写真:教え子でU15 ITTFランキング86位のバレンティーナ・セアと/提供:渡辺拓也
卓球インタビュー 「強くない、でも教えたい」南米ペルーで足掛け8年 日本人卓球コーチの奮闘記(中編)
2020.07.23
南米ペルーの地方都市モケグアをご存知だろうか。
おそらくほとんどの日本人は知らないだろう。
ペルーの首都リマから南東へバスで20時間ほどの場所にある、人口23万人ほどの地方都市である。
そこに卓球のコーチを生業とする日本人がいる。
渡辺拓也、30歳。ペルー生活8年目になる。
きっかけは23歳のとき。青年海外協力隊の卓球コーチとして、ペルーに派遣されたのだった。
写真:モケグアの広場/提供:渡辺拓也
>>県大会2回戦負けの男がペルー卓球代表コーチになるまで(前編)
このページの目次
いきなりペルー代表のコーチとして派遣
――いざペルーに派遣となったのが2013年7月
渡辺:はい、ペルー卓球連盟の代表コーチとして派遣されて、活動が始まりました。
――え、代表コーチですか?
渡辺:はい。僕はU-11代表とUー13代表を主に指導することになりました。当時ペルーの卓球連盟にはコーチが二人しかいなかったんで、僕を合わせて三人です。
写真:ペルーU-11代表チームで指導する渡辺拓也氏/提供:渡辺拓也
――ペルーの卓球のレベルってどれくらいなんですか
渡辺:日本と比べればまだまだです。極端な話、アンダー11のカテゴリーとかは、ツッツキと横回転サーブがそれなりにできれば代表入れるみたいな感じですね。
――コーチ生活はどうでしたか
渡辺:最初の半年ほどは順調に指導できていました。でもあるとき、当時のペルーの卓球連盟会長と技術委員長が揉めて、そこからコーチが思うように指導ができない状態になってしまって。
JICAにも事情を伝え、任期2年のうちの残り半年くらいは、地上絵で有名なナスカ近くのイカという町からコーチのオファーを頂いて、そこに滞在して子どもたちへの卓球コーチをしていました。そこで教えてた何人かの子どもたちが選考会で勝って代表に入ることができたので、一区切りとして良かったなと。
再びペルーへ
――二年の協力隊の任期を終えた2015年6月、日本に帰国する。
渡辺:半年くらいは卓球をお休みしようかなと思ってました。でも、帰国して数ヶ月経ってもペルーの卓球している方がFacebookでメッセージくれたり、いつペルー来るんだ、また講習会やってくれみたいな、そういうのが自分が思ってた以上にあって。
あとは、ペルーに行く前はスペイン語も全然でしたけど、いつの間にかそこそこ話せるようになってて、それを活かして、今度は自分のやりたいことだけやりたいなと思って。翌年の2016年2月、ペルーにまた戻ることにしました。
――でも、現地で自分で収入を得る必要がありますよね。不安はなかったですか。
渡辺:幸いなことに、ペルーに戻ってすぐに、色んなクラブチームとかアドバイザーとかでお仕事貰ったりとか、JICAのボランティアの時に行けなかった地方に行って講習会とかやらせてもらったりとか。その中の一つで、首都のリマから1,000キロくらい、バスで20時間ぐらいの、モケグアという町に滞在することになりました。
写真:ペルーでの講習会で子どもたちを指導する渡辺拓也氏/提供:渡辺拓也
――ペルーの卓球コーチで、生活できるものなんですか。
渡辺:物価が安いというのはあります。特にモケグアは。今借りてるアパートはワンルームマンションみたいな感じで家具が全部揃っててテレビとかビデオとか個人のシャワー、トイレとかあって、電気・Wifi・水道代込みで、日本円で家賃1万3千円とか。それでも高いって言われるくらい。でも、リマでも2LDKで3万しないぐらいだと思います。ただ、日本に比べて収入も下がっちゃいますね。ひと月の最低賃金が、日本円にすると3万円ぐらいなので。
ペルーの卓球事情
写真:モケグアの卓球場での子どもたち/提供:渡辺拓也
――ペルーでは卓球はどれくらい認知されてますか。
渡辺:まだ、ニュースでも「Table Tennis」じゃなくて「Ping-Pong」って平気で言っちゃうくらいの感じというか。今の日本でいう、張本智和選手とか伊藤美誠選手とかっていうスターがペルーにはいないんです。
――ブラジルのウーゴ・カルデラノ選手はペルーでも知られてるってことは
渡辺:卓球選手や関係者だけですね。やっぱり国としては、圧倒的にサッカーが人気があります。2018年、ペルーがワールドカップ出場が決まった次の日、学校休みになりましたしね。
ジュニア選手の家庭の負担が大きい
写真:渡辺氏が指導する選手の家族と/提供:渡辺拓也
――途上国では、卓球はお金がかかる方のスポーツだと聞きます
渡辺:用具はニッタクさんにいろんな場面でサポートして頂いて、すごく助かっています。ただ、主要な大会が首都リマであるので、まず空港に行くのにタクシーで2、3時間かかるんですよ。そこから飛行機で1時間半。泊まるのが安い所で1泊2千円とかで3泊すると、交通費と合わせて3〜4万円とか。そこに僕らコーチ陣の遠征費も加わります。
あとは国からの援助金というのが本当に少なくて。代表選手もカテゴリー15からようやく遠征費が出るので、11、13代表は全て家庭の負担です。ペルーって書いてある代表のユニフォームからリュックサックまで全て家庭の負担で購入。例えば去年11、13カテゴリーの南米ラテンアメリカ大会がお隣のエクアドルで開催されて、1週間もない国際大会に日本円で10万くらいかかってました。
さらに、お子さんの年齢を考えて、ほとんどのご家庭がお父さんかお母さんも帯同するので、ご家庭の負担は30〜40万くらいになるはずです。日本の30万じゃなくて、最低賃金3万円の国の30万ですから、余裕がないご家庭だと、銀行からお金を借りて代表遠征に行くっていうケースもあります。
ペルーの子どもたちが卓球をする理由とは
――親が卓球をしていたから子どももっていうのはペルーにあるんですか
渡辺:日本と違って、こっちは卓球台があるっていう学校は少ないですね。親が卓球経験があったからっていう子はあんまりいないです。
――子どもたちが卓球を始めるきっかけは何なのでしょう。
渡辺:僕の卓球クラブLTMモケグアは、今年に入って生徒が15、6人増えたんですけど、ラジオ局の息子さんたちが僕らの教え子でそこで宣伝してもらったりとか。市役所からも一時期お仕事をもらってて週に何回か卓球教室みたいのをやったりとか、あとはデモンストレーションとかです。
――そのまま卓球を続けていく子が多いですか。
渡辺:僕が6、7年見てる中で、ペルーの代表が11、13、15、18,シニアっていうカテゴリーなんですけど、だいたい13とかで辞めちゃうんですよね。中学生になると勉強量が凄い多くて宿題がとか先生宿題を夜中の4時までやってたよみたいな子もいて。大人になっても続けるっていうケースはホントに少ないです。
――じゃあジュニアの子どもたちも親も、卓球に打ち込む動機は何なのでしょう。
渡辺:たぶん、単純に卓球を好きになってるんだと思います。もちろん、学校で表彰されるとか、あとは大学推薦のためという側面もあるとは思いますけど。
モケグアで卓球クラブも立ち上げる
写真:渡辺氏が立ち上げたLTMモケグアのオープン前日/提供:渡辺拓也
――コーチに加えて卓球クラブも経営することに
渡辺:最初にモケグアに来たのは、1ヶ月だけ教えてに来てくれって、当時9歳と11歳の女の子のお父さんから依頼があって。当時は12月にジュニアの全国大会があったので、その直前1ヶ月だけ行っている間に気に入ってくれて。当時2人の女の子の大きなお家の倉庫で教えてたんですけど、その2人が運良く結果を出し続けてくれたおかげで、小さな街の噂になって。夏休みにやりたいっていう女の子の友達とか、噂を聞いた人とかで、夏休みの間に1台が結局4台になって、ちょっと一人の家の倉庫でやる限界が来て。
あと、モケグアには新しく卓球やりたい子を受け入れる場所がないなって思ってたので、本当にちょっとずつ、1年間ぐらいかけて計画して、場所を見つけてもらって、2019年7月末に、卓球台を横に5台置けるスペースの場所を賃貸ですけど見つけてもらいました。ホテルの大きなサロンみたいな部屋を借り上げる形で。
生徒さんも増えてきたので、50代後半のペルー人のアシスタントと、あとは日本人の若い男のアシスタントにも入ってもらい、そのタイミングで新しいクラブ「LTMモケグア」を立ち上げました。
――モケグアには卓球クラブは他にもあるんですか。
渡辺:僕のやってるクラブも含めて4つだと思います。
――1日のスケジュールってどんな感じなんですか。
渡辺:僕自身は毎日朝から晩まで卓球場にいますね。月謝制で基本的には月から金曜日、初級のグループは1時間半のクラスで、アシスタントのペルー人の方の担当、強化組は僕とその若い日本人の方が担当して。大会が近い子は、バスで4時間かけて来てくれたりするので、土日にマンツーマンで練習したり、あとは遠征に帯同してという感じなので、休みはほとんどないですね。
――日本と違う、ペルーの子どもたちの特徴ってありますか。
渡辺:うーん、なんだろう。遅刻はなかなか直らないですよね(笑)。みんなで合同練習2時半からやろうぜって言っても、平気で3時くらいに来てそこからストレッチしてアップしてって始めたりします(笑)。ずいぶん言ったのでだいぶ良くなりましたが。
――身体能力の高さとか
渡辺:むしろ、日本の子どもたち凄いって思います。体育をしっかり教わってるじゃないですか。ペルーではそこがしっかり教わってないから、基本的な身体の動かし方がわかっていない子が多い。例えばアキレス腱を伸ばすストレッチとか、ペルー人のコーチもできないんです。お父さんお母さんで腕を引っ張るストレッチとかも。だから、初心者の夏休み教室とかやるとストレッチから教えないといけないですね。日本の体育すごいなって思います。
――そうした環境下で、日本人コーチの渡辺さんがクラブを立ち上げ、ジュニア選手の育成も結果が出始めた。
渡辺:そうですね、代表に入ってくれた子もいて、15歳女子カテゴリーの1位がうちのクラブの子で、一応、ITTF世界ランキングで80位台だと思います。
足掛け8年、南米ペルーで一歩ずつコーチとして歩んできた成果が花開き始めたそのとき、コロナウイルスパンデミックがやってきた。