文:ラリーズ編集部
<天皇杯・皇后杯 平成30年度全日本卓球選手権大会(一般・ジュニアの部)丸善インテックアリーナ大阪>
1月20日、平成最後の全日本選手権で13年連続決勝進出、V10という、前人未到の記録が誕生した。水谷が初めて優勝した2007年の全日本選手権、誰がここまで水谷が王座に立ち続けることを想像しただろうか。
水谷は言った。「1回優勝するだけでも死ぬほど大変です。自分を褒めたい」と。そして「これからも若手の壁で有り続けたい」と。今回はなぜ、水谷隼がここまで長い期間“壁“で有り続けることができたのか、大島祐哉との決勝を振り返りながら徹底分析していく。
全日本卓球2019・男子シングルス決勝:水谷隼vs 大島祐哉
写真:大島祐哉(木下グループ)/撮影:ラリーズ編集部
<スコア>
大島祐哉(木下グループ) 2-4 水谷隼(木下グループ)
13-11/6-11/7-11/6-11/11-9/5-11
1:ストップからの展開が豊富
写真:水谷の得意技、ストップ。水谷はストップ後の展開も豊富だ/画像:ラリーズ編集部
迎えた全日本の決勝戦。水谷に対するは水谷のダブルスパートナーでありながら、Tリーグ・木下マイスター東京のチームメートでもある大島祐哉であった。手の内はお互いに知り尽くしているはずだ。
大島は高い身体能力を活かして火力のあるフォアハンドを叩き込む、豪快なプレースタイルだ。水谷はこのフォアハンドドライブを封じつつ、自分が攻める展開を作りたいところであった。
だが、第1ゲームは大島がフォアハンドで攻め立て、僅差でゲームを奪取した。そこで、水谷は第2ゲーム以降、水谷の得意技でもあるストップ(台の上で2バウンド以上するように返球する守備的なレシーブ技術)を多用し、大島の攻撃を封じにかかる。
水谷はストップの名手で、どんな回転のサーブでもストップができるため、大島は自分の思ったような展開を作れない。水谷は大島がダブルストップ(ストップに対して、もう一度ストップすること)してきたボールをバックハンドで厳しいコースに打球。このパターンで水谷がラリーの主導権を握った。大島も試合後「水谷さんのストップに上手く対応できなかった」と敗因を述べていた。
2:全く下がらないプレースタイルへの変化が可能に
ゲームカウント3-1水谷リードで迎えた第5ゲーム、大島はストップを防ぐために、ついにロングサーブを水谷のバックに繰り出す。ボールを水谷のフォアにも集め始め、足が動き始めた大島が波に乗る。このゲーム、水谷は守勢に回り、大島にゲームを取り返されてしまった。
しかし、水谷がこの試合ロビングしている回数を数えてみると、ネットやエッジのボールを拾ったアンラッキーな場合を除けば、ほぼ0だった。張本智和に代表されるような台の近くでプレーする「前陣速攻型」のプレースタイルと言える。
とはいえ、水谷が完全に台から離れない現代卓球に迎合したわけではない。水谷の長所である変幻自在のプレースタイルは失われていないのだ。例えば昨年のワールドツアー・グランドファイナル、中国の新星・梁靖崑戦では、ロビングからの逆襲を頻繁に行い、梁靖崑を錯乱させていた。
まさにオールマイティなプレースタイルを確立したと言えるだろう。相手に合わせて最適なポジションでプレーができるのだ。第6ゲームは水谷も両ハンドで待つことを止めて、再び大島のチキータを狙って3球目攻撃をしたり、大島が回り込んで打ってきたボールを攻撃的にブロックしたり、つなぎのボールを大幅に減らした。
大島が打っても打っても下がらない上に、甘いボールは水谷がフォアハンドで仕留めるため、大島は万策尽き、水谷が大差でV10を決めたのである。
水谷は、優勝後の記者会見では「若い選手の卓球に僕らの世代は適応できない」と語っていたが、水谷は自らの良い部分を残しつつ、最先端の卓球を取り入れる、まさにハイブリッドなプレースタイルを確立したと言えるだろう。
水谷隼の飽くなき闘争心がある限り、水谷のプレーは進化し続ける。そして、若手の壁で有り続けるはずだ。日本の絶対的エース、ここにあり。