卓球・日学連新会長はプロ経営者 菱洋エレクトロ社長 中村守孝氏インタビュー【前編】 | 卓球メディア|Rallys(ラリーズ)

写真:中村守孝氏(菱洋エレクトロ代表取締役社長)/撮影:伊藤圭

卓球×インタビュー 卓球・日学連新会長はプロ経営者 菱洋エレクトロ社長 中村守孝氏インタビュー【前編】

2024.03.15

この記事を書いた人
1979年生まれ。2020年からRallys/2024年7月から執行役員メディア事業本部長
2023年-金沢ポート取締役兼任/軽い小咄から深堀りインタビューまで、劇場体験のようなコンテンツを。
戦型:右シェーク裏裏

卓球の試合やニュースを見ていると、RYOYOというロゴを目にする機会が増えたことに気づく。

菱洋エレクトロ株式会社。半導体をはじめとした製品を扱うエレクトロニクス商社である。
同じ業界の老舗大手であるリョーサンとの2024年4月1日の経営統合を発表し、経済界でも話題を呼んでいる。

その菱洋エレクトロを率いるのが全くの異業種から転身して同社の経営改革を実現し、最近“プロ経営者”として知られ始めている、中村守孝・代表取締役社長だ。

多忙を極めるその経営者が、日本学生卓球連盟の会長に就任したという情報を聞き、ご本人にインタビューを申し込んだ。

中村守孝(なかむら もりたか)氏・略歴

1959年生まれ、東京都出身。慶応大学卒業後、伊勢丹(現三越伊勢丹)に入社。2016年常務執行役員。2017年菱洋エレクトロに特別顧問として入社、2018年より代表取締役社長。2024年4月リョーサン菱洋ホールディングス代表取締役社長就任予定。


写真:中村守孝氏(菱洋エレクトロ代表取締役社長)/撮影:伊藤圭

半導体商社が卓球を応援する理由

――菱洋エレクトロは、2019年3月からTリーグのオフィシャルスポンサーを務めていますね。どういった経緯なのでしょうか。
中村守孝社長:ご提案をいただいたのが2018年ですね。

私は2017年3月に、三越伊勢丹ホールディングスの常務を退任して、まったく異業種、半導体商社のこの会社に来ました。その後顧問として経営全般の改革のコンサルテーションに取り組むうちに外堀を埋められ、2018年に社長をやれということになってしまいました。

その後、Tリーグのオフィシャルスポンサーのお誘いを受けたのですが、当時、会社の業績は業界で最も悪く赤字寸前で、スポーツのスポンサーなんて考えられない状況でした。

――そうだったんですね。
中村守孝社長:従業員の待遇も悪かったので、そんなお金を出すくらいなら従業員に還元したほうが良いのではという迷いもありました。

ただ一応、社内で何人かの近いメンバーに意見を求めてみたら、“ぜひやりたい”という意見が出てきました。

――現場が賛成だったと。
中村守孝社長:ならば、うちの会社も上場企業としてまだ力は足りないけれど、少し先のビジョンを見せるために、良い社内外への発信媒体じゃないかと思ったんです。

会社の名前が外に出ていくことで、自分の会社にいくばくかでも誇りを持ってほしかった。それまではまったく皆無でしたから。


写真:Tリーグ4thシーズンファイナルにも「RYOYO」の文字/撮影:ラリーズ編集部

――中村社長自身が卓球にとても詳しいとお聞きしましたが。
中村守孝社長:もちろん、ベースに自分が卓球好きだったというのはありますよ。野島さん(野島廣司氏:株式会社ノジマ代表執行役社長、Tリーグのタイトルパートナーを務める)や松下浩二さん(ノジマTリーグ初代チェアマン)とのご縁もあります。


写真:長﨑美柚(木下グループ)のスポンサーも務める菱洋エレクトロ/提供:株式会社KSM

改革のシンボルとしての卓球応援

――その後、社内に何か変化はありました?
中村守孝社長:アンケートを取るわけでもないのでわかりませんが、こういうことは信じ続けて発信することが大事です。

私のひと声で、社報も作りました。もちろん卓球関連の記事も載ります。

朝出社すると、3ヶ月に1回社報がおいてあれば、どんな人でも見ますよ。その中にひとり自分が知っている人が載っていた、それで良いと思ってるんです。そういうことが全く無い会社だったので。私が前にいた会社、伊勢丹とは真逆の風土です。


写真:菱洋エレクトロの社報には社内卓球部の紹介も/撮影:ラリーズ編集部

中村守孝社長:それまでの弊社は、広告宣伝費ゼロ、すべてにおいて内向き、目立つことを好まず悪とする、従業員の給料も増やさない、という会社でした。まさしく疲弊しきっていましたね。

それをこの6年間従業員と協働して変えてきたなかで、ひとつのシンボリックなものとして卓球への応援ということがあったのかもしれない。

――これから変えていくんだという宣言でもあったと。
中村守孝社長:結局5年くらいかかりましたが、その改革で利益も大きく増え、従業員のボーナスが3倍近くになり、株価も倍になりました。


写真:中村守孝氏(菱洋エレクトロ代表取締役社長)/撮影:伊藤圭

オリンピック博士と呼ばれて

――中村社長ご自身に卓球経験はあるんですか。
中村守孝社長:桐朋という、当時東京でそれなりに強い中学・高校でやってました。私も中学時代には東京都大会の地区予選で優勝するようなことはありましたが、でも関東大会やまして全国大会には全く手が届かなかったですね。

毎日卓球ばっかりで、休みの日も(明治大学卓球部の拠点であった)平沼園に練習に行ったり。当時私が中学生で、大学生だった前原正浩さんと試合して、コテンパンにされました。先日お目にかかりましたが、全くご記憶にはなかったようで(笑)。

大学は慶応に行き、卓球は高校で辞めましたが、ずっと好きでしたね、卓球は。


写真:中村守孝氏(菱洋エレクトロ代表取締役社長)/撮影:伊藤圭

――引退した後も、ずっと卓球を見続けたんですか。
中村守孝社長:ええ。だから、いま卓球界の諸先輩方と溶け込むのも早いですよ、何も仕込まなくても頭の中に入ってますから。先月も学連の場で、1975年のカルカッタ世界選手権準決勝の話を差し上げたら高島規郎さんご本人が驚いてましたよ(笑)。

また前職の人事部長時代に高松三越へ出張した際に、大学の先輩でもある德永尚子さん(旧姓深津、1965年世界チャンピオン)が女将をされている料亭を突撃訪問したりもしました。

――競技を辞めても、ずっと興味を失わなかったんですね。
中村守孝社長:スポーツとしての魅力と、そこで活躍するアスリートに対する敬意は、卓球に限らず、ずっと持っていたからでしょうね。

私の場合小学生から中学生にかけて“オリンピック博士”と呼ばれるほど、ずっとスポーツ全般を見るのが好きだったものですから。大学卒業後はスポーツ新聞の記者になりたかったくらいです。


写真:東京五輪で金メダルを獲った水谷隼(木下グループ)・伊藤美誠(スターツ)ペア/提供:ロイター/アフロ

きっかけはメキシコオリンピック

――そこまでスポーツを好きになるきっかけって何かあったんですか。
中村守孝社長:いま思えば、1968年のメキシコオリンピックですね。当時私が9歳。ちょうどオリンピックが始まったときにひどい風邪を引いて小学校を休んだんですよ、10日間くらい。

その間、ふとんの中でずっとテレビで見て、その世界にものすごく興奮して心惹かれましてね。

――風邪を引いたおかげで(笑)。
中村守孝社長:ええ(笑)。日本も金メダルを11個獲ったのかな、重量上げの三宅義信さんとか、レスリングの上武洋次郎さんとか。

もうお亡くなりになりましたが、女子体操にはまだチャスラフスカさん(チェコスロバキア)がいたり、その後も長らく破られることのなかった陸上走り幅跳びの世界記録8m90cmが出たり。初めて人類が陸上100mで10秒を切ったのも、そのときですね。

それぞれのあまりの素晴らしさに心を打たれて、気付いてみたら全部丸暗記しちゃったんですよ。

表彰式で、黒い手袋で人種差別に抗議する有名なシーンもありました。


写真:メキシコオリンピック表彰式で人種差別に対する抗議を示したシーン/提供:Everett Collection/アフロ

中村守孝社長:まだプロ化も商業化の波も来ていない、とてもスポーツらしい時代の世界のアスリートに小学校の多感な時期に魅了された、それが原体験だと思いますね。


写真:資料も何も見ずにすべて暗記している中村守孝氏(菱洋エレクトロ代表取締役社長))/撮影:伊藤圭

男の眼が光る

論理と美意識が交互に顔を出す、自信に満ちた語り口である。日本学生卓球連盟の会長に就任したこの人にとって、卓球部時代の経験も経営者としての礎の一助となっているのなら、ぜひ聞いてみたい。

“これから社会に出る卓球部の学生や若手社会人にもアドバイスを”と持ちかけたとき、不意に中村社長の眼がギラリと光った気がした。

「卓球で得た何かを社会に活かす?難しい質問ですね。」

更に、男の舌鋒は鋭くなったのだった。


写真:中村守孝氏(菱洋エレクトロ代表取締役社長)/撮影:伊藤圭

>>【後編】卓球で得たものを社会人生活に活かすたったひとつの方法 日学連新会長就任・菱洋エレクトロ社長 中村守孝氏インタビュー