日本代表候補から落選も1年で世界卓球代表に 横谷晟を覚醒させたドイツでの武者修行 | 卓球メディア|Rallys(ラリーズ)

写真:横谷晟(愛知工業大)/撮影:ラリーズ編集部

卓球×インタビュー 日本代表候補から落選も1年で世界卓球代表に 横谷晟を覚醒させたドイツでの武者修行

2022.12.24

この記事を書いた人
Rallys編集長。学生卓球を愛し、主にYouTubeでの企画を担当。京都大学卓球部OB。戦型:右シェーク裏裏

東京五輪金メダリストの水谷隼さんが著書で、その身体能力とボールタッチに言及するほどの“大器”が、愛知工業大学2年の横谷晟(よこたにじょう)だ。

幼少期から同世代のトップを走り、名門・愛工大名電中高で腕を磨いた横谷は、2022年3月の世界卓球選考会を一気に勝ち上がり、日本代表の座を掴み取った。世界卓球では1試合のみの出場だったものの、日本代表として世界の舞台で戦った。


写真:横谷晟(愛知工業大)/提供:WTT

国内でも常に上位を争い、大学1年生の終わりに世界卓球代表を勝ち取るという順調なステップアップに見えるが、本人は「高3から大学1年にかけては腐っていた」と語る。

そこから立ち直り、覚醒のきっかけは何だったのか。横谷に話を聞いた。

“飛び級”で世界選手権代表入り


写真:LION CUP3位に入った横谷晟(愛知工業大)/撮影:ラリーズ編集部

――LION CUP TOP32で3位に入り、世界卓球代表権獲得した際はどういう心境でしたか?
横谷晟:選考会は、良い意味で自分に期待しなかったので思い切ってできました。

代表に決まり、世界選手権に出るからにはやるしかないなというような気持ちでした。

団体戦でも日本という国を背負っているので、他の代表選手たちに近づけるように、という思いがひたすらありましたね。

――代表内定後はプレッシャーも大きかったと思いますが、どうでしたか?
横谷晟:今となってはとても良い経験でした。

当たり前に勝ち続けることや優勝し続けることができていなかったので、“勝ち続ける”って難しいなというのを実感しました。


写真:横谷晟(愛知工業大)/撮影:ラリーズ編集部

横谷晟:選考会じゃなかったら自分が選ばれてるわけなかったので、ちょっと飛び級的な状況でした。

そういう中で自分を失いかけて、勝てずに落ち込んだ時もあったんですけど、“観られている”という自覚を持ちながら、自分らしく自分の思いを持って頑張りました。

世界選手権ではハンガリー戦で1試合に出場


写真:世界選手権のハンガリー戦でプレーする横谷晟(愛知工業大)/提供:WTT

――世界選手権ではハンガリー戦で1試合出場し、惜しくも2-3で敗れました。
横谷晟:もしチームが負けたら流れが崩れてしまうので、重要な場面で出されたなと自分の中で感じました。

自分のプレーを見失っては良くないと思い、自分らしさを貫きました。


写真:横谷晟(愛知工業大)/提供:WTT

――出場できた経験は大きかったですか?
横谷晟:めちゃめちゃ大きかったですし、あの状況で自分を使ってもらえたのは嬉しかったですね。

国のために自分はいつでも出れるという準備をしていました。準備の段階で、国を背負いながらも自分を見失わないために自分のために準備するということを気づけたのが良かったです。

そこが世界選手権の収穫だなと思っています。

ブンデスリーガでの武者修行で意識が変わった


写真:横谷晟(愛知工業大)/撮影:ラリーズ編集部

――大学2年で世界選手権出場と、順調な卓球人生に見えますが、振り返って苦しかった時期はありますか?
横谷晟:大学に入ってきた時は本当に腐っていたと自分で今振り返っても思います。

高校3年生から大学1年生になるタイミングでNT候補から外されて、内心悔しかったんですけど、目標がなかったというか、大学生になっていろんな誘惑があるのでそっちの方に乗ってしまったりと、“廃人”のような生活を送っていました。

――そこから脱却できたのはどういうきっかけがあったんですか?
横谷晟:やっぱりドイツ・ブンデスリーガでの経験ですね。


写真:ドイツ・ブンデスリーガ2部でプレーする横谷晟(愛知工業大)/提供:本人

横谷晟:入学した4月の時点で(愛知工業大の)森本(耕平)監督からも、「卓球に打ち込む時間を増やそう」と提案してもらっていて、他にも多くの方々に手伝っていただき、ドイツ・ブンデスリーガの方に行かせてもらうようになりました。

内心楽しみというか新しい環境でプレーできるので、もう1度頑張れるかなと期待していた部分はありました。


ドイツでの経験が横谷晟を変えた

――ブンデスリーガの経験はどういう点が大きかったんでしょうか?
横谷晟:練習させてもらっていたチームの監督が、自分のことを良く見てくれたことです。

試合の次の日がオフなのに練習に誘ってくれたり、自分が練習していたら「球出しするよ」と言ってくれたりしました。

「こんなに寄り添ってくれるんだ」「自分にこんな熱心になってくれる人がいるんだ」と気づけて、また頑張ろうって思えたので、そういう風に自分の意識を変えてくれたのは大きかったです。


写真:ドイツ・ブンデスリーガでプレーする横谷晟(愛知工業大)/提供:本人

横谷晟:加えて、2部のチームだったので「自分が勝たないといけない」「勝って当たり前」という目で周りから見られていました。

負けたら英語でボロクソに言われて、悔しいなと思えたのでそこも良かったですね。

苦しんだドイツでの生活


写真:オランダのオープン大会にも出場しシングルスで優勝/提供:本人

――ドイツでは得られるものが多く、良い経験ばかりだったんですね。
横谷晟:そうですね。ただ、ドイツでの生活が一番苦しい部分でもありました。
――苦しいとは…?
横谷晟:負けて苦しいとかそういう問題ではなく、生活するのが苦しい。

文化や言語などの違いもあり、どうにかしたいのにどうにもできないという自分が悔しくて、ポロポロ泣いていた時はありましたね。

――例えばどういうところでしょうか?
横谷晟:ブンデスリーガ2部でのプレーだったので、試合が夕方の3時に始まって、遅いと8時くらいまで試合があります。

そこから自分の練習拠点までは電車で4時間くらいかかるんですが、電車が遅れるのは当たり前で平気で1時間くらい遅れます。なので帰ったら深夜の0時、1時とかでした。

交通費も実費で払うことが多かったので、勝てなかったり、自分に何も持ち帰れなかったりすると、支援してくれている親にも申し訳ないという気持ちが強くありました。


写真:LION CUP3位決定戦での横谷晟(愛知工業大)ベンチには父の淳さんが入った/撮影:ラリーズ編集部

もう一度あの舞台に立てるように


写真:横谷晟(愛知工業大)/撮影:ラリーズ編集部

――これまでの愛工大名電中高、愛知工業大学と進んできて、同世代の中でには常に上位まで勝ち上がっています。

さらに飛躍するためにはどこが課題と考えていますか?

横谷晟:とにかくブロンズコレクターなので、結果から変えていきたいです。

小学校から2年と4年、中1、中3、大1、大2とベスト4ばかりで、高校時代の全日本ジュニアも2年連続ベスト4、世界選手権選考会もベスト4で、なんなら世界選手権もベスト4(笑)。

過去を振り返っても「また3位か…」となってしまう。まずは結果を変えたいなと思っています。

卓球に打ち込む時間を含めた練習の量や質、卓球だけじゃなくて栄養面やトレーニングなどもしっかりやっていきたいなと思っています。

――最後に今思い描いてる目標を教えてください。
横谷晟:まずはコツコツRoad to Parisでポイントを稼ぎながら、自分の実力をあげることです。

パリ五輪を本気で目指しているので、どの試合も全力で大事にしていかないともったいない。

「次は自分がやってやりたいな」と世界選手権のベンチで見ていて思ったので、そういうもう一度あの舞台に立てるように、そこに向けてどう変えてどう自分を作り上げていくかを今取り組んでいるところです。


写真:横谷晟(愛知工業大)/撮影:ラリーズ編集部

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