ベルギーからの一通のメール 吉田海偉に伝えたかった「一人じゃない、ファンは必ず見ている」 | 卓球メディア|Rallys(ラリーズ)

写真:ECLでオフチャロフと対戦する吉田海偉(小西海偉)/提供:鍋島孝夫

卓球インタビュー ベルギーからの一通のメール 吉田海偉に伝えたかった「一人じゃない、ファンは必ず見ている」

2023.01.10

この記事を書いた人
1979年生まれ。テレビ/映画業界を離れ2020年からRallys編集長/2023年から金沢ポート取締役兼任。
軽い小咄から深堀りインタビューまで、劇場体験のようなコンテンツを。
戦型:右シェーク裏裏

きっかけは、1通のメールだった。

ベルギー在住の日本人会社員から「吉田海偉対オフチャロフ戦を現地で観戦しました。なぜ海偉さんのような40代を超えても現役で勝てるプレーヤーが、日本では活躍できないのでしょうか」とあった。

「こんな問題意識で編集長と話してみたいです」と締められていた。

電話をした。


写真:ドイツ・ウルムの試合会場/提供:鍋島孝夫

車で10時間かけてジャウドボ観戦

その男の話をしよう。

2022年11月13日。
男は、ベルギーのブリュッセルから、ポーランドの人口2万人ほどの小さな町・ジャウドボに、10時間以上かけて車を走らせていた。

ポーランドリーグに、前日のオーダー発表など無い。
運悪く吉田海偉が出場しなかったら徒労に終わると知りつつ、それでも会場に向かう足を止められなかった。

この機を逃して、もしも吉田海偉が引退してしまったら、自分はずっと後悔すると思った。

家族は怪訝な顔で「ひとりで、ポーランドに卓球を観に?」と聞いた。
男は日本の会社員だが、ベルギー勤務生活3年目を迎えていた。

日本にいる頃から吉田海偉のファンだった。
中学・高校を卓球部で過ごし、その後長く卓球から離れていた男が久しぶりに卓球を再開したとき、まだ吉田海偉は現役第一線で戦っていた。
同じ片面ペンドライブ型だった男は、今も変わらない吉田のまっすぐなプレーに魅了された。

生で吉田海偉の試合を観たい。全日本のチケットも買ったが、その前日に吉田海偉が敗退した。

ファンは見ているからと伝えたかった

そうするうちに男はベルギー勤務となり、その2年後、所属していた実業団チームが休部となった吉田が、戦う場所を求めてポーランドリーグにやってきた。

欧州で生活する厳しさも知る男には、日本に家族を残し、シーズンを通して単身で生活・奮闘する吉田のことが気になって仕方がなかった。

自分がジャウドボのホームマッチの観客席にいれば、このことだけは吉田に伝わるのではないかと思った。

一人じゃない、ファンは必ず見ているから、と。

ただ一人のアジア人観客だった

「会場に入ってすぐ気づきましたよ、会場でただ一人のアジア人だったから」

中国人かなと思った吉田だったが、座り方の行儀の良さで日本人だとわかったという。

しかし、なぜ日本人観客がこのジャウドボに。

不思議そうな吉田に、男は自分から話しかけた。

「10時間かけてベルギーから車で、吉田海偉選手の試合を観に来ました」

“めちゃくちゃ嬉しかった”と吉田は言う。

「そんな遠いところから、この小さな町に。だから俺言いました、今度はもう少し近いドイツのウルムで試合やるから観に来てよって。それでも6時間以上はかかるけど」

吉田はその場でチームに掛け合い、ジャウドボの応援Tシャツを男にプレゼントした。

太鼓を持った応援団長らしき現地のサポーターは「ただし、このチームを応援することが条件だ」と男に笑いかけた。


写真:吉田海偉/撮影:ラリーズ編集部

数週間後、男は約束どおりドイツのウルムに観戦に来た。今度は、奥さんと子どもを連れて。

完全アウェイの会場で、見慣れたジャウドボの応援Tシャツを着ている男を見て、吉田はこの試合での活躍を誓った。

そう、それがヨーロッパチャンピオンズリーグの予選ブロック、吉田海偉がドミトリ・オフチャロフ(ドイツ)に勝利した一戦だったというわけだ。


写真:ドミトリ・オフチャロフ(ドイツ)/提供:WTT

ここで負けたら申し訳ない

相手チームのノイ・ウルムは、林昀儒(リンインジュ・チャイニーズタイペイ)、トルルス・モーレゴード(スウェーデン)を2点起用、3番にドミトリ・オフチャロフを起用する鉄の布陣だった。

「チームは0-2で負けていて、3番がオフチャロフ戦。誰もノーチャンスで負けたら申し訳ないと思いました。少なくとも俺が0-3で負けるわけにはいかない」

吉田は、東京五輪男子シングルス銅メダルのオフチャロフを打ち抜く。
かつては一発で抜けたフォアドライブも、いまは連打を3回、4回重ねて、ようやく1点だ。それでも吉田の脚は、最後まで生きていた。

ゲームカウント3-1でオフチャロフに勝利した直後、吉田は地面に突っ伏した。

そして起き上がり、右手で拳を作って、客席の男を指差した。

プロフェッショナルを自負する吉田の視線と、吉田に物語を託した観客席の男の視線が交差した。

そのベルギー在住の男は35歳だった。
コロナ禍でのヨーロッパ暮らしは、決して良いことばかりではなかった。疲労や停滞を自分の年齢のせいにしたくなるたび、吉田のことを思った。

吉田が、41歳で勝ち続けていることは、男にとって希望そのものだった。

「ベンチで監督が、“あれは誰なんだ”ってヤキモチ焼いてたけどね(笑)」吉田がまた少し照れた。


写真:吉田海偉/撮影:ラリーズ編集部

田勢邦史監督「あの努力する姿勢」

「今の時代、ペンホルダーは本当に大変だと思うが、ここまで大きな怪我もなく続けてこれるのは、自分自身をストイックに管理している賜物」

同じペンホルダーで、吉田海偉と青森山田高校時代のチームメイト、現在は男子日本代表監督を務める田勢邦史は感服する。

高校時代から吉田は、練習豊富な他の選手たちの倍以上の時間をかけて、練習やトレーニング、そして“自分が強くなるにはどうすれば良いか”の研究に没頭していたという。

「あの努力する姿勢は本当にすごかった。正直、技術や感覚は今のジュニア選手のほうが上だと思いますが、それを突き詰める姿勢や気持ちを今のジュニア選手にも学んでほしい」

“とにかく身体に気をつけて、満足いくまで卓球を楽しんでほしい”かつての戦友は、優しいエールを吉田に送った。


写真:吉田海偉/撮影:ラリーズ編集部

吉田海偉が問いかけるものとは

いつか終わりが来ることは、選手生活も仕事生活も、人生も同じことだ。

だからこそ、今この瞬間を生きるアスリートに、私たちは自己を投影し、そこに物語を観る。

“推し”と呼ぶには、吉田海偉は無骨すぎるかもしれない。

しかし、来季もきっとポーランドの小さな町で勝ち星を重ねる吉田海偉の背中は、プロ卓球選手と応援とは何なのかを問いかけている。

(終わり)

特集・俺たちの吉田海偉(全3話)


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