文:ラリーズ編集部
卓球Tリーグでは2月27日、アリーナ立川立飛にて東京五輪混合ダブルス金メダル、男子団体戦銅メダルを獲得した水谷隼さん(木下マイスター東京)の引退セレモニーが行われた。
娘からのサプライズ花束も
写真:木下グループ・木下社長と水谷隼/撮影:ラリーズ編集部
セレモニーでは、木下グループ・木下直哉社長、株式会社タマスの大澤卓子社長、日本卓球協会強化本部長・宮崎義仁氏、木下マイスター東京の倉嶋洋介監督から花束が贈呈された。
写真:木下グループ総監督の倉嶋洋介監督と水谷隼/撮影:ラリーズ編集部
また、サプライズで娘の茉莉花さんからの花束も贈呈され、水谷さんは笑顔を浮かべる場面もあった。
写真:水谷隼と娘の茉莉花さん/撮影:ラリーズ編集部
水谷隼さん引退セレモニーでのコメント
写真:水谷隼(木下マイスター東京)/撮影:ラリーズ編集部
皆さん、おはようございます。朝早くからたくさんの方々に来ていただいて、本当に嬉しく思います。
そして今、娘の茉莉花が(花束を渡しに)来ましたけど、昨日まで家族と一緒にいたのに何にも聞いていなくて、本当にびっくりしていますし、泣きそうです。
写真:水谷隼と娘の茉莉花さん/撮影:ラリーズ編集部
まず皆さんに報告したいことがあります。私、水谷隼、木下グループのスポーツアンバサダーに就任しました。なので今後ともスポーツ界に関わっていきたいと思いますし、もちろん自分が大好きな卓球には深く深くこれからも携わっていきたいと思っております。
写真:水谷隼(木下マイスター東京)/撮影:ラリーズ編集部
僕が普段、全日本選手権や東京五輪、優勝したインタビューも記者会見もそうですけど、自分が話すことというのは、前日の夜とか一週間前、一ヶ月前とかに優勝したら何を話そうかなといろいろ考えて、そのときの本音というよりは、結果が出る前から決めていたある意味偽りの自分だったのかなと思っています。
皆さんに本音で話したことがなく、常に皆さんの前にいるときはプロ卓球選手、アスリートとして、水谷隼を演じていたのではないのかなと思います。今日はフラットな状態で何も考えずにシャイな自分でいるので、今何を話していいのか正直わかっていないんですけど。
自分の性格を分析したときに、一番思うのは、自分はすごく天邪鬼だなと思いますね。人から褒められれば褒められるほど、「いやそんなことないよ」とか、人から距離を詰められれば詰められるほど自分が距離を置いてしまうとか、その言葉を全て鵜呑みにできないとか。自分が記事とか卓球の雑誌を読んでいて、本当に本音で語っている部分ってあったのかなって。
写真:水谷隼(木下マイスター東京)/撮影:ラリーズ編集部
自分が自分を演じている。それがすごく気に入ってた部分もあるし、逆に自分の弱さをみんなに見せないよう偽っていた部分もあると思うので、それが今日で終わってしまうのかと思うと、悲しいというか、今日たくさんの皆さんが来て下さったのに離れてしまうんじゃないかという不安もあります。
でも振り返ったときに2008年に世界卓球で初めてメダルを獲得して、それまで卓球の男子はずっとメダルを獲得できなくて、暗い底をずっとさまよっていました。2006年の世界卓球ではワーストタイ記録。自分もそこに出場していて、結果、個人成績0勝3敗でそれ以降試合にも使っていただけずに、すごく悔しい思いもして、日本の皆さんにも迷惑をかけて。
そこから2008年一気に銅メダルを獲得して、2016年まで世界卓球での団体戦でのメダルを獲得し続けることができて。何より2016年のリオのオリンピックでメダルを獲得したことによって、卓球男子への注目度がすごく高まった。それが本当にこの15年間でものすごく嬉しかったというか。
写真:水谷隼(木下マイスター東京)/撮影:ラリーズ編集部
僕自身ソフトボールとかサッカーとかいろんな競技に触れてきたんですけど、その中でなぜ卓球を選んだかというと、一番難しかったからですね。どんな競技よりも卓球で勝つことが難しいなと感じていました。本当であれば、スポーツ全部やりたいんですよ。野球やサッカー、何でもやってトップを目指したいなと思ってたんですけど、1つしか選ぶことしかできなかったので、卓球で一番強くなれば他の競技を含めても自分は一番強いんじゃないかと思って、プロになって17年間一生懸命やってきました。去年東京オリンピックで金メダルを獲得することができて本当に良かったなと思っています。
写真:水谷隼(木下グループ)と伊藤美誠(スターツ)/提供:ITTF
14歳でドイツに行って、5年間留学して、そのあと3年間中国リーグの方に参戦して、そこからまた一回どん底を味わいました。またそこからプライベートコーチをつけたりとかロシアリーグに参戦したりとか、卓球を問わず今まで色んなアスリートがチャレンジしたことがない道をずっとやり続けてきて、何かを成し遂げるときにはすごくリスクを伴うんですよね。失う物もたくさんありました。
14歳から青森山田中学校に転校して、学校もほとんど行ってないですし、勉強も14歳からまったくしてないんですよね。だからもし、「自分が卓球選手じゃなくなったらこれはもう社会で生きていけない。自分は卓球するしかない」。そういう覚悟で一生懸命やってきて、それすごくいい方向に行って、本当であれば40歳、50歳、自分の体がもつまでずっとやりたいと思ってたんですよ。
2017年、2018年、卓球が楽しくなってきて、「自分は東京もそうだし、その後のパリもそうだし、その先のオリンピックも戦いたいな」と本気でそう思ってた時に、目の不調があって、何とかそこから立ち直ろうと一生懸命頑張ったんですけど、結果的には敗れてしまったというか、どうにもならない状況になってしまって、今回引退という形になってしまった
写真:水谷隼(木下マイスター東京)/撮影:ラリーズ編集部
今まで現役のときに自分は独りだと思ってたんですよね。自分には仲間がいない、支えてくれる人がいない、と。だから独りで頑張ってロシアに行かないといけないと思ったし、コーチを雇わないといけないと思ったし、練習相手も自分で捕まえないといけない、練習場に行くのも毎回自分で車を運転して、毎回大学や実業団の監督に自分が連絡して。
自分は、自分の力でここまで来た、独りで強くなってきたと思ってたんですけど、今日VTRも見ましたし、スポンサーの皆さんとか選手からお祝いの言葉をいただいて、自分は独りじゃなかったんだと。本当にずっと卓球をやってきて、最後に自分が気づいたのは、「たくさんの仲間がいてくれたんだな」って。そういう風に感じて、本当に嬉しいというか、思い残すことがないですね。
自分が残してきた全日本選手権優勝10回という記録もそうですし、リオで獲った日本卓球界初のメダル、東京オリンピックでの日本卓球界史上初の金メダルもそうですし、自分が思い残すことはもうないなと。本当に色んな記録を残してきて、あとはこの思いを後輩たちに託したいと思っています。
写真:エキシビションマッチで対戦した張本智和vs水谷隼/撮影:ラリーズ編集部
自分の卓球選手としてはここで終わりますけど、でも自分は今日がまた新たなスタートだと思ってます。
現役ではないですけど、自分はまだまだここからやりたいことはたくさんありますし、今まで失ったもの、得られなかったもの、そういうものをこれからの人生、明日から一生懸命探して、手に入れて、皆さんに自分の輝いている姿をいつか披露でき、そして成長して戻ってこれるように、これからも頑張っていくので、引き続き熱いご声援をよろしくお願いします。
今日は本当にありがとうございました。
写真:木下マイスター東京、琉球アスティーダの両チームの選手に最後は胴上げで送り出された水谷隼 本当にお疲れ様でした/撮影:ラリーズ編集部