写真:越谷卓球センターの宇佐美洋司氏(左)と猿田文洋コーチ(右)/撮影:槌谷昭人
卓球インタビュー [PR] なぜ男は1年半の空白を経て卓球コーチになったのか?コロナ禍の就職活動と小さな卓球場の後継者問題
2022.04.12
卓球の仕事は、副業くらいがちょうどいいのだろうか。
長引くコロナ禍で、卓球場コーチはじめ、多くの卓球関連の仕事をする人たちにとって、明るい未来を描きにくい期間が続いている。
卓球専門求人サイトの卓求人.comによると、現在、卓球関係の求人案件のおよそ7割ほどが、卓球コーチの仕事だ。
これは、それでも卓球コーチになることを諦められなかった一人の若者と、コロナ禍の真っ只中にリニューアルオープンした、何の変哲もない小さな卓球場の話である。
写真:越谷卓球センター/撮影:槌谷昭人
きっかけは大学時代のコーチアルバイト
きっかけは、男が大学時代に岸川聖也卓球スクールで卓球コーチのバイトをしたことだった。
ちょうどスクールに小学生たちの一期生が入った年だった。
瞬く間に子どもたちが上達していくのを見るのが楽しかった。
自身は、秋田で小学4年からスポーツ少年団で卓球を始めた。全国大会には縁のない選手だったが、大学まで卓球を続けることに何の疑問もなかった。
「続けることが、自分に向いているんだと思います」
写真:猿田文洋コーチ(越谷卓球センター)/撮影:槌谷昭人
失意の中で故郷へ
やがて就職活動の時期になった。
ただ、就職についてはこう考えていた。「仕事として卓球をやってしまうと、卓球自体をあまり好きになれないんじゃないか」
卓球業界以外の業種に就職活動をしたが、うまくいかなかった。
そして大学4年の2月、突然やってきたコロナ禍の緊急事態宣言、続けてきた卓球コーチのアルバイトさえ休業状態になった。
卒業後、失意の中で秋田の実家に戻った。
周囲の人間にもほとんど事情を言わず、家に籠った。
写真:越谷卓球センター近くの河川敷/撮影:槌谷昭人
不思議なことに、募ってきたのは卓球の仕事への思いだった。
緊急事態宣言下で、ほとんどの社会活動が止まっていた状況も、男の気持ちに少しだけ余裕を与えてくれた。
「言い方は良くないんですが、自分だけが止まってるわけじゃないんだって」
実家に籠りながらも、自分のできることからコツコツやっていくしかないと思った。
“卓球の仕事を探そうと思う”そう伝えると、実家の母親も背中を押してくれた。
「自分が得意だと思うことが仕事にできるなら、それがいいんじゃない」
写真:猿田文洋コーチ(越谷卓球センター)/撮影:槌谷昭人
コロナ禍での就職活動
しかし、探せば探すほど、正社員での卓球コーチの求人は少ないことも身にしみた。
「秋田に戻りますが、もし卓球の求人が出てきたら引き続き教えてください」
そう依頼されていた卓球専門人材サービスの卓球人.com代表の水島氏は、コロナ感染拡大期の当時をこう振り返る。
「ご希望を頂く一方で、卓球場はどんどん閉まっていっていました。厳しい状況をお互いわかりながら、でも情報交換は続けて」
写真:水島大瑚氏(卓求人.com)/撮影:槌谷昭人
そんなとき、水島氏に聞き覚えのない卓球場から、正社員コーチの求人依頼が来た。
埼玉県にある、越谷(こしがや)卓球センター。
水島氏は最初に男に連絡をした。
その求人概要を聞いたとき、男は「ここだ」と思った。「これでダメなら、コンビニのアルバイトから社会人生活を始めよう」と。
写真:越谷卓球センター/撮影:槌谷昭人
準備はできていた
秋田から埼玉に足を運び、二度の面接を経て採用が決まった。素朴で真面目な人柄は、卓球場側も探していた人材だった。
「運が良かったんです」と笑う男に、水島氏は卓球界の人材採用を多く手掛けてきた人間として、別の見方をしている。
「準備がほぼ完璧にできていました。志望動機や提出書類もそうですし、面接日程も最短ならこの日、二次面接は新幹線ですぐこの日に行けますと」。
秋田に戻って、一年半が経過していた。
でも過ごした時間は、無駄ではなかったと思った。
男の名前は、猿田文洋(さるた ふみひろ)、24歳。越谷卓球センターで、ただ一人の社員コーチである。
写真:猿田文洋コーチ(越谷卓球センター)/撮影:槌谷昭人
現代の“後継者問題”
ところで、越谷卓球センターは、なぜコロナ禍真っ只中に卓球場をリニューアルオープンしたのか。
そこには、コロナとは別の時代性も反映されている。
卓球場を経営する宇佐美洋司(うさみ ようじ)氏は、埼玉県を中心に、卓球用品の卸売業を営む社長でもある。
その卸売業の会社HPには「どんなことでもお問い合わせください」と記載している。
それは、取引先でもない小さな卓球場を経営する夫婦からの、1本の電話がきっかけだった。
「卓球場の後継者がいないんです」
しかし、宇佐美氏も卓球場の経営はしたことがない。
「まさかの相談を頂いてから、何度も足を運びました。この越谷卓球センターでは小さなお子さんから80過ぎの方まで本当に楽しんでいて。いまさらですけど、卓球ってすごいなと改めて思いました」
写真:宇佐美洋司氏(越谷卓球センター)/撮影:槌谷昭人
決して便利な場所ではない。駅からは車で10分ほど、河川敷近くの住宅街にある。
「ここを閉鎖すると、この方たちの卓球する場所はどうなるんだろうと思いました。前オーナーのご夫婦ともお話ししていくうちに、ここは潰せないと」
覚悟の次に必要なのは、この場所に来てくれるコーチだった。
そして、面接に来た一人目の候補者が、秋田から新幹線でやってきた猿田氏だったというわけだ。
宇佐美氏が前オーナー夫婦から経営を引き継ぎ、猿田氏をコーチに迎えて「越谷卓球センター」をリニューアルオープンしたのが2021年7月1日、コロナ禍真っ只中だった。
写真:越谷卓球センターの宇佐美洋司氏(左)と猿田文洋コーチ(右)/撮影:槌谷昭人
亡き父の思い
“まだまだ収益面は厳しいんですが”と宇佐美氏は断りつつ、卓球場のお客さんや父兄の紹介で、近隣の学校との取引も始まるなど、卸業と卓球場との相乗効果は生まれ始めている。
「年配の方の本当に元気で楽しそうな様子や、子どもたちがある程度成績残せるようになっていく過程は、自分の楽しみになっています。収益も大切なんですけど、そればかりじゃないなって」
写真:越谷卓球センターで卓球を楽しむお客さんたち/提供:宇佐美洋司氏
宇佐美氏は、前社長の亡き父が「卓球場を作りたい」と土地まで探しながら、ついに叶わなかったことを時々思い出すと言う。
その理由をいま実感していますか、と聞いてみると「いや、まだアップアップです。子どもたちも成績が残せるようになって、地域に広まっていって、それからでしょうね」と控えめに笑った。
コーチ業はこの先も続けますか
さて、最後に。
猿田氏、念願の卓球コーチとしての仕事は、どんな日々か。
基本的に昼12時くらいから夜9時まで、教室や個人レッスンが入る。
現在はコロナ禍で中学校の部活動がままならないぶん、特に中学生教室を2時間枠に伸ばして力を注いでいる。
写真:猿田文洋コーチ(越谷卓球センター)/撮影:槌谷昭人
写真:越谷卓球センターで練習する中学生たち/提供:宇佐美洋司氏
「体力的には辛いときもあるので、ストレッチして寝ることで次の日に疲れを残さないようにして、あと休みの日はしっかり寝てます」
――改めて、卓球コーチ業で大切なことって何だと思いますか。
「サービス業でもあり接客業でもあると思うので、技術ももちろん大事だと思うんですが、それよりも明るくお客様と対応しているのが一番大事なことだと思います」
そして、聞きたかった質問をぶつけてみた。
――卓球コーチ業、この先もずっと仕事にしていくつもりですか。
「はい。そうですね」
その日のインタビューの中で、もっとも自信を持って言い切った。
それ以上、何か聞くことがあるだろうか。
何の変哲もない、小さな卓球場の仕事をめぐる話だ。
写真:越谷卓球センターの宇佐美洋司氏(左)と猿田文洋コーチ(右)/撮影:槌谷昭人
(終わり)