故・荻村伊智朗(おぎむらいちろう)氏の現役時代の卓球ノートが自宅から発見された。
荻村氏は選手時代に世界選手権で12個のタイトルを獲得、引退後はITTF(国際卓球連盟)会長も務めた日本卓球界のレジェンドだ。
本企画では、長男・一晃(かずあき)氏が、「ミスター卓球」とも呼ばれ、Ogi(オギ)の相性で世界中から親しまれた父・伊智朗氏の人生を、“世界一の卓球ノート”から読み解く。第7回となる今回は、荻村が卓球以外のスポーツ(陸上、テニス、体操、水泳、バスケ)を見て、卓球にどのように応用したのかをご紹介する。
スポーツに於ける「近代的戦法」とは?
写真:故・荻村伊智朗氏ラケットとノート/提供:荻村一晃
Ogiは自らの卓球を完成させるため、他競技を見ながら「スピード」と「戦術」に関する理論武装を進めていく。ノートには以下の記載がある。
最も良く見えるだろう事実はスピードかという点だ。
次にはその戦法に於ける方向として
自己の調子を整える事と共に、
相手の調子を崩す事が、大きな意味を持って来た事だ。既に陸上競技に於いてはマラソンが長距離化している。
中、長距離を見ても最初から飛ばして、
一気にゴールに入らんとする様になって来ている。
これはスピード化という事だ。次にザトペックの走法を見よ、映画は明確に物語る。
彼の走り方は、一週400のトラックのラップはいつも同じ様なものだ。
だが、その走り方は20~30米をぐっと出て又20~30普通に走り、又20~30ぐっと出る。
そして一周毎のラップは変わらぬ様にしている。
これは勝負を念頭に於いて、”相手のペースを崩すペース”を作った、と見て良い。テニスを見よ。
甚だしく近代化の遅れた日本テニス界を呆然とさせたのは、
かのゴンザレスの時速110マイルの超スピードサーヴィスではなかったか?
更に凡失を無くすに汲々としている日本テニスプレイヤーの目を射たものは、
ゴンザレス、セッジマンに依って代表される近代テニスのネット迄の前進ではなかったか?体操を見よ。
ローマに於ける田中敬子の優勝は何を物語るか?
姿体フォームのみに頼る様式的な美は、
スピード、ボリューム、力に依って征服されたのではないか?
いや、置きかえられる可能性が体操にもある、と言うに止めよう。水泳を見よ。
息が続かず、へばる事のあるのにも拘わらず
潜水泳法が世界記録を生んだ。
又、古橋はその圧倒的な記録によって、
○○○○(※)をして”今までとは違うが合理的なフォーム”と認めざるを得なくせしめた。バスケットを見よ。
戦後数々のティームの来日を見る毎に識者の
”リードしていてもなおかつ積極的にプレイする”と
彼らのゲームの新しさを覚めた聞いた。
※ノート不鮮明にて判読不可
荻村はスピードは絶対的な得点の要素であるという事と、
卓球は対人競技であるが故に得点の方法は多面的であるという事を確認している。
自分の得意な事が100で相手は90の場合にその差は10しかない。
逆に自分が得意ではない事が70で相手は50の場合にその差は20もある。
たとえ得意な事ではなくても、得点のチャンスはどちらが大きいのかという事を認識しながら戦術を考えるというわけだ。
指導者となったOgiがたびたび口にしたのが”おまえはカッコつけすぎる”という指摘だった。
これは”自分が理想とする点の取り方にこだわりすぎる”という意味で、
攻撃選手が攻撃でしか得点方法を考えない場合によく言っていた。
ドライブ攻撃の選手が表速攻の選手と対戦した時、
1ゲーム目が終わった後に「絶対に先にドライブをするな。相手が打ってから(上回転にしてから)始めるラリーにしろ。」
という命令(団体戦だったのでアドバイスではなく指令)を出した事もあった。
負けたらOgiのせいだと半ばやけくそになりながらその戦術を徹底した結果、
対戦相手に初勝利をあげた選手の目から鱗が落ちた日だった。
卓球はどうするか?
写真:故・荻村伊智朗氏(右)と中国の世界王者・江加良氏/提供:荻村一晃
Ogiの卓球理論への強いこだわりが読み取れる記述がノートにあった。
日本は天才藤井の出現に依って、その卓球戦法に革命をもたらした。
彼が意識するとしないとにかかはらず、彼の存在意義は“どちらかと迷う時は100%missの無いやり方をえらべ”から“40本打ち19本ミスしても21本抜ける公算が立つなら、やれ!”という考え方を許容させる様に卓球の考え方を幅の広いものにしてしまった。人は藤井を天才という。そして天才は如何なる時代に於いても真似の出来ないものだと云うものもあろう。
然し、一時代の天才は、次の時代には常識である。
西欧はおくれている。
東欧は進んでいる。
アメリカの戦法は独特な社会的背景に依るもので、理論的発展の結果とは考えられない。
ただし、日本に於いても藤井は偶然かも知れない。
しかし、荻村から確立するだろう。
イギリスでは僅かにカリントンのアメリカ選手論に見受けられる。
1954.10.1
藤井選手を持ち上げてから落とす、という事から始めているところが恐ろしくもあり、Ogiらしい。
確かにOgiは先輩選手に教わるために長時間汽車に乗り、たった一言だったり、
たった一振りだったり、という形の教えをいただいた経験があったという。
その様な受取手に任せた理論(アドバイス)ではなく、
万人が理解できる理論を構築したいという思いをOgiは強く持っていた。
指導者時代には選手の練習メニューを見て練習する理由を聞く事がしばしばあった。ペンのドライブマンが裏面でカットをする練習を見ても、ふざけているとは取らず「なぜその練習をしているのか?」と質問をし、それに対するアドバイスをするわけだ。
フォアに大きく動いた後にバックに来たボールをやむを得なく裏面でカットをする状況の練習だが、質問は「なぜフォアに大きく動かなければいけなくなったか?」という所から始まる。“やむを得ない状況になる事を減らす努力”を同時に行う必要があるという意味でもある。その結果、練習メニューも練習時間も倍以上増えるという状況に追い込まれるので選手も大変だ。
自分の意見もはっきりと言うOgiだが、他人の話も興味を持って良く聞いていた。海外の監督・コーチ・選手などと意見を交わしたり、時には自らレシーブやラリーを行っていた。自らの理論を構築するためには、他人の意見を聞いたり実験的な試みも行っていったからこそ、その発言に重みがあったのだろう。体や手で隠さないサービスルールを考える上で”バックハンドサービスのみ”の国際大会を開催するなど特徴的だ。
(続く)
>>【連載】息子が読み解く“世界のオギムラ” ~卓球ノート#1~
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