6月の関東学生、7月のインカレも制し、10月には国内の大学生最強を決めるシングルスのトーナメント「全日学」で優勝を果たした男、及川瑞基。今、「学生最強」と言えばこの男の名前があがる。これまで全6回かけて及川の半生を綴ってもらった。今回は最終回。ブンデスリーガ1部に上り詰めた及川から見える景色とは。
今、僕はドイツのブンデスリーガ1部で戦っている。今まで6回、僕の卓球人生を拙い言葉で語ってきた。ラリーズ編集部と話していると気づけば、「負けた話」ばかりしていた。この連載もド派手な勝利の話しよりも、負けの話が多い。おそらくそれだけ負けが印象に残っているのだろう。でも数々の負けが僕を強くしたことは間違いない。そのおかげで、今、ドイツのブンデスリーグ1部にまで這い上がってきたからだ。
>>【及川瑞基が歩んできた道#6】「やっちまった…」のしかかる9連覇の重圧 雪辱果たしに、再びドイツへ
大学2年で1部に這い上がる
写真:大学2年生時のブンデスリーガ。2階席まで観客で埋まっている。 提供:及川瑞基
試合の出番の直前、控室では、青森山田入学以降続けてきた体操をゆっくりと始める。まずは肩を回して、首をほぐす。最後に屈伸をして徐々に自分の体をチューンアップしていく。自分の登場を待つ観客たちのざわめきが控室にまで届く。扉が開いた瞬間、ざわめきが歓声にかわり、一つの音になって僕の体を叩く。「自分を見てもらう時間だ」。僕はプロ卓球選手になった。
1部に立ったのは大学2年生の頃だ。4部から2部、1部と上がっていくにつれ、景色が変わった。20人だった観客も800人、1000人へと増える。入場するときもサッカーの試合のように子どもと手をつないで入場する。自分の名前がコールされ、戦績・特徴がコールされ、音楽が鳴る。「これが1部か…」。味わったことない緊張感。自分の体に火が入る。
今でこそ1部で好成績を残せるようになったが、1部でのデビュー戦は散々だった。アサールというエジプト人の選手に1−3で敗れてしまった。「次頑張ればいいさ」と励ましてくれる観客もいたが、報酬がシビアに決まるプロの世界にあって、そんな言葉は慰めにしかならない。
1部に入って感じたのは技術の高さやパワーの強さだけではない。何より食い下がって貪欲に勝ちを狙うメンタリティだ。2部とは大きな差があった。例えば一点とったときに声をだして自分を奮い立たせていく選手や露骨に表情を顔に出す選手。彼らの感情を読み切って「相手の嫌な戦い方」ができるようになった、「卓球とはズル賢いプレーヤーがかつスポーツ」とはよく言ったものだ。
嬉しいことにドイツでは僕のファンもいる。僕のユニフォームを来た6,7歳の子どもが試合後に声をかけてくれる。「なんで小さな日本人がパワーのあるボールを打てるの?」と無邪気に聞いてくる。
今年、日本ではTリーグが開幕した。もちろん興味がないと言えば嘘になる。だが、まだ少しの間、僕はドイツで修行を続けようと思う。いつか、日本に帰ってきたら、その時は僕の卓球の力で日本のファンを驚かせてやろう、そんなことを企んでいる。
終
以前の連載はこちらから
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