上田仁「日本には30歳を越えた選手の指導がほとんどない」 | 卓球メディア|Rallys(ラリーズ)

写真:上田仁/撮影:ラリーズ編集部

卓球インタビュー 上田仁「日本には30歳を越えた選手の指導がほとんどない」

2023.05.14

この記事を書いた人
1979年生まれ。2020年からRallys/2024年7月から執行役員メディア事業本部長
2023年-金沢ポート取締役兼任/軽い小咄から深堀りインタビューまで、劇場体験のようなコンテンツを。
戦型:右シェーク裏裏

上田仁、31歳。

つい年齢を表記してしまうこの種の固定概念が、上田に今回の選択を迫ったのかもしれない。

今夏からドイツ・ブンデスリーガに参戦する上田仁。突き動かしたのは“なぜドイツでは40代まで選手が活躍できるのか”身をもって知りたいという、切実な飢餓感だった。


写真:上田仁/撮影:ラリーズ編集部

日本には30歳を越えた選手の指導がない

上田仁:30歳以降の選手を指導していくっていう概念が、今の日本にはほとんどないというのは感じています。

僕自身が30歳を超えて“お前を強くする、まだまだ伸びしろあるぞ”っていうことを教えてくれたのは坂本(竜介)さんだけでした。それは他の指導者の方が悪いとかではなくて、単純に30歳を超えた選手にどう教えるべきかわからない、というのが正しいところだと思います。

なるほど。
上田仁:僕だって、同い年の松平健太の卓球を見て、健太の卓球をこれからどこを直してどういう風にしていけばもっと勝てるんだろうって聞かれても、わからないんです。

なぜなら、あれだけの実績と経験と今まで積み上げてきた自分の理論と考えがあるわけですよ。それをまるっきり崩すのは、卓球選手として絶対に違うので。


写真:松平健太/撮影:ラリーズ編集部

選手寿命の長さの理由を知りたい

そのヒントがブンデスリーガにあるのでは、と。
上田仁:はい。40代のティモ・ボルやシュテガーをはじめ、ブンデスの選手平均寿命は長いんです。

20代の若手もいるけど20代後半から30代後半ぐらいまですごく脂の乗ってる選手が多くて、それはいったいなぜだろうと。

そういう年代がたくさんいるなかでやっているから自然とできるものなのか、その年齢の人にしかできないような指導の仕方があるのか、その年齢になってから続ける自分たちの
ルーティンがあるのか。

僕は、日本で若い頃からずっと練習量をこなして大会に出続ける方法でやってきて30歳を超えると、どう強くなって良いのか単純にわからなかったんです。


写真:バスティアン・シュテガー(ドイツ)/提供:WTT

自分が体験するために

何があるんでしょうね。アスリートをめぐる文化的背景もある気がしますが。
上田仁:ある意味自分を実験台というか、自分の体と頭を使って体験したことで知り得るものだと思うんです。

何を付け足して何を省いてやっていくと、あれ、30超えても意外と疲れないぞ、とかを自分の体で知りたいんです。

その経験値は、いつか指導者になったときに大きな財産になりますね。
上田仁:そう思います。頭で知っている情報と実際に経験した知識っていうのはやっぱり違うので。

ブンデスに誘ってくれた板垣さんも“上田に足りないものがドイツにある”と言ってくれていましたし(笑)。

プロになって、代表入って、自分が病気して、復帰してっていうことも、全て意味があるものなんだと思います。無駄なことはない。

だから自分の年齢が、今の仕事がという立場に捉われず、自分が体験することがまた新しい選択肢を生んでくれると思います。


写真:上田仁/撮影:ラリーズ編集部

思い描いた未来でなくても

上田仁:「上田は将来こういう指導者になってほしい」って言ってもらえるのはすごくありがたいんです。ただ、ドイツに住んでまた全く違うものが見えてくるかもしれない。美味しいパンに感動して“パン屋さんになろう”とか。

だって、結局、今まで自分が思い描いた未来になってないから(笑)。でも、人生でそのときに自分が思うことを、思い切ってできる自分でありたい。

家を売ってドイツに行くこともそういう意味です。

――パン屋さんも案外似合いそうですけど(笑)。
上田仁:(笑)。ただ、やっぱり卓球は好きなので、いずれ日本に戻ってきたとしたら、自分の体験したことや知識を自分の得意な言語化をしながら何かできたら嬉しいな、というのは考えています。

ちょっとカッコつけかもしれないけど。


写真:上田仁/撮影:ラリーズ編集部

Tリーグ5年間の思い出

――最後に。5年間のTリーグを振り返って、いま一番鮮明に残っている景色は何ですか。
上田仁:ファーストシーズンの開幕戦ですね。

自分がプロに転向しての第1試合目、相手が荘智淵(チュアンチーユエン・チャイニーズタイペイ) だったんです。強いんですけど僕はわりと相性良くて、そこで勝てたことは、言葉にできないぐらいの喜びと、ああ自分はプロになったんだっていう感慨をとても覚えています。あそこで勝てたから、一年目の自分は自信に満ち溢れていましたね。


写真:2018-2019seasonでの上田仁/撮影:ラリーズ編集部

――他には。
上田仁:逆の意味で思い出深いのが、リベッツ時代の、T.T彩たまのピッチフォード戦ですね。

あの試合を機に休養に入ったんですが、自分がどうしようもできないくらいメンタルがおかしくて、ボロボロに負けました。

やっぱり節目を覚えてますね、自分がリベッツで復帰した試合、T.T彩たまでシングルスで初めて勝ったとき、(松平)健太と十何年ぶりにダブルス組んだとき。


写真:上田仁/撮影:ラリーズ編集部

応援してください、でなく

――では、きっとこれからも上田さんを応援し続ける、ファンのみなさんにメッセージを。
上田仁:応援してください、じゃないなって最近思ってきたんです。応援されるように頑張ります、だなと。

応援してください、は相手が決めることなんです。自分が決めることじゃないことで物事を進めようとするから頭がこんがらがる。

あの人応援したいなって思ってもらえるような活躍ができるように、頑張りたいなと思います。

――もうこの先、日本ではプレーしないんですか。
上田仁:先のことはわからないんです(笑)。ドイツでやってる期間は基本的には日本国内の大会には出ないつもりですが、いずれまた日本に戻ってきて出るかもしれませんし。

それも楽しみにしていただけるような選手でありたいなと思います。

取材を終えて

思い描いた未来でなくても、と上田は穏やかに言った。

どれだけの人間が、思い描いた通りの今日を生きているのだろう。

アスリートは、現実の受け止め方と、それでも新たに一歩踏み出すことの大切さを教えてくれる。

【前編】上田仁、ブンデス挑戦の背景に“ずっと欲していたある言葉”はこちら

【2021年5月掲載】特集「上田仁 復活物語」