【#5森薗美月】後悔しないためのプロ転向、その先へ。新生・森薗は2020年を夢に見る


「自分らしく卓球をしたい」約束された道から己の道へ

森薗美月は、卓球の強豪・四天王寺高校出身である。

強豪高校の卓球部の選手には、全国の大学、実業団から勧誘が届く。ただ、四天王寺高校の大嶋監督がミキハウスの監督を兼任しており、練習場が高校と一体化しているので、優秀な選手はそのままミキハウスに入り、キャリアを積む選手も多い。石川佳純(全農)も四天王寺高校からミキハウスに入り、世界の舞台へと巣立っていった。

森薗も当初はミキハウスに行く予定だった。

ところが高2の1月に右アキレス腱部分断裂の怪我で戦線離脱。その中で作馬六郎コーチの教えが「卓球がすべて」という森薗を心の壁を打ち砕いてから気持ちが変わり、進路を慎重に考えるようになった。

「ミキハウスは寮生活で確かに卓球を練習するには最高の環境なんです。でも、精神的に苦しんだ時期もあったので自分らしく卓球できる場所を探したいと思い、大嶋監督に相談させていただきました。最終的に今の自分に足りないものは何かと考え、インターハイ終了後(8月)にミキハウスを辞退することを監督に伝えました」

通常、有力選手は卒業する1年以上前から進路が決まっている。大学のスポーツ推薦は高3の夏にはすべて終わり、実業団も大枠が決まる。どうしようかと困っている時、昔から仲良くしてもらっていたサンリツの阿部恵から声をかけてもらった。

「うれしかったですね。本当に感謝の気持ちでいっぱいでした」

2015年春、森薗は日本リーグ1部のサンリツに入社したのである。

自由な時間が増えて見つけた“好サイクル”

「サンリツに入った時は、先輩方が戦術、技術が高く、成績を残している人ばかりで私よりも強かった。それが良かったと思います。頑張って追いかけていくことができました。同時に卓球以外の空いている時間をうまく使って自分のための勉強というか、いろんなところに行ったり、いろんなことに挑戦してみようと思いました」

人間力を高めるために森薗は積極的に外の世界に出ていった。山登りもそのひとつである。休日は北アルプスの山を訪れ、富士山にも登った。山登りをしている時は集中しており、頂上に着くと「ここまで自分の足で登って来れたんだから頑張ったら何でもできる」とポジティブに考えられるようになり、それが卓球にも生きるようになった。卓球から離れ、気分転換の効果もあった。

「山登りだけじゃなくて音楽からインスピレーションをもらうことが多いですね」

森薗は優しい笑みを浮かべて、そう語る。

音楽は、卓球する時もオフの時もいつも傍にある。

同世代の卓球選手は平野美宇を始め、ジャニーズやAKB好きが多いが、森薗の好みは少し変わっている。音楽は、illmore(イルモア)やスチャダラパーが好きだという。自らの性格を「基本的に何に対してもこだわりが強い」といい、ついこだわりすぎるのだという。例えば部屋のインテリア一つとっても「これでいいや」というモノは置かない。大事な睡眠のために枕にこだわりぬき、好きな香りのアロマキャンドルを焚き、ボディケアにも余念がない。


自由な時間が増え、日常生活がうまく回ると卓球にも好影響が出始めた。

日本リーグデビューは、2015年前期の最終戦だった。相手が圧倒的に優位という下馬評を覆して勝利すると後期は4勝2敗でチームのプレーオフ進出に貢献。自分がやれることをやった結果、新人賞を獲得した。

2016年には全日本社会人卓球選手権のシングルスで優勝。張コーチと抱き合い、「少し恩返しできたかな」と思えた。翌2017年の全日本卓球選手権のシングルスではベスト16に入った。日本リーグ後期では8期ぶりの優勝に貢献した。結果を出して感謝の気持ちを表すことができ、チームや周囲の人も喜んでくれた。そこで一つの区切りがついた気がした。

2018年3月、森薗は大きな決断を下すことになる。

サンリツを退社し、プロの卓球選手になることを選んだのである。

「世界の舞台で活躍したい」プロへの転向。感じ始めたプレーへの迷い

「その決断に至った大きなキッカケは2017年のチェコオープンです。社会人1年目から海外からやりたい気持ちがあったんですが実績もなく難しかったんです。でも、チェコの前からちょこちょこワールドツアーに参加させていただいて、チェコでは石川(佳純)さん始め、今まで一緒の舞台に立てなかった選手と同じ舞台に立って戦うことができた。その時、自分もこの舞台で活躍したいとすごく思ったんです」

海外で日本代表となって戦うには国際大会に出場し、国際卓球連盟のランキングを上げていかなければならない。だが、実業団にいると国内大会優先になり、プロツアーへの優先度は下げざるをえない。「負けず嫌いでこだわり性」の森薗にとって、実業団とプロツアーへの両立はそう簡単なことではなかった。海外への想いは日に日に募るばかり。やがて「やるならどっちかに集中したい」と思うようになった。

自分の気持ちに正直に問いかけた結果、プロとして活動していくことを決めた。

ただ、肝心の卓球で壁にぶつかっていた。

今年の全日本卓球選手権のシングルスはベスト16に終わり、その壁を越えられなかった。ライオンカップも佐藤瞳、早田ひなに敗れて、第1ステージで敗退。肝心なところで勝ちきれないと悩んでいた。全日本卓球選手権後には「自分らしいプレーができていない」とツイッターで呟くなど、自分の卓球に迷いが生じていた。

「昨年の全日本社会人(11月)で松澤(茉里奈)さんに負けたんですが、相手の早いプレーについていけなかったんです。その早さに対応する練習をしていたんですが、プレーの域が変わると自分のプレーのバランスも崩してしまったので一度戻したんです。そのタイミングで世界選手権の選考会に出たんですが、早田(ひな)さんも早いプレースタイルで遅れを取って負けてしまいました。自分のプレーのポジションを守って戦うべきなのか、それとも前に出て早さに対応すべく全体的に戦い方を変えていくべきなのか。迷っている間に自分を見失ってしまったんです」

その迷いの中での全日本、そしてジャパントップ12の結果だった。

自分のスタイルをどうすべきか――。
成長の過程で誰もがぶつかり、越えなければならない壁だ。
森薗は悩んだが、すでに結論を出し、動き始めている。

「早さに対応するために土台作りを始めました。フィジカルを鍛え、自分から早く動くスタイルにするためです。攻めは最大の防御なりと小さい頃に教えられ、自分の性格も受け身になるタイプではないので攻めの姿勢を貫きます。しばらく成績が出なくても長い目で見てやっていこうと思っています」

世界は高速卓球の時代に入っている。

そこに対応できない選手は、どんどん振り落とされていく。世界で生き残ることは、森薗の目標である東京五輪に出場することにもつながる。

「全ての人に恩返しがしたい」夢の東京五輪に向けて

「今の私の目標は東京五輪に出ること。そして、メダルを獲ることです。多くの人は『無理じゃないか』って言いますし、『冒険せずに今大事に』っていうアドバイスも受けました。でも、挑戦せずに諦めると絶対に後悔する。私は自分の卓球で後悔だけはしたくないんです。何事も挑戦することに意味があると思うので、悔いなく最後までやり切ります」

森薗に限らず、多くの卓球人の目標は五輪に出て、メダルを獲ることだろう。森薗がその困難な目標に挑戦し続けるのは、もちろん自分のためでもあるが、怪我から復帰した時、自分が卓球する意義を新たに得たからでもある。

「今まで私に関わってもらった人たちに恩返しをする」

自分のためだけではなく、誰かのために――。

その想いを抱いて卓球をつづけていく限り、森薗を支える人たちからのエールは途切れることはないだろう。

祖父が名付けた「美月」が本当に輝く時はもうすぐだ。

森薗美月のインタビューはこちらから

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取材・文:佐藤俊(スポーツライター)、写真:伊藤圭
撮影地:中目黒卓球ラウンジ

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