取材・文:高樹ミナ/スポーツライター
世界規模で加速する新型コロナウイルス感染拡大の影響はスポーツ界にも広がり続けている。
2020年東京五輪・パラリンピックが来夏に延期されたのを筆頭に、卓球界でも今年3月に行われるはずだった世界選手権釜山大会が、現時点では9月末に延期されており、そこからさらなる延期を国際卓球連盟(ITTF)が検討中だ。
ITTFワールドツアーに関しても、唯一の日本開催である4月のジャパンオープン荻村杯が延期になったのをはじめ、6月30日までに予定されていた全イベントの一時中断が決定しており、その後の開催についても協議が続いている。
終息の道筋がなかなか見えてこない未曾有のコロナショック。刻一刻と状況が深刻化する中、卓球世界一の中国チームが母国に帰れず、ドイツオープン(1月28〜2月2日)終了直後からカタール滞在を経て、現在も中国の特別行政区であるマカオに留まっている。
その間に日本卓球協会も中国チームを受け入れる方針を固め調整に奔走したが、実現には至らなかった。そのことは報道にもあった通りだが、詳細までは伝えられていない。
「打倒中国」を掲げ、悲願の五輪金メダルを狙う日本がこの時期に最大のライバルを迎え入れようと決めたのはなぜなのか?日本卓球協会の考えと実現に至らなかった経緯を聞いた。
(取材:3月)
>>世界の卓球強豪国とは? <宮﨑義仁のワンランク上の卓球の裏側#4>
劉国梁からの相談
「あれはドイツオープンが終わるか終わらないかのタイミングでした。(中国卓球協会主席の)劉国梁から連絡があり、日本で中国チームを受け入れてもらえないかと相談されたんです」
そう切り出したのは日本卓球協会強化本部長の宮﨑義仁氏だ。相談を持ちかけられたのは1月末。まだ日本では新型コロナウイルス感染症の拡大が今ほど危機的状況ではなく、日本卓球協会は中国チームを救済しようと、直ちに受け入れの方向で動き出した。受け入れ先として、世界ジュニア選手権大会・日本代表最終選考会の開催地である千葉県旭市に協力を要請した。
写真:中国卓球協会主席の劉国梁/提供:ittfworld
千葉県北東部に位置する旭市では、2011年から卓球世界ジュニア選手権大会の代表選考会が開かれている。かつては2020年東京五輪代表の伊藤美誠(スターツ)や平野美宇(日本生命)、張本智和(木下グループ)らもこの地からジュニア世代の代表として世界に羽ばたいていった。
「連絡をしたその日のうちに旭市が協力を約束してくれて、ホテルや体育館を押さえられるかどうかなどの確認に動いてくれました。受け入れの期間は韓国オープンが予定されていた6月中旬まで。2月27日には旭市長から受け入れを公表するプレスリリースも出されるはずでした。ところが……」
この日、新型コロナウイルス感染拡大の状況は急転直下を迎える。27日夕方、安倍晋三首相が全国の小中学校、高校、特別支援学校に向け、3月2日から春休みまで臨時休校の要請を出したのだ。政府が一斉休校を求めるのは異例中の異例で、旭市の中国チーム受け入れにも、文部科学省の外局であるスポーツ庁から待ったがかかった。
やむなく受け入れを断念
「受け入れをやめると聞いたときは心底、がっかりしました」と宮﨑強化本部長。もちろん今となっては、その判断もやむを得なかったと言えるが、日本卓球協会としては、行くあてのない中国チームの窮地を黙って見過ごすわけにはいかなかった。
宮﨑強化本部長は事態の急変をすぐさま劉国梁に報告した後、他にも日本国内で受け入れを申し出ている自治体の話をしたという。
「マスコミ各社が2月29日に、中国チームの受け入れを日本卓球協会が断念したというニュースを報道し、それを見た東京都武蔵野市をはじめ数カ所の自治体が手をあげてくれました。劉国梁に、どうしても日本がいいということであれば、もう一度、調整に動くと伝えましたが、日本でも新型コロナウイルスの感染が広がりつつある中で、中国側も『時期を見極めたい』と言い出し、このままでは4月のジャパンオープン荻村杯も開催が危ういのではないかという懸念もあって、日本に来ることを諦めました」
写真:左から中国代表の馬龍、劉詩雯、日本代表の伊藤美誠、張本智和/撮影:佐藤主祥
こうして中国チームはカタールで延長ビザを発給されドーハにとどまった後、3月13日にマカオに入って今日に至る。この時点では5月の香港オープンと中国オープン、6月の韓国オープンとオーストラリアオープンの中止や延期は発表されておらず、各大会の開催地に移動しやすく、新規感染者もゼロだったマカオは滞在に適していた。しかし、3月29日に開かれたITTFの緊急会議で、6月30日までの全イベントの一時中断が決定した。
卓球を通して世界平和に貢献する
「打倒中国」を掲げる日本卓球協会が最大のライバルを受け入れるということは、ともすれば敵に塩を送ることになりはしないだろうか。
だが、協会側にそうした考えはなかったという。
写真:卓球を通じた世界平和に尽力し続けた故・荻村伊智朗氏(左)。写真右は中国の元世界王者・荘則棟氏/提供:荻村一晃
「私たちが卓球を通して最終的にやろうとしていることは、世界平和への貢献です。スポーツを通して世界中の人たちと交流し、国と国、地域と地域が仲良くなることなのです。そして、ただ仲良くなるだけでなく、お互いが切磋琢磨し技術を高め合って、相手の高い技術や競技に対する姿勢をリスペクトする。私たち卓球に携わる者は、そういう世界に生きています。だから困っている中国チームを最初から受け入れないという考えは毛頭ないのです」(宮﨑強化本部長)
1926年に設立した国際卓球連盟は国単位ではなく、協会単位での加盟が原則で、1988年ソウル五輪で五輪の正式競技になるまで国旗と国歌は使われていなかった。それは地域の卓球活動を推進するのは選手一人一人が基本で、その集合体が協会だという考えからだ。
これは、五輪の憲法に位置づけられる『オリンピック憲章』にも通じており、その第1章には「オリンピック競技大会は、個人種目または団体種目での選手間の競争であり、国家間の競争ではない」と謳われている。
だが、それも1908年ロンドン大会で五輪への参加が初めて各国五輪委員会を通じて行われるようになり、国旗を用いた入場行進が採用されたのを機に、ナショナリズムがあおられるようになって、いつしか国別対抗でメダルの数を競う現代の五輪へと形を変えていった。
ライバルは敵ではない
今回の中国チーム受け入れは、新型コロナウイルスという人類の予期せぬ敵によって阻まれたが、日本卓球協会の総意を代弁する宮﨑強化本部長は、「心は通じたはずだし、この出来事は中国と日本の一つの架け橋になったと思う」と話す。
写真:ロンドン五輪女子団体表彰式の様子/提供:ZUMA Press/アフロ
その証拠に中国卓球協会主席の劉国梁から後日、日本卓球協会と千葉県旭市に礼状が届いた。そこにはこう書かれている。
「中国チームが日本で練習をする計画につきまして、日本卓球協会、日本オリンピック委員会、日本政府体育部門、特に千葉県旭市の皆様が私たちの練習場所やホテルや交通の手配にご尽力下さいまして、誠に有難うございました。(中略)中国卓球協会と中国チームは、皆様方が色々な段取りをして下さったことに心から感謝申し上げます」(礼状の日本語訳より一部抜粋)
日本の前に立ちはだかる中国の壁は厚い。だが、超えるべきライバルであっても、いがみ合う敵ではないのだ。