東アジアホープスの日本代表でもある小学5年生・中野純大(宇土クラブ)に卓球を教えた父・純一さんが、膵臓がんで亡くなったのは、2022年2月4日だった。享年41歳だった。
母・瑠実さんは、純大が落ち込み、どん底で喘ぐ姿に胸を痛めていた。
病床の父に見せようと、目の覚めるようなプレーで代表入りを果たした1月の東アジアホープス代表選考会が嘘のように、純一さんが他界した後の4月、ホープスナショナルチーム選考会では、あっさり敗退した。
逆に、妹の中野凛子はカブ女子の部で代表入りした。
写真:中野純大(宇土クラブ)/撮影:ラリーズ編集部
「お父さんがいないと勝てない」
次第に純大は暗い部屋に籠もりがちになり、ご飯もほとんど食べなくなった。
瑠実さんは、こう自省する。
「夫と私は役割が決まっていて、夫が怒ったり叱ったりすると、私がフォローしていました。でも、私が夫の代わりを引き継がないと、と思って、私が怒ったりしたことで、プレッシャーがかかったのかもしれない」
“お父さんのように、誰にでも応援される選手になりたい”が目標だった。世代別日本代表に入るほど実力もつけてきた。
「純大くん、無意識に眉毛とまつげを抜いてますよ」周囲の人がこっそり教えてくれた。行き場のない衝動だった。
写真:ベンチに中野純一さんの写真を飾った宇土クラブ/撮影:ラリーズ編集部
「お父さんがいないと勝てない」純大が泣き出したこともあった。
学校にも行きたくないと言う。
小学校教諭の仕事も子育ても、一人で抱えて奮闘する瑠実さんも、精一杯の状況だった。
「卓球辞める?」と瑠実さんが聞いて「うーん」と悩む姿を見て、これはもう辞めたほうが良いのかもしれないと思った。
しばらくして、純大はこう母に言った。
「僕から卓球をとったら何も残らない。お父さんと約束したから卓球は続ける」
それでも、自分だけが実力が落ちているんじゃないかという不安は消えなかった。
立ち直るきっかけは全九州大会2位
そこから立ち直る契機となったのも、やはり卓球だった。
悩みながら出場した、2022年6月の全九州卓球選手権小学生の部で、純大は決勝まで勝ち進んだのだ。
「今日の2位は本当に嬉しい、やっと取り戻してこれたかもしれない、最高の1日だった、と嬉しそうで」瑠実さんも笑顔で振り返る。
亡き夫の同級生が監督を務める福岡大学をはじめ、多くの場所に遠征や練習に行かせてもらいながら、純大は少しずつ、刺激と自信を取り戻していった。
写真:中野純大と大内健裕コーチ/撮影:ラリーズ編集部
宇土クラブ・大内コーチ「やるときはやる子」
純一さんを慕う一人だった宇土クラブの大内健裕コーチも、温かく純大に接し続けた。
「甘える相手がいないというのは、子どもにとってはつらいはず。僕はもう、全く怒らない、友だちのような感じです。純大は、普段は子どもらしい小学5年生ですが、試合になると変わるんです。やるときはやる子なので、信頼しています」
写真:大内健裕コーチ(宇土クラブ)/撮影:ラリーズ編集部
“夫が遺してくれた、たくさんの縁に支えられている”と瑠実さんは周囲に深く感謝する。
「私が卓球経験者じゃないことを皆さんが知っていて、“おいでおいで”と本当に支えてくださって、ここまでやってこれました」
生前、純一さんが家の中で掲げていたスローガンにこんな言葉がある。
「やっちゃえ、中野、日本一」
その言葉を刻んだブレスレットを巻き「今年は、絶対に金メダルを獲りたい」密かに純大が母に宣言して臨んだ大会が、8月の全国ホープスの舞台だった。
写真:中野家のスローガンを刻印したブレスレット/提供:中野瑠実
「誇らしく思う全国2位」
結果を先に記しておこう。
中野純大がエースの宇土クラブは、昨年に続き決勝で敗れ、全国2位に終わった。
純大自身は、決勝で2点取る活躍を見せた。
準決勝で純大が1点落としたときは、すぐにダブルス出場の二人が取り返した。
今年は絶対に勝つんだというチーム全員の思いのこもった、見事なチームワークだった。
写真:長野証大(右)と神原汰世ペア(宇土クラブ)/撮影:ラリーズ編集部
それでも、日本一には届かなかった。
“純一さんならなんて言ったでしょうね”と瑠実さんに聞いてみた。
「“これで良かった”って言ってると思います」と涙目で笑った。
「純大が天狗になるので(笑)。来年、6年生の集大成で勝ち取ってこいと言うだろうなと」。
写真:中野純一さんと話しているようなベンチだった/撮影:ラリーズ編集部
そしてこう続けた。
「準優勝で悔しいねって言われることもあったんですけど、私は純大のどん底を見てきたので、ここまで来られただけでも、本当に感謝だなと思っています。よく頑張ってきたなと、誇らしく思います」
写真:中野純一さん/撮影:ラリーズ編集部
これから先も、迷うことがあるだろう。不安になることもあるだろう。
でも、やっちゃえ、中野。
大丈夫だ。
何があっても、卓球未経験の母と、同じ卓球の旅路をゆく多くの同志たちが支えてくれる。
(終わり)
写真:中野純大(宇土クラブ)/撮影:ラリーズ編集部