卓球辞めたら、何しよう。
ある選手はそれを笑顔で想像し、ある選手はそれを失意の内でつぶやく。
この話は、後悔の中で卓球ラケットをハサミに持ち替え、にも関わらず「いつか卓球界に貢献したい」と思い続けた、一人の美容師の物語である。
>>なぜ男は、卓球全日本チャンピオンから餃子屋になったのか<野平直孝・前編>
このページの目次
佐藤利香さんが私の救世主だった
写真:美容師のakaneさん/撮影:ラリーズ編集部
――akaneさんは名門・明徳義塾卓球部出身なんですよね
akane:高校で明徳に入りました。高知出身なんですけど中学は別のところで。全寮制の明徳で頑張れば、中学から卓球を始めた自分でも高みにいけるんじゃないかと思って。
でも当時の明徳卓球部は徹底した実力主義で、私は実力不足で卓球台に入れず、球拾いとか鏡拭きとか。時には、コーチの家の犬の散歩に行ったり(笑)。
当時、明徳の女子は人数も少なく、成績も今の明徳ほど出ていない状況でした。私は卓球台にも入れず、何やってんだろうと思ってたときに、ちょうど来年監督になるかもしれないっていうタイミングの佐藤利香さんが見学に来たんです。
――全日本優勝2回(1988年度、1991年度)、五輪も二回出場している佐藤利香さんですね
akane:はい、今でも覚えてます。高校2年になる少し前です。
写真:佐藤利香氏(右端)/提供:アフロ
私、いつものように外をウロウロしたり鏡拭きしたりしていたら「ところであなたは一体何をやっているの、台が空いてるのに卓球しないの」って言われて。その時にこれは当たり前の状況じゃないんだって思った。
「何ヶ月後かに私に代わるから思いっ切りやろうね」って利香さんが言ってくれて、そこから強い弱いはもちろんあるんですけど、みんな平等に教えてもらえるようになりました。
劣等感の塊だった
――待ち望んだ練習ができるようになった
akane:みんなメキメキと伸びていきました。そうなると、全国から集まってきている男子も女子も、私が高知の中学校で見てた“強さ”と、格が違うわけです。
その子たちとずっと朝昼晩過ごしているうちに、いつから卓球始めたのって話になって、向こうは小学1年生からやってる、そんな子たちに、中学から始めた自分が今から努力して勝てるわけがない。心のどこかでそう思ってしまったのかもしれません。
レギュラーに入れる自信もなく、劣等感の塊だったから、裏方仕事も素直な気持ちで取り組めなかった。
「努力して結果が出なかったらどうしよう」
――佐藤利香さんは教えてくれたんですよね
akane:利香さんがすごく指導してくれるのに、どこかで「私なんかが強くなるのか」と、信じられなくて。「あなたは自分を信じなさい」って利香さんが言ってくれてるのに「努力して結果が出なかったらどうしよう」と、自信がないから考え方が歪んでいって。
利香さんが監督になったことで、下の学年にはさらに強い子たちが入ってきて、明徳女子は全国のトップを狙うチームになっていった。
反対に、自分の心は荒んでいった。
結局、私は同級生との最後の大会にも応援にも行かず終わりました。
でも、後になって気づいたんですけど、佐藤利香さんも本格的に卓球を始めたのは中学から、それで高校の時に全日本チャンピオンになってるんですよね。だからこその言葉なのに、当時の私はそんなことも知らずに…。
――そこから、どうして美容師の道に
akane:明徳って全寮制であまり髪も切りに行けないので、年代毎に、器用でそういうのが好きな子が、洗面所とかでみんなの髪を切ってたんです。それが私で。
写真:akaneさんの仕事道具/撮影:ラリーズ編集部
出会う人と育つ環境で、人はどれだけ変わるか
――繋がってるんですね、明徳卓球部と。
akane:はい。高校3年になって、みんなが実業団とか大学とかに進路を決めていくときに、私は行くところがないし、卓球とはもう離れたくて。部活の同級生たちに「そうだ、美容師になれば」って言われて。
それを利香さんに相談に行ったとき、言ってもらった言葉は、今も胸に強く残っています。
「出会う人と育つ環境でどれだけ変わるか、あなたは卓球でよく感じたはずでしょう。だからもし美容師を目指すなら、東京に行きなさい」って。
写真:美容師のakaneさん/撮影:ラリーズ編集部
よし東京行こうと決めました。でも両親の大反対に遭って、大阪の専門学校に入るんですけど(笑)。
親に本気を示すためにバイトでお金を貯めようと思った。明徳には仮卒業という制度があって、卒業式まで学校に行かなくていい期間があるんです。そこで、学校に内緒で(笑)高級旅館の短期バイトをしました。
その期間に同級生の最後の大会が行われていましたが、私はバイトをとりました。
明徳の環境のありがたさに気づく
――最後の大会も行かずに、美容師になるためのバイトを選んだ
akane:でも、そこで、明徳卓球部の環境のありがたさに気づくんです。
朝5時半からモーニングの準備して終わったら1回家帰って少し休憩してから、結婚式と披露宴の準備、披露宴の間はビールを注いで、終わったら片付けて。それも毎回上司に怒られながら。
写真:美容師のakaneさん/撮影:ラリーズ編集部
「あ、この時間を練習に割いてたら、もっと強くなれたのかも」とか「勝ち負け考えずに、ただ好きだったら無心になってやれば良かったのに」って思ったら、後悔と恥ずかしさがこみ上げてきました。
そのときに最後の大会に出ている同級生たちが「こうだったよ」「帰りにこんなところ寄ったよ」ってメールをくれるんです。
私は同じ景色を見られなかったんだって思ったら、結構良いバイト代になったのに、お給料もらっても全然味気なかった。
写真:美容師のakaneさん/撮影:ラリーズ編集部
最後の日まで打とうとしてくれた
――そのまま卒業ですか
akane:結局、次に明徳に行ったのは卒業式の日でした。たった数ヶ月で後輩たちとの関係性も変わっていて、私の居場所がないと感じてしまった。自分で消してしまったんから当たり前なんですけど。
でも、利香さんは最後の最後まで、そんな私に卓球をさせようとするんですよ、え?って思って。
私は次の日からもうラケットを置く身なのに、まだ打とうとしてくれるのは何でだろうと。
「あなたはここで最初の私の生徒だから、この卓球を通じての日々を忘れてほしくない。辞める辞めないじゃなくて、今、卓球してるこの時間が大切なんだ」って、教えてくれました。
――高校時代の後悔を言葉にするなら、何でしょう
akane:最後までやりきれなかった後悔と、自分を信じなかった後悔です。
その2つを強く胸に刻み、akaneさんは美容師を目指して大阪の美容専門学校の戸を叩く。
そのドアはやがて、多くの卓球選手が通う原宿の人気美容師への道へと繋がっていくのだが、それはまだ先の話。