【吉田雅己#3】なぜ僕は「勝ちきれない卓球選手」なのか 巨人・丹羽孝希の登場


Tリーグ岡山リベッツへ所属を表明した吉田雅己。全中で優勝し、インターハイを制覇したド派手な経歴を持ちながら「勝ちきれない選手だった」と過去の悩みを語る。

北海道札幌市に生まれた吉田がラケットを手にしたのは6歳。2人の兄が先に卓球を始めており、父親がインターハイベスト16、母親も拓殖銀行の実業団選手というまさに卓球一家だ。その上、家には自前の卓球練習場までついていた。「自宅の“中”に卓球台があるんじゃなくて、自宅の“横”に特設の卓球場があるんです」。

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幼少期から「1番」の経験がなかった

卓球クラブの練習がない日は自宅で家族とともに猛特訓に励んだ。「例によって父親が怖くて」と振り返る。もはや卓球選手へのインタビューではおなじみの「父親のマンツーマン熱血指導」だ。肉親からの指導はつい熱が入りすぎ、多くの選手が幼少期の練習で卓球は辛く、恐ろしいものだと捉えてしまう。ただ、吉田はまったく違った。「楽しくて仕方なかったですね。好きでたまらなかった」というから驚きだ。練習して強くなって試合に勝つ。スポーツのシンプルな面白さが吉田少年にはたまらなく楽しかった。

だが、壁にぶち当たる。全日本バンビの決勝で敗れ、2位になってしまった。敗れた相手は同じ北海道の後藤卓也(現・協和発酵キリン)だ。さらにカブ4年生では、3位に順位を落とす。代わりに2位に食い込んできたのが北海道の“小さな巨人”丹羽孝希だ。短期間に自分が勝てない選手が2人も立て続けに登場した。それも北海道から。「だから僕は他の選手みたいに幼少期から1番っていう経験がほとんどない。常に上がいたんで、その選手に追いつくために卓球に打ち込んでこれた。彼らがいたから強くなれたのは間違いない」。その後、小6カデットはで全国初優勝を果たすが「これはもう奇跡みたいなもんです」とまで言う。

とは言え、小学生時代の実績としては全国クラスであることは間違いない。中学校は名門・青森山田へと進んだ。卓球部に入部した吉田は「スター軍団」の顔ぶれに驚かされる。吉田たちの3年上には上田仁と松平健太が、そして高3には水谷隼と松平賢二が在籍していたのだ。「もう勝つのが当たり前っていうくらいの部活で。水谷さんは高校2年生ながら全日本を制した年でもあったので。かたや僕たちはちょっと前までランドセルを背負っていた少年(笑)。もう話しかけらないくらいすごいオーラがありました」。吉田は「偉大なプレーヤー」と憧れる水谷と入部して初めて会話した日のことを今でも覚えているという。「水谷さんにいきなり『お前、こっち来んなー!』って言われて(笑)。イジりだったと思うんですけど、最初の会話がこれかよ…!って思いましたね」。

豪華だったのは先輩だけはない。同期には丹羽・町らライバルたちだ。この2人に吉田を加えた3人は後にチームの主力として活躍する。ただ、鳴り物入りで入部した「3枚看板」の中にあって、吉田は冷静だった。「丹羽が抜け出ててる。多分個人戦で、カデット、全中、インターハイ、ほとんど取りこぼししてないんじゃないかな …。それくらい丹羽が強かった。それで町(飛鳥。現シチズン時計)が次にいて、なんだかんで僕。3枚が横一線だったわけではない」と振り返る。

厳しい競争環境に揉まれながら吉田は青森山田で卓球の力をつける。厳しい練習環境下にあって、吉田の肌にあったのが青森山田を貫く「実力主義」の風土だった。そして吉田は人生のターニングポイントになる全中、インターハイを制し、一躍日本卓球界でその名を売っていくのである。(4回目に続く)

文:武田鼎(ラリーズ編集部)
写真:伊藤圭

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