちはそんなことは知らない。

次は、もっとラリーが続くだろうか。
麻生選手のサービス、次は取れるんじゃないか。

また次、また次、と子どもたちが列に並び続けて途絶えない。


麻生選手のサービスにレシーブチャレンジ

なかには、本格的な卓球ユニフォームを着ている子どももいた。
聞くと、2年前に石垣島で開催されたこの講習会で、吉村真晴(愛知ダイハツ/琉球アスティーダ)選手が講師として訪れ、そのプレーを間近で見たことをきっかけに、卓球にのめり込んだという。

家に卓球台を置き、朝6時に起きて、弟と一緒に練習し、夕方は島の卓球場のレッスンに通う。


卓球を始めて2年だが上手だ

大人からすると、ただの一つの講習会だ。
でも、機会の少ない島の子どもにとっては、その後の生活を一変させるほどの体験になるかもしれない。

今、目の前で行われている、小さな講習会の意味を思った。


子どもたちに囲まれる麻生麗名選手

一番しんどいのは今

あっという間に、講師の選手二人への質疑応答の時間となった。
次々と子どもたちから無邪気な質問が飛ぶ。

「何歳ですか」
「64歳です」まさかの村上監督が応えて、子どもや保護者たちも、どっと沸いたり。


写真:子どもたちから次々と質問が飛ぶ/撮影:槌谷昭人


村上恭和監督「あ、私ですか、64歳です」

「一番しんどかったのはいつですか」という質問が出た。
村上監督は少しだけ間を置いて、司千莉選手に水を向けた。
「そうだね…司選手は、ひょっとすると今かもしれません。どう?」
すっと、教室が静かになる。

司選手が、柔らかな笑顔で子どもたちに言う。
「そうですね。少し前に、肘の手術をしたんですね。その後なかなかうまく自分のプレーができなくて」


聞き入る子どもたち

「でも、やっと治ってきたので、これからいっぱい練習します」


写真:司千莉(写真左)、麻生麗名(写真右)

たぶん、子どもたちがずっと後まで覚えているのは、こうしたやりとりだ。
私でさえ、数週間経った今、東京でこの原稿を書きながら、なぜかその質問と答えを妙に鮮明に覚えている。


村上恭和×セノビック夢卓球教室 石垣島開催の参加者

なぜ、ロート製薬は

ところで、なぜロート製薬がここまで、島の小さな講習会にも支援を続けるのだろうか。

実は、ロート製薬はグループ会社に石垣島の農業法人「やえやまファーム」を持ち、島の畜産と農業をリンクさせた“循環型農業”に取り組んでいる。


写真:海を180度見渡せる やえやまファームの幸福牧場/撮影:槌谷昭人

実際に島に暮らして、豊かさも課題も実感するからこそ、その地域貢献への姿勢は、一般的な企業CSR活動よりずっと多岐にわたる。

卓球の講習会はもちろん、小学校でパイナップルの苗植えや品種による味比べ体験の食育授業をしたり、地元の野球部の高校生たちが遠征試合の旅費を確保できるよう、やえやまファームでアルバイトとして受け入れたり。

また、収穫時期に人手が足りなくなる島のパイン農家のために、社会貢献型インターンシップ体験の学生たちをやえやまファームが受け入れ、サポートする取り組みも石垣市と共に始めた。

地域の細かく多岐にわたる課題にアプローチできるのは、“共に島に暮らす”企業だからだ。


中山義隆市長表敬訪問の様子

石垣島の特産品「南ぬ豚」と「石垣牛」

そのやえやまファームの「循環型農業」によって生産され、いま石垣島の新たなブランド特産品として注目を集めているのが「南ぬ豚(ぱいぬぶた)」と「石垣牛」だという。


ブランド牛の石垣牛を飼育する

「南ぬ豚」とは、地場品種の豚に島内で採れたパイナップルの絞りかすを混ぜて発酵させた飼料を与えることで、やわらかくジューシーな肉質になることが特徴だということだ。


写真:2018年TV番組で紹介されて人気急騰した「南ぬ豚網脂ハンバーグ/提供:やえやまファーム

牛や豚の排泄物は、地元の泡盛メーカーの泡盛粕と共に発酵させて農地の液肥として戻し、亜熱帯気候の中でまた、栄養価の高いパイナップルが育つ。


写真:やえやまファームのパイナップル畑/提供:やえやまファーム

島は、巡る。

石垣島の子どもたちの約9割はそのまま石垣島で暮らしていくことを選ぶという。本島や内地に出た大人もまた、人生のどこかのタイミングで石垣に戻って暮らすことが多い。

島に生まれたもの、島にあるものを祝い、活用してきた島の力だ。


自然豊かな石垣島の夕暮れ/撮影:槌谷昭人

80人の石垣市長杯卓球大会

さて、卓球の話だ。
翌日が、石垣市長杯だった。
石垣市、ロート製薬、やえやまファームの共催で開かれる日本最南端のアットホームな大会に、八重山諸島から老若男女の卓球愛好家が駆けつけた、のんびりと。


写真:石垣市長杯の開会式/撮影:槌谷昭人

参加は80人強。少ないと思うだろうか。

「第1回が約60人だったので、すごく増えてるんですよ」

大会を運営する宮良当映(みやら まさあき)さんは嬉しそうに微笑む。自身も約6年前に本島から故郷の石垣島に戻り、手作りの卓球場「アックンTT」を経営している。

この石垣市長杯、運営スタッフも参加者も市職員も見分けがつかないのは、同じフロアでみんなが一体となって手伝い、笑い、応援するからだ。


村上恭和監督もなんだか楽しそう


各カテゴリーの優勝者に用意されたトロフィー


入賞者にはやえやまファームの人気商品・石垣島パインジュース100%も贈呈

前日の講習会に参加した麻生麗名と司千莉の二人も出場し、大会に華を添える。
80人ながら、ラージボールも、ダブルスも、一般、高校生、中学生、小学生以下の部も、とカテゴリーが豊富なのは、島で幅広い世代が卓球を楽しんでいることを表している。

ゆるやかに大会は始まった。
まるで正月に、少しずつ集まってくる親戚たちの寄合いのように。


なんだか似ていたダブルスペアの参加者


気合の入った表情


大阪からも3人がエントリー、会場を沸かせていた

ブンデス4部経験者も

アットホームな会場の中で、ヨーロッパスタイルの卓球で、ひときわ目を引くプレーヤーがいた。


写真:アンディ・ステルター/撮影:槌谷昭人

アンディ・ステルター、45歳。15歳のときにはドイツ・ブンデスリーガ4部、ブレーメンのチームでプレーしていた経験もある。

旅行で訪れたことをきっかけに5年前から石垣島に住み、現在はダイビングのインストラクターと民泊経営で生計を立てている。

「メキシコ、フィリピン、いろいろ住んだけど、どこでも友だちを作るために、最初に卓球をするんだ。ここは食べ物は美味しいし、景色は美しい。家族もできたし、ずっと住み続けるつもりだよ」


ゲーム間に娘さんからおやつのおすそ分け

ちなみに、当日急遽飛び入りで男子ダブルスに参加することになった私も、このアンディと、地元の有望な12歳・仲里剛虎(なかざとたけと)選手のペアに負けた。

試合後、アンディが私の肩を叩いて、こうねぎらった。「卓球は長い道だからさ、知ってるだろう?」

良い奴だ。


麻生麗名(日本生命レッドエルフ)も参加して


“男子シングルス”で優勝した

弟とダブルス組んで金メダル獲りたい

昨日の講習会で見かけた兄弟で出場していた。


写真:長島向くん/撮影:槌谷昭人

「将来の夢は、五輪シングルスで金メダルです」と言い切った後、あ、でもやっぱり、と言い直した。
「できたら、弟とダブルス組んで金メダル。僕はシングルスのほうが得意なんだけどね」弟思いの兄だった。


長島向くん・礼汰くん兄弟

弟・礼汰くんは、市長杯の敗戦に「もう二度と卓球なんかしない」と、体育館の廊下ですねていた。それをお母さんが、優しく、ときに厳しく諭す。
日本中で見られる光景は、島にもあった。


礼汰くん、卓球は長い道だからさ

一輪の花

大会にも、旅にも、終わりがある。

西表島からやってきていた一団は“せっかくこんな良い台で打てるんだから”と、表彰式が終わっても、乗船時間が近づくまでラリーを楽しんでいた。


写真:試合も練習も楽しむ参加者たち/撮影:槌谷昭人

「また会いましょうね」
八重山独特の柔らかな言い回しで、参加者たちは別れを告げる。

「お元気で」や「今度はもっと上達してるからね」や「もうコロナに落ち着いてほしい」など、多くの祈りと願いを込めた、平凡な言葉である。

卓球ができる時間というのは、平凡で穏やかな暮らしに咲く、一輪の花だからである。

次は、10月開催。
気候も落ち着く石垣島の隠れたベストシーズンには、どんな花が咲くだろうか。


写真:石垣市長杯の参加者・スタッフ/撮影:槌谷昭人


島の子どもたちは終始リラックスしていた

(終わり)

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