多くの人にとって、年を重ねることは、人生は勝ち負けだけでは語れないと知ることでもある。
たいていの事柄はグレーな価値判断の幅の中にある、その解釈はその人次第だ、したり顔で大人たちはそう言う。
41歳プロ卓球選手、吉田海偉(小西海偉)。今も、ただ貪欲に勝利だけを求め続ける片面ペンドライブは今季、家族を日本に残してヨーロッパで戦い続けた。
その結果は。
自身は13勝2敗。現時点でチームはリーグ1位。
ヨーロッパチャンピオンズリーグではチームは敗退したが、吉田はオフチャロフに1勝1敗。
「年齢?ただの数字でしょ」
そう嘯く胸の内を聞いた。
写真:ECLでオフチャロフと対戦する吉田海偉/撮影:ラリーズ編集部
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「卓球やってるときが、一番かっこいい自分」
よく言われるんです、卓球なら結構センスあるぞ、でも他のことはできないぞって。その通りって思います(笑)。他のことやると頭痛くなるから(笑)。
卓球やってるときが、一番かっこいい自分。特に勝ったときはね。
最後の最後、ゲームオールで負けて、なんであそこにやらないのって。なんで入れるレシーブするのか。ペンなんだからフォアで回転かけるレシーブすればいいじゃん。サービスもそう。ずっとバックに出し続けて、なんでフォアにロングサービス出さないのか。相手バックで待ってるじゃん、お前馬鹿じゃないのって、ずっと自問自答。
寝れないです。
ちょっとウトウトしても、朝5時くらいからまた“なんであれやらなかった、だから負けたんだ”って思う、自分が自分の先生だから。
だいたい立ち直るまで2日かかりますけどね。自分も2日間我慢しようと思ってます。
写真:2022年6月日本リーグ時の吉田海偉(関西卓球アカデミー)/撮影:ラリーズ編集部
回復は遅くなった
粘りは強いんだけど、41歳は41歳だから回復は遅い。そのあたりは無理しない方向に変わってきましたね。
バックで変化をつけた後にチャンスボールが来る。そこをダダダッと連続で攻めるには、フットワークがないと。
基本練習では、バックとの切り替えも多く入れてます。
バックハンドを使い始める契機は日本リーグ
ヨーロッパ人は打たせてくれるから、オールフォアで計算できたんだけど。
日本リーグに出た当初は5勝2敗とか、中途半端な成績でした。
これはバックも入れたほうがいい、バックで変化つけてチャンスボールを狙いに行ったほうがいいなと。結構練習メニューも変えたら、どんどん成績も良くなって。
今のほうが自分の卓球早いですよ。日本リーグ時代の練習の成果ですね。後ろに下がらなくなった。早くないと日本では勝つの難しいから。
写真:2022年全日本選手権での吉田海偉/撮影:ラリーズ編集部
1試合はいいよ、でも2試合、3試合続くとだんだん疲れてくる。今日も明日も明後日も試合。回復も遅い。どうする。
でも逆に、相手も自分に簡単に勝てないです。一緒です。
勝っても疲れる。負けるとつらい。でも、どちらにせよゼロの気持ちはない。それは快感。
ただ、かなり体力使うんですよ、次の日必ずどこか筋肉痛です。
写真:吉田海偉さんを表したような「漢は黙ってオールフォア」Tシャツ/撮影:ラリーズ編集部
誰よりも早く練習場に行く
練習終わった後もアイシング。自分で氷探して作って。ヨーロッパのどんな試合会場でも監督にお願いして“氷作りたい”って。
別にやりたくないけど(笑)、でも卓球人生長くやりたいからね。
ボールも台も変わってるし、確かに飛ばなくなってる。トップ選手も若い選手もみんな変えてるのにって言われるけど、でも、なんで、みんなと一緒じゃないといけないの。誰が決めた。
俺は自分が使いやすいものをずっと使いたい。勝てばいいじゃん。俺が64(テナジー64を使用)で勝てば、なんか文句あるかって思う。自分、頑固なんですよ。
写真:吉田海偉/撮影:ラリーズ編集部
次の全日本に出ない理由
日本に帰りたいなと思ったけど、ウクライナの問題もあって飛行機がヨーロッパに飛ばないかもしれないから、クラブとしては帰ってほしくないと。
俺も向こうをメインに考えて年間契約しているし、全日本は何回も優勝している(2005年/2006年シングルス連覇)から、まあいいかと。なので、次の全日本は出ないです。
写真:2022年全日本選手権での吉田海偉/撮影:ラリーズ編集部
年齢なんてただの数字でしょ
アジア人枠で、必ず出場してしかも勝つから、チームにとっても必要なんだと思う。
契約内容はこれからだけど、自分も早く契約して安心したいので、次回戻ったらサインしたいなと思ってます。
一年か二年かは、奥さんに相談しようと思うけど。
どうせ一年で引退しないし。
俺、辞めたら魅力なくなるもん。奥さんに“外に出ていけ”って言われるよ(笑)。
今だって、国際大会出てないから日本代表でもないのに、まだ自分のこと忘れてない。
だから、自分にできることは引退せずに、もっともっと頑張るしかない。
写真:吉田海偉/撮影:ラリーズ編集部
ヒーローは変わらない
「ポーランドでこんなに喋ることないから、話が止まらないよ」
駅まで送っていく道でも、吉田海偉との話は尽きなかった。
吉田が語り続けていたのか、私が尋ね続けていたのか。
お互い40代、若返っていく世界の現場で戦う共感のようなものを感じていたのかもしれない。
ふっと改札で、吉田が手を差し出した。
「でも、頑張るしかないから」
振り返らずにホームの階段を登っていった。
ヒーローはずっと変わらない。変わるのは、いつも俺たちのほうだ。
写真:吉田海偉/撮影:ラリーズ編集部