公立でも全国で勝つために「指導者がいない時間こそ大事」33年ぶりインハイ出場の沼田高校卓球部 | 卓球メディア|Rallys(ラリーズ)

写真:沼田高校卓球部/撮影:ラリーズ編集部

卓球×インタビュー 公立でも全国で勝つために「指導者がいない時間こそ大事」33年ぶりインハイ出場の沼田高校卓球部

2024.11.27

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Rallys編集長。学生卓球を愛し、主にYouTubeでの企画を担当。京都大学卓球部OB。戦型:右シェーク裏裏

2024年のインターハイ群馬県予選を33年ぶりに制した沼田高校卓球部。公立高校ながらインターハイの舞台でも1勝をあげ、1年生エースの長尾咲陽人は、シングルスでベスト32に入るなど、存在感を放った。

チームを率いるのは、沼田高校卓球部OBで、現在は実業団・JR東日本高崎で選手としてもプレーする宮澤淳監督だ。

今回宮澤監督に、卓球部の魅力や公立高校ならではの工夫などを伺った。

監督は地元で育った沼田高校のOB

――まずは宮澤さんの卓球の経歴をお伺いできますでしょうか。
宮澤淳監督:私は群馬県沼田市で生まれ、小学校1年生から薄根卓球というクラブで卓球を始めました。

その後、地元の中学校、沼田高校の卓球部を経て、駒澤大学の卓球部に所属。大学時代は強豪ひしめく関東学生リーグ1部で戦っていました。

大学卒業後はすぐに地元に戻りたかったので、JR東日本高崎に就職。会社側に卓球部を作っていただき、現在も働きながら現役選手として活動を続けています。


写真:全日本実業団でプレーする宮澤淳(JR東日本高崎)/撮影:ラリーズ編集部

――現役で選手を続けながら、母校の沼田高校の監督になられたのですね。
宮澤淳監督:沼田高校卓球部には外部指導員という形で携わっています。

元々、私が高校1年の頃から、本多清男さんという方が外部指導員として指導にあたっていました。本多さんは10年以上にわたって部を率い、多くの全国レベルの選手を育ててこられましたが、2021年に病気で亡くなられてしまいました。

当時のチームには実力のある選手が揃っていたこともあり、なんとか力になりたいという思いがありました。そんな中、本多さんの奥さんやOB、保護者の方々からお声がけいただき、そのまま私がチームを引き継がせていただいたというのが、監督就任の経緯です。


写真:練習を見つめる宮澤淳監督/撮影:ラリーズ編集部

指導者がいない時間の練習こそ大事にする


写真:ミーティングで話す宮澤淳監督/撮影:ラリーズ編集部

――宮澤監督が高校生のときは、どういう雰囲気の部活でしたか?
宮澤淳監督:高校から卓球を始めた部員もいてレベル差はあるものの、本当に和気あいあいとみんなで楽しくやっていました。

個人戦で上位に勝ち残った選手がいれば、みんなで応援するような、よくある公立高校の部活という雰囲気でした。

――指導者として率いる立場になり、今の卓球部の特徴や雰囲気をどう見ていますか?
宮澤淳監督:私は仕事をしている関係上、毎日練習を見に行けるわけではありません。

そのため、生徒たちが自ら考えて練習しないといけない時間が多くなりますが、自主的に練習に取り組める自立した選手が多く育ってきている印象です。


写真:練習を見つめる宮澤淳監督/撮影:ラリーズ編集部

――毎日は練習を見られない中で、指導時に意識していることはありますか?
宮澤淳監督:練習に参加できる日は、様々な練習メニューやトレーニング方法を紹介しています。その際、必ずトレーニングの意図やポイントを解説していて、選手はそれらを理解するところからスタートします。。

なぜそれが必要かというと、選手たちが練習の意図をしっかり理解していれば、私の不在時も「今、何をすべきか」自分たちで考えることができるからです。

普通の公立高校である以上、日々の練習時間は限られています。指導者がいない時間の練習こそ大事にしてほしいと考えています。


写真:ホワイトボードに記されたメッセージ/撮影:ラリーズ編集部

33年ぶりに掴んだインターハイ学校対抗の全国切符

――今年のインターハイ群馬県予選では33年ぶりの優勝で学校対抗の全国切符を掴み取りましたが、振り返ってみていかがですか?
宮澤淳監督:インターハイ予選のちょうど1ヶ月前、関東大会の群馬県予選で優勝することができました。しかし、過去33年間の歴史を振り返った時に、関東大会の予選は優勝していても、インターハイ予選で負けたことも多くありました。

2-0からの逆転負け、あと1点とったら勝ちという場面からの逆転負けなど、惜しくも全国に届かなかった数々の歴史を知っているだけに、予選2週間前からは負ける夢とオーダーが外れる夢しか見なかったですね。


写真:エースとしてチームを引っ張った後藤嘉希(沼田高校)/撮影:ラリーズ編集部

――監督として選手たちにはどのように声をかけたのでしょうか?
宮澤淳監督:33年分のいろいろなOBたちの思いはありますが、今の生徒たちにとっては、このチームで臨む最初で最後のインターハイ予選です。

「自分たちの試合だけに集中しよう。プレッシャーは俺が1人で感じればいいから。のびのびやってこい!」というのは試合前からずっと言ってましたね。

――実際に選手たちはのびのびプレーして、優勝できたわけですね。
宮澤淳監督:本当にこの代でのインターハイに懸けていたところもあったので、県外への遠征や大学への練習にたくさん行かせてもらいました。最後は、選手も自信を持ってプレーできたと思います。
――優勝が決まった瞬間はどういう気持ちでしたか?
宮澤淳監督:ラストの5番で1年生の長尾咲陽人が今回勝ってくれました。

最後の1点を取ったとき、自分も飛び上がろうと思っていたのですが、安堵感が強くて、ゆっくり立ち上がったら自然と涙が出てきました。

勝って泣くとは思ってもみませんでしたし、生徒からも散々「泣いてるんですか!?」っていじられました(笑)。


写真:長尾咲陽人(沼田高校) インターハイではシングルスベスト32に入った/撮影:ラリーズ編集部

――インターハイ本戦でも学校対抗の部で1勝をあげて、続く2回戦でも強豪校に肉薄と活躍が目立ちました。
宮澤淳監督:本当によく戦ったと素直に思っています。

特にツインエースとして戦ってくれた3年生の後藤嘉希と1年生の長尾咲陽人は、全国でも十分戦える選手だと思って、そのつもりで指導もしてきました。普段から「群馬県内で勝つだけではなくて、全国で勝つことを意識してやるように」というのは口酸っぱく言ってきました。


写真:長尾咲陽人にアドバイスを送る宮澤淳監督/撮影:ラリーズ編集部

宮澤淳監督:私が高校の時は、強豪校の選手に名前負けをしてしまうことが多々ありました。ただ、駒澤大学に進学してからは、そういった選手に部内での競争や対外戦で勝たないといけない環境でした。

普段からそのレベルを目標にして4年間練習をしていると、強豪校出身の選手にも勝てるようになり、リーグ戦や全国大会に出られたという成功体験があります。

生徒たちには自分の経験も話して、「今のうちから全国で勝つつもりで練習すれば絶対に勝てるから」と伝え続けてきました。その成果が少し出たかなと感じています。

地域に根ざし群馬県のレベルを上げられるようなチームに

――沼田高校は普通の公立高校とのことですが、卓球部の生徒たちはどういった大学に進まれるのでしょうか?
宮澤淳監督:直近では、新潟大学や弘前大学、富山大学など国公立大学に進む生徒もいますし、昨年のキャプテンは指定校推薦で慶應義塾大学へ。後藤の兄の稜弥は私と同じ駒澤大学で卓球を続けています。

国公立大や有名私大で頑張っている卒業生がいることは、進学先として沼田高校を考えている中学生にとっても良いアピールになっているので、そういう意味でも卒業生には感謝しています。

――今後もどんどん新たな歴史を積み重ねていくと思いますが、どういうチームにしていきたいか展望をお聞かせ願います。
宮澤淳監督:まずは私自身が今までの卓球人生の中で学んだ技術や知識、人との出会いを後輩でもある選手たちに還元していきたいです。

また、小中学生が練習に来てくれることもあるのですが、その子たちに「自分も沼田高校で頑張りたい」と思ってもらえるような練習環境を作っていきたいです。地域に根ざした卓球部であり続けたいと思います。

そして高校生になった彼らが今度は、次の世代の小中学生と練習する。そういったサイクルを作り上げることで、群馬県の卓球界全体を引っ張っていければと思います。

また、群馬県内だけではなくて全国でも勝てるように、県内トップを争う私立の樹徳高校と一緒に群馬県のレベルを上げていきたいです。


写真:沼田高校卓球部/撮影:ラリーズ編集部

【動画】沼田高校卓球部潜入

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