上田仁、31歳。
つい年齢を表記してしまうこの種の固定概念が、上田に今回の選択を迫ったのかもしれない。
今夏からドイツ・ブンデスリーガに参戦する上田仁。突き動かしたのは“なぜドイツでは40代まで選手が活躍できるのか”身をもって知りたいという、切実な飢餓感だった。
写真:上田仁/撮影:ラリーズ編集部
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日本には30歳を越えた選手の指導がない
僕自身が30歳を超えて“お前を強くする、まだまだ伸びしろあるぞ”っていうことを教えてくれたのは坂本(竜介)さんだけでした。それは他の指導者の方が悪いとかではなくて、単純に30歳を超えた選手にどう教えるべきかわからない、というのが正しいところだと思います。
なぜなら、あれだけの実績と経験と今まで積み上げてきた自分の理論と考えがあるわけですよ。それをまるっきり崩すのは、卓球選手として絶対に違うので。
写真:松平健太/撮影:ラリーズ編集部
選手寿命の長さの理由を知りたい
20代の若手もいるけど20代後半から30代後半ぐらいまですごく脂の乗ってる選手が多くて、それはいったいなぜだろうと。
そういう年代がたくさんいるなかでやっているから自然とできるものなのか、その年齢の人にしかできないような指導の仕方があるのか、その年齢になってから続ける自分たちの
ルーティンがあるのか。
僕は、日本で若い頃からずっと練習量をこなして大会に出続ける方法でやってきて30歳を超えると、どう強くなって良いのか単純にわからなかったんです。
写真:バスティアン・シュテガー(ドイツ)/提供:WTT
自分が体験するために
何を付け足して何を省いてやっていくと、あれ、30超えても意外と疲れないぞ、とかを自分の体で知りたいんです。
ブンデスに誘ってくれた板垣さんも“上田に足りないものがドイツにある”と言ってくれていましたし(笑)。
プロになって、代表入って、自分が病気して、復帰してっていうことも、全て意味があるものなんだと思います。無駄なことはない。
だから自分の年齢が、今の仕事がという立場に捉われず、自分が体験することがまた新しい選択肢を生んでくれると思います。
写真:上田仁/撮影:ラリーズ編集部
思い描いた未来でなくても
だって、結局、今まで自分が思い描いた未来になってないから(笑)。でも、人生でそのときに自分が思うことを、思い切ってできる自分でありたい。
家を売ってドイツに行くこともそういう意味です。
ちょっとカッコつけかもしれないけど。
写真:上田仁/撮影:ラリーズ編集部
Tリーグ5年間の思い出
自分がプロに転向しての第1試合目、相手が荘智淵(チュアンチーユエン・チャイニーズタイペイ) だったんです。強いんですけど僕はわりと相性良くて、そこで勝てたことは、言葉にできないぐらいの喜びと、ああ自分はプロになったんだっていう感慨をとても覚えています。あそこで勝てたから、一年目の自分は自信に満ち溢れていましたね。
写真:2018-2019seasonでの上田仁/撮影:ラリーズ編集部
あの試合を機に休養に入ったんですが、自分がどうしようもできないくらいメンタルがおかしくて、ボロボロに負けました。
やっぱり節目を覚えてますね、自分がリベッツで復帰した試合、T.T彩たまでシングルスで初めて勝ったとき、(松平)健太と十何年ぶりにダブルス組んだとき。
写真:上田仁/撮影:ラリーズ編集部
応援してください、でなく
応援してください、は相手が決めることなんです。自分が決めることじゃないことで物事を進めようとするから頭がこんがらがる。
あの人応援したいなって思ってもらえるような活躍ができるように、頑張りたいなと思います。
それも楽しみにしていただけるような選手でありたいなと思います。
取材を終えて
思い描いた未来でなくても、と上田は穏やかに言った。
どれだけの人間が、思い描いた通りの今日を生きているのだろう。
アスリートは、現実の受け止め方と、それでも新たに一歩踏み出すことの大切さを教えてくれる。
【前編】上田仁、ブンデス挑戦の背景に“ずっと欲していたある言葉”はこちら