その小さな卓球場には、エアコンがない。
住宅街の一角に看板も出さずに卓球クラブを運営して、28年目。
次世代の“日本のエース”と称される川上流星(木下アカデミー)をはじめ、数々の有望選手を送り出してきた新発田ジュニア。
卓球ファンに向けて新発田(しばた)とルビを振る必要がないのも、このクラブが、卓球界に果たしてきた役割の大きさを物語っている。
県内各所から子どもたちが集まってくる前の、凛とした空気に包まれた練習場で、指導者・姚天明(ようてんめい)さんに話を聞いた。
写真:新発田ジュニアの卓球場/撮影:ラリーズ編集部
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上海で8年コーチを務めた男がなぜ新発田に
1963年、中国・上海生まれ。小学4年で卓球を始め、高校時代には上海市チャンピオンに。大学でスポーツ学を専攻し、卒業後は上海体育学校で約8年、プロコーチを務めた。
写真:新発田ジュニアの指導者、姚天明(ようてんめい)/撮影:ラリーズ編集部
“私の地元・新発田で、世界で活躍する選手を育てたい”と。
私には、中国で8年間教えてきた経験がある。よし、挑戦してみようと思いました。1998年、35歳のときですね。
ただ、始めてみると、知り合いも友だちもいないですし、当時は独身だったので料理なども全部自分でやらないといけなくて。
いま思えば、始めた当時は大変で、寂しかったですね。
写真:姚天明さん/撮影:ラリーズ編集部
虫取りしている子どもたちに「卓球やってみない?」
この近くで虫取りしている子どもたちに“卓球やってみない”って声をかけて、親にも来てもらい、持ってきたのが1,000円の張り上げラケットでしたが、“感覚いいね”って褒めながら。
日本ではそうはいきません。私に限らず日本のジュニアの指導者は、中国なら3、4人のコーチがそれぞれやることを一人で担当する。すごいと思います。あと、保護者の協力がないと、指導が成立しません。
写真:練習開始前の様子/撮影:ラリーズ編集部
「個性を引き出す」指導哲学とは
子どもを見てすぐに判断はできません。生年月日、能力、性格もそれぞれ違う。少し成長したら全然変わることもあるし、たまたま今伸び悩んでいるだけということもある。
日常生活の態度も見て、親ともコミュニケーションを取りながら、時間をかけて見ていきます。
私も指導者を始めた頃、初心者をどう教えてよいか迷いました。やっぱり指導経験の長さも必要だと思います。
写真:指導風景/撮影:ラリーズ編集部
指導者に求められるのは「チェック」と「指示」
写真:練習中、子どもたちをくまなく指導する姚さん/撮影:ラリーズ編集部
指導者のレベルが問われるのは、判断です。この子は次のステップに進むべきか、まだもう少しこのまま練習したほうが良いか、その段階を見極めること。限られた練習時間を無駄にしないためにも。
写真:新発田ジュニアの練習風景/撮影:ラリーズ編集部
勇気を持って挑戦してほしい
もしできない技術があれば、他の子と違ってもいいから、自分で勇気を持って変えればいい。子どもたちには挑戦させたいのです、私自身も新発田での指導そのものが、ずっと挑戦なので。
あと私は、技術は教えますが、余計なことは言いません。私が親を教えたり叱ったりする理由はないので、親がいつ観に来てもいいし、自分の子どもにいつ教えてもいいです。
それで、もし結果が出ない場合は、飲み会のときに親と腹を割って相談します(笑)。
いつも、親の皆さんには助けてもらってると思っています。
写真:練習場に入るとまず掃除から始める/撮影:ラリーズ編集部
強くなる子は集中力が長く続く
クラブOB・川上流星について
運動神経も抜群で、感覚もいい。大会終わったときに“ぜひクラブに練習来てください”とお願いしました。親御さんも新発田ジュニアに入れたいと思っていたとのことで、すぐに連れてきてくれました。
嬉しかったですね。
写真:川上流星(木下アカデミー)/撮影:ラリーズ編集部
2〜3時間の練習も1回もダレない、最初から最後まで集中していました。遊びも一生懸命、休憩無しに遊んでいましたね(笑)。
自分よりレベルの低い相手とのゲームで、“5本ハンデあげて”と私が言うと“あげたくないです”と言ってました。練習でも絶対負けたくない。その気持ちにあふれてました。
写真:練習場の一角に飾られた新発田ジュニア全国表彰の数々/撮影:ラリーズ編集部
齋藤健オーナー「姚さんは全幅の信頼が置ける人」
新発田ジュニアを語るとき、もうひとり欠かせない人物がいる。
齋藤健さん。姚さんと新発田ジュニアの28年をずっと支え続けた、クラブのオーナーであり、明治29年から続く日本で最も古い損害保険代理店「株式会社龍崎」の4代目社長(現役)である。
76歳になった今も現役で仕事を続けながら、千葉に地域コミュニティのための卓球場を開いて8年になる。
写真:齋藤健さん/撮影:ラリーズ編集部
新発田ジュニアの出発点は、齋藤さんの「新発田で、世界で活躍する選手を育てたい」という思いだ。新発田の卓球場をはじめ、姚さんが卓球指導に専念するための支援をずっと続けてきた。
「出会った頃から真面目で全幅の信頼を置ける人」と信じた姚さんに、その夢を託した。
「姚さんは日本に帰化するまで決心してやってくれているんですから、私もできることは最大限やるのは当然です。たいした会社ではないので、できることは限られていますが」
しかし、28年だ。
「任せたからには、支援はしてくれるけれど細かい口出しは一切しない、それがありがたかった」と、姚さんも齋藤オーナーに盤石の信頼を寄せる。
「保険の仕事というのが、困っている人に手を差し伸べられて、感謝される仕事ですから」と齋藤さんは笑った。
写真:新発田ジュニアの子どもたちから齋藤さんに寄せられたメッセージボード/撮影:ラリーズ編集部
「人生懸けてますから」
ところで、インタビュー中に、姚さんが一度だけ答えに詰まった質問がある。
「振り返って、新発田市での約30年はどんな時間でしたか」
クラブ創設当初のユニフォームも揃わなかった日々が脳裏をよぎったのか、それまで淀みなく答えていた姚さんが、黙った。
写真:姚天明さん/撮影:ラリーズ編集部
プロフェッショナルの目にも涙。
絞り出したのはこんな言葉だった。
「私はずっと頂点を目指してやってきました。人生懸けてますから、やりがいと達成感はあります。ここまで支えてくれた、たくさんの親たちに感謝です」
その答えは、卓球指導への絶対的な矜持と、周囲に自然と支える輪ができる姚天明さんの人柄を表していた。
写真:姚天明さんの指導風景/撮影:ラリーズ編集部





