「卓球どころじゃなかった」記録的な大雨災害の青森県鯵ヶ沢町から参加した少年の"希望"<ロート製薬杯全国ホープス> | 卓球メディア|Rallys(ラリーズ)

写真:長谷川志丈(弘前卓球センター写真右)と工藤海希(弘前卓球センター/写真左)/撮影:ラリーズ編集部

大会報道 「卓球どころじゃなかった」記録的な大雨災害の青森県鯵ヶ沢町から参加した少年の“希望”<ロート製薬杯全国ホープス>

2022.08.14

この記事を書いた人
1979年生まれ。テレビ/映画業界を離れ2020年からRallys編集長/2023年から金沢ポート取締役兼任。
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<ロート製薬杯 第40回全国ホープス卓球大会 日程:8月13日~15日 場所:東京体育館(東京都)>

全国ホープスのチーム登録選手は、3人または4人だ。
ただ、そこには多くの周囲の人の希望が懸けられている、という話である。

青森県から参加した長谷川志文(弘前卓球センター)の自宅は、青森県鯵ヶ沢町にある。
9日から10日にかけて記録的な大雨に見舞われ、多くの住宅浸水を含む深刻な被害が出ている地域だ。


写真:大雨に見舞われた鯵ヶ沢町の様子/提供:弘前卓球センター

まずは自分の命、卓球どころじゃなかった

「生活が落ち着かず、卓球どころじゃなかった」小学6年生の長谷川志文は、災害発生から今日までを淡々と振り返る。

鯵ヶ沢町の長谷川の自宅から弘前の卓球場まで、車で30分以上かかる。
7日から雨が強まり、練習に行けなくなった。
そして全国ホープスの4日前、自宅の裏山が崩れたことから、高台にある町役場に避難を決めた。


写真:鯵ヶ沢町の避難所の様子/提供:弘前卓球センター

地元のショッピングセンターや商店が浸水するなど甚大な被害が発生する中で、なんとか長谷川の自宅は寝泊まりはできる状態で、避難所との行ったり来たりが続いた。
ただ、もちろん練習場には行けなかった。

「テレビはつけっぱなしで、常に鯵ヶ沢の危険度が3か4でした」

雨の状況を見ながら家族で自宅に戻り、ボールを触ったり、1人でサーブ練習をしたりして大会への気持ちを繋いだ。

「一番不安だったのは、ホープスに行けるかどうか」


写真:長谷川志文(弘前卓球センター/写真左)と秋元良太(弘前卓球センター/写真右)/撮影:ラリーズ編集部

全国ホープス初勝利

4兄弟の末っ子の志文には、今年に懸ける理由があった。
小学生のうちから卓球で実績を上げて活躍する兄たち(明徳義塾などに進学)のように、自分も全国大会で勝利を挙げたかったのだ。

そして13日、小学6年生最後の全国ホープスで、初勝利を挙げた。


写真:長谷川志文(弘前卓球センター/写真右)と秋元良太(弘前卓球センター/写真左)/撮影:ラリーズ編集部

新幹線に乗ったら腹をくくっていた

父・耕平さんはこう喜ぶ。
「練習は満足にできていませんが、新幹線に乗ったら、もう腹くくっていました。兄たちが全国で勝ってきたので、自分も、と、この一年奮起していましたから、全国ホープスで初めて勝てたのは大きいですね」


写真:父・長谷川耕平さん/撮影:ラリーズ編集部

監督の丹藤貴さんは、この状況だからこそ子どもたちをなるべく楽しませたい、と言う。

「時々笑わせたりしながら、楽しくできるようにしています。コロナ禍でもあるので、試合もなく、勝ち負けもなかった。この大会では、子どもたちをいっぱい楽しませて、この場を乗り切りたい」


写真:丹藤貴監督(弘前卓球センター)/撮影:ラリーズ編集部

全国“ホープス”の意味

14日、弘前卓球センター(青森)は、これまでの最高戦績ベスト16以上を目指して戦う。

「目標は優勝です。優勝して、地元の人に喜んでもらえたらそれでいい」と長谷川は前を向く。

俯瞰で見れば、スポーツをしている場合なのか、わからない時勢が続く。
しかし、本人とその周りの人たちは、子どもたちが卓球ができることに希望を懸けてきた。

東京体育館の晴れの舞台。
たった3、4人の小学生1チームの向こう側に、多くの願いや祈りが込められている。

それは不思議と、全国ホープス(HOPE:希望)という名前に似ている。


写真:東京体育館の会場/撮影:ラリーズ編集部

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