ウィズコロナ、南米ペルーで日本人が経営する卓球クラブは今(後編) | 卓球メディア|Rallys(ラリーズ)

写真:教え子たちと(渡辺氏、左端)/提供:渡辺拓也

卓球インタビュー ウィズコロナ、南米ペルーで日本人が経営する卓球クラブは今(後編)

2020.07.24

この記事を書いた人
1979年生まれ。テレビ/映画業界を離れ2020年からRallys編集長/2023年から金沢ポート取締役兼任。
軽い小咄から深堀りインタビューまで、劇場体験のようなコンテンツを。
戦型:右シェーク裏裏

皆さんは、卓球のコーチになるには、現役時代にある程度の戦績を残していないと資格がないと思っていないだろうか。
彼の最高戦績は、高校のときの神奈川県大会2回戦敗退だ。

海外で生活するには、英語力が必要だと思っていないだろうか。
彼はTOEIC300点に満たず、青年海外協力隊の試験に2度落ちた。

じゃあペルーに誰か親戚でも?と思う。
何もない。
3回目でようやく合格した協力隊で、卓球コーチとしての募集がたまたまペルーだっただけの縁だ。
それでも彼は現実に、ペルーの地方都市モケグアで、自身のクラブチームを経営する日本人卓球コーチとして暮らしている。

ペルー生活足掛け8年、クラブ設立から約1年。
U15女子代表選手を彼のクラブから輩出し、順調にクラブが成長し始めた矢先に、コロナウイルスパンデミックがやってきた。

5月、彼は自身の卓球場の閉鎖を決めた。

とりわけ南米は今、感染拡大局面を迎えており、予断を許さない状況が続く。

今、彼はどうしているだろうか。

>>県大会2回戦負けの男がペルー卓球代表コーチになるまで(前編)
>>「強くない、でも教えたい」南米ペルーで足掛け8年 日本人卓球コーチの奮闘記(中編)

生徒の親御さんに心配かけたくない


写真:モケグアの広場の夜/提供:渡辺拓也

――卓球場を閉鎖した経緯を教えてください
渡辺:
ペルーで緊急事態宣言が3月15日に発表されてすぐ決めました。それまで、卓球場の場所がホテルの中というのもあって、しばらくはオーナーの好意で使えてたんです。でも、首都リマからモケグアに戻ってくる人たちの2週間の一時隔離っていうんですか、そのホテルがその会場になると聞いて、これはちょっと何かあったら困るなって思って。自分たちも病気に罹るわけにはいかないですし、クラブチームから1人も感染者を出してはいけないっていうのもあります。あとはやっぱり生徒の親御さんたちにも心配かけたくない。

――葛藤はありませんでしたか
渡辺:
外出したら逮捕ですからね、こっちは(笑)。ただ、私はこっちで外国人なので、国からの援助は期待できないなあとは思ってました。


写真:外出規制中のモケグアでは銃を持った軍隊が街中を見回る/提供:渡辺拓也

――収入面は大変じゃないですか
渡辺:
昨日(取材:5月)も銀行に謝りに行きました。

――日本に帰ろうとは思わなかったんですか
渡辺:
そこの葛藤はありました(笑)。でも、日本人アシスタントの男の子と、バタバタの状況の中で帰る帰らないって話をしてる中で、感染しないことの方が大事だから経済が動くまでは待とうかと。卓球場は閉めたけど、可能になったタイミングで個人レッスンをやっていこうと。

すっからかんになった卓球場を見てやるせなかった


写真:卓球台を全て運び出した後の卓球場/提供:渡辺拓也

――卓球台はどうしたんですか
渡辺:
それぞれの生徒さんのお家で卓球台を置けるところにトラックで運んで。他のところで保管してた台も含めて、全部で10台くらい。1軒1軒回りながらお願いしますって頭を下げて。最後にすっからかんになった卓球場を見たとき、やっぱり、やるせなくなりました。非常事態だから、仕方ないんですけど。

――個人レッスンはどこでやっていくんですか
渡辺:
生徒さんのお家に居候して、そこでレッスンしようかと。というか今この取材も、居候先の家のリビングからなんですけど(笑)

――え。なんか江戸時代の剣客みたいですね
渡辺:
ですよね。感染状況を見ながら、居候先を変えてみたり(笑)。


写真:生徒の家で指導をする/提供:渡辺拓也

――渡辺さんが周囲に信頼されていることがすごく伝わってきます。
渡辺:
そうですね。レッスン料もみなさん気を使ってくれて、3月10日くらいまでしかやってないのにほとんどの家が100%払ってくれて、僕も申し訳ないから動画15本作ったりして、少しでも埋め合わせになればと。

こっちのみなさんにとって、決して安いお金ではなくて、しかも今、コロナで8割がたの家庭がお仕事がない状態だって聞きます。そのなかでも今、卓球を続けてくれるっていうのは、ああ、やってきて良かったなって思いますね。それでも続けたい、卓球やりたい、ボール打ちたいって子がいてくれる。


写真:教え子の家で/提供:渡辺拓也

――今後はどうしていきたいですか
渡辺:
親御さんの仕事がなくなって、卓球を辞めざるを得ない子どもたちも出てくると思うんですね。それでも続けたいっていうお子さんに、どうやって卓球の環境を作れるか。そこに僕自身は責任を果たさなきゃって思っています。

あとは、教え子たちでも、みんながみんなチャンピオンになりたいってわけでもないですし、それも全然良いと思います。それでも、今居候させてもらってる家みたいに、代表で戦い続けたいっていう子どもとそれを応援したいっていう家庭もありますし、今まで残してきた結果以上のことをコーチとして出したいなっていうのも、やっぱり思います。

――それはペルーの代表になる子供たちをもっと強くしたいっていうことですか
渡辺:
はい。今のカテゴリー15の子や、それに続く7歳、8歳の次世代組を育てたい。勝手なイメージですが、モケグアを卓球の街にしたいと思っていて。あと、個人的には最大の目標があって。

――なんでしょう
渡辺:
いつか、ペルー代表コーチとして、日本代表の反対側のベンチコーチに入りたいんです。

渡辺拓也氏
写真:2019年5月の南米大会U-13団体戦でペルーは優勝した/提供:渡辺拓也氏

大言壮語だと笑うだろうか。
私はむしろ、胸を衝かれた。
私たちがラケットを持って懸命に練習に打ち込んだ日々、人に言えば笑われそうな野心を抱いていなかったか。
現在のこの困難な状況下でも、その思い込みの強さと行動力を、彼は持ち続けている。

南米ペルーでの日本人卓球コーチ、モケグアにあり。

「いやあ、卓球馬鹿の行く末ですよ」
謙遜する彼の笑顔は、日本人やペルー人であること以前に、一人の卓球人のそれだった。


写真:まだ卓球場のあった頃、練習後の教え子たちと(渡辺氏、右上)/提供:渡辺拓也氏

前編、中編はこちら

>>県大会2回戦負けの男がペルー卓球代表コーチになるまで(前編)
>>「強くない、でも教えたい」南米ペルーで足掛け8年 日本人卓球コーチの奮闘記(中編)