元卓球選手 50代からの"サードキャリア"(山本恒安・前編) | 卓球メディア|Rallys(ラリーズ)

写真:山本恒安/撮影:佐藤主祥

卓球インタビュー 元卓球選手 50代からの“サードキャリア”(山本恒安・前編)

2020.04.08 文:佐藤主祥

あなたは「サードキャリア」について考えたことがあるだろうか。

アスリートにとって、選手引退後に待ち受ける「セカンドキャリア」をどうするかは、深刻な課題だ。卓球界ではこれまで実業団選手となり、現役を終えたら企業人としてサラリーマン人生を全うするのが理想のルートとされてきた。

そんな王道とも言えるセカンドキャリアに自ら終止符を打ち、「第3の人生」を切り拓こうとしている男がいる。

元世界卓球選手権日本代表の山本恒安氏(56)だ。現役時代、松下浩二氏(現Tリーグチェアマン)、渋谷浩氏(元全日本王者)らと並ぶ名カットマンとして活躍。指導者としてもその手腕を発揮した同氏はその後卓球から離れ、サラリーマンとして仕事に徹していたが、定年までのカウントダウンが始まった50歳の時、会社を離れる決断を下したという。

名門シチズン時計株式会社で定年退職を間近に控えていた同氏は「選手も監督もサラリーマンもやりきった」と2020年4月に起業する。安定した環境を自ら捨てる選択をした山本氏は「サードキャリア」で何を目指すのか?その真意に迫った。

カットマンとしてインターハイ2冠、実業団の名門・シチズン時計へ


写真:現役当時の山本恒安氏/提供:山本恒安
和歌山県で生まれた山本氏は、よく通う近所のお好み焼き屋に卓球台が置いてあったことから、自然とラケットを握り始めた。小学時代から160cmと高身長だったため、守備範囲の広さが求められるカットマンを選択。出場した大会ですぐに3位入賞を果たすなど、頭角を表していった。

中学時代には、3年時に全国中学校大会の団体戦で優勝。京都の名門・東山高校入学後も、3年時にインターハイで団体、シングルスともに優勝を飾るなど同世代のトップに君臨した。

その後、同志社大学を経て、実業団チームの名門・シチズン時計に入社してからも競技への意欲は衰えず「やはり社会人になって、立場や目的、意識の持ち方などが変わってくるので、頑張らないといけない」と卓球に打ち込む覚悟を決めた。

懐かしの名選手たちとの思い出


写真:現役当時の山本恒安氏/提供:山本恒安
とはいえ、企業スポーツのため競技活動と仕事の両立を図る必要がある。

「当時はアマチュアリズムが提唱されていたので、仕事も卓球も『50:50』。どちらかが、もう片方以上に時間を割くことは考えられない時代だった」と話す通り、一流アスリートといえど、仕事との両立が義務付けられた。

平日は15時まで働き、それから夜まで練習するという、まさにデュアルキャリアを実践していった。

その中で、練習がない土日には大学でトレーニングをしたり、有名な指導者のもとに出向いて教えを乞うなど、愚直に競技力向上を追い求めた。

その甲斐あってか、入社3年目の1988年に全日本実業団選手権の団体戦で優勝を果たし、1991年には日本代表として世界選手権に出場。その後も1995年に日本リーグの団体戦で優勝、2000年には全日本社会人選手権シングルスで優勝を飾るなど、数々の輝かしい戦績を残していった。

数ある戦いの中から印象深い試合について問うと、山本氏はしばらく考え込んだ後に「全日本での斎藤清さんとの試合ですかね」と答えた。

「斎藤さんは当時、全日本の男子シングルスで歴代最多の8度の優勝を誇る日本式ペンの名選手。その試合では、簡単に2ゲーム取って『楽勝だな』と気が緩んだ後に追いつかれ、『これはまずい』を気を引き締め直しました。最後はデュースの末になんとか勝てましたが、油断しちゃいけない、という教訓を得た試合でしたね」と当時を回想する。

続けて、「あっ!」と思い出したかのように同じカットマンの名手・松下浩二氏(現Tリーグチェアマン)との試合を回顧する。「1993年に行われた全日本の準決勝で、彼にフルゲームデュースで負けたんです。その試合はカットマン同士というのもあり、めちゃくちゃ長引いたことを覚えています。全然終わらないから、途中から促進ルールが適用されましたからね(笑)」。

セカンドキャリアとして“完全なサラリーマン”へ


写真:山本恒安/撮影:佐藤主祥
山本氏は卓球界では異例とも言える37歳まで現役を続行する。

「当時は会社の都合もあり若手選手を採用できない時代が続いた。だから引退させて貰えなかった」と全日本選手権に出続けた。ベテランの域に入ってもカットの“切れ味”は抜群だった。

いよいよ2001年には現役を引退。その後は監督として選手の指導に当たった。

だが、監督に就任してから7年後、「これからは仕事に徹してほしい」という会社からの要望もあり、後任に監督を引き継いだ。

山本氏は自身の卓球人生について「選手としても、監督としてもやり切ったな、という感じです。今度は家族との時間も増やしたかったので、キッパリと現場から身を引くことができましたね」と清々しい表情で語る。

こうして選手と指導者の長い長い卓球人生にピリオドを打ち、完全なサラリーマンとしてセカンドキャリアを歩み始めた。

卓球を通して恩返しを。第3の人生にかける想い


写真:山本恒安/撮影:佐藤主祥
しかし、山本氏が仕事への専念を決めてから約10年の間に、シチズン時計に大きな変革期が訪れる。

同社は2007年、シチズングループの純粋持株会社(ホールディングス=HD)体制へ移行し、新たに事業子会社として「シチズン時計株式会社(2代)」と「シチズンビジネスエキスパート株式会社」を設立。だが2016年にこの2つの子会社を吸収合併することが決まり、事業持株会社へ回帰したのだ。

この間、山本氏はHD体制の核となる3社の総務部門を支える役割を担い、会社の再編に尽力した。

「競技は引退しましたけど、気持ちは根っからのスポーツマン。目標を持ったらそこに向かって突き進む性格なので、サラリーマン時代は会社再編の実現に向けてがむしゃらに突っ走っていましたね」

それゆえ、目標を達成した直後、一種の「燃え尽き症候群」の症状に陥った。

「現役時代と同じように、仕事も『やり切った』という感覚があったんです。経験すべきことは全てやってきたので、今度はその経験を次のキャリアに生かそうと、そう決めました。ここまでお世話になったシチズン時計には、感謝の気持ちでいっぱいです」

そして次のステップとして、考え抜いた末に導き出した答えが、一般社団法人の設立だ。「これまで培った卓球とサラリーマンの経験で得たものを、卓球を通して恩返ししたい」という山本は自ら立ち上げる新組織(一般社団法人スマイル育英会)で、部活動支援を軸にジュニア育成・レディースやシニアの育成に当たっていく。

人生のマイルストーン(節目)を55歳と考えていた山本氏は、その歳を迎えた昨年、会社に退職する旨を伝え、キャリアチェンジに踏み切った。

競技者からサラリーマン、そして一般社団法人で起業へ。2020年4月から、2つの人生を全うした男の“第3の人生”が幕を開ける。

部活の顧問「負荷軽減を」 大企業、早期退職での挑戦(山本恒安・後編) に続く

男子ランキング
2020.09.22
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日本
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2
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馬龍 (中国)
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伊藤美誠(日本)
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