「右利きなのに左手でサービス」「石川佳純、平野美宇を指導」"デスサービス"で恐れられる卓球コーチが語る指導者としての矜持 | 卓球メディア|Rallys(ラリーズ)

写真:町田幸希さん/撮影:ラリーズ編集部

卓球×インタビュー 「右利きなのに左手でサービス」「石川佳純、平野美宇を指導」“デスサービス”で恐れられる卓球コーチが語る指導者としての矜持

2025.12.20

この記事を書いた人
Rallys編集長。学生卓球を愛し、主にYouTubeでの企画を担当。京都大学卓球部OB。戦型:右シェーク裏裏

選手として、そして指導者として、サービスを武器に独自の道を切り拓いてきた町田幸希さん。

カットマンから粒高攻撃型に転向、右利きでありながら左手サービスにも挑戦するなど、町田さんの卓球人生には、型にはまらない発想で溢れている。

現在はトップ選手の指導にも携わりながら、多くの選手に卓球の奥深さを伝える町田さんに、卓球との出会いから高校・大学時代の転機、そして指導者として大切にしている考えを聞いた。


【町田 幸希(まちだ こうき)】國學院大學卓球部前監督。リトルキングス→遊学館高校→國學院大學。大学卒業後は一般企業に就職し、現在はフリーランスの卓球コーチとして生計を立てている。代名詞の巻き込みサービスは「デスサービス」として恐れられており、石川佳純さんや平野美宇のサービスコーチを務めた経験を持つ。(写真:ラリーズ編集部)

卓球との出会いから高校時代まで

――町田さんが卓球を始めたきっかけを教えてください。
町田幸希さん:小学校4年生のときに母が公民館でママさん卓球をやっていて、それについて行ったのがきっかけでした。その後、「リトルキングス」というクラブチームに入って、小学4年生から中学3年生まで神奈川で卓球をやっていました。
――小学生時代はどんなプレーヤーだったのですか?
町田幸希さん:最初はカットマンとしてスタートしました。小学4年生から6年生までは右シェーク裏粒のカットマンでしたね。


写真:町田さんの卓球人生はカットマンとしてスタートした/撮影:ラリーズ編集部

――なぜ6年生で戦型を変えたのですか?
町田幸希さん:当時、日産ジュニアというチームに井上顕真さんという非常にカット打ちを得意とする選手がいたんです。その井上さんと小学6年生のカデット予選で当たることが決まったときにクラブの監督から、「お前はカットマンだったら絶対勝てないから、攻撃マンになれ」と言われたんです。

カデット予選までの2週間でバック粒の攻撃型に転向して、その後カデット代表になることができました。


写真:カットマンから粒高攻撃マンへと戦型を変える/撮影:ラリーズ編集部

――そんなことできるんですね(笑)。長く異質ラバーで活躍されていたんですね。
町田幸希さん:そうですね。高校生の3年間と大学1年までずっと粒高を使っていました。

当時は、Dr.Neubauer(ドクトル・ノイバウア)の「スーパーブロック」というラバーを使っていました。ループドライブをツーバウンドで返せるような回転性を持ちながら、プッシュすると雷のようなボールが飛んでくるいいラバーでした。

遊学館での経験と指導者としての原点


写真:高校時代は卓球漬けの毎日だった/撮影:ラリーズ編集部

――高校では遊学館に進学されていますが、遊学館を選んだ理由は何かあったのでしょうか?
町田幸希さん:同じクラブチームの一学年上に財田さんというカットマンがいるんですが、財田さんが全中ベスト16に入って高校が遊学館に決まって、その流れで私も遊学館に入ることができました。
――高校時代は振り返っていかがでしたか?
町田幸希さん:本当に卓球漬けの毎日でしたね。まず、帰省は3年間で2回しかありませんでした(笑)。

1年生のときにインフルエンザで一度帰省して、3年生のときに大阪オープン後の2月ごろに帰省したのが2回目です。

――監督の植木先生からの指導についてはいかがでしたか?
町田幸希さん:植木先生から受けた影響は本当に大きいです。

遊学館のとき、遠征バスのなかでは、キャプテンということで先生の横に座っていました。隣のドアが私の冷や汗で曇るほど緊張していた記憶があります(笑)。

先生から「会話をしろ」「いろんな人とのつながりを大事にしろ」と何度も言っていただきました。でも、その経験のおかげで、コミュニケーション力や人を見る力など、卓球以外にも大切なことをたくさん学べました。

今、私が指導者として人との関わりを大事にできているのは、植木先生の教えがあったからこそですね。

大学時代の転機とサービスの研究


写真:大学1年の時、バック面を表ソフトに変更/撮影:ラリーズ編集部

――大学は國學院大學に進学されていますが、國學院大學を選んだ理由も教えてください。
町田幸希さん:正直なところ、当時はそこまで強くなかったので、「試合に出られたらいいな」くらいの気持ちでした。
――大学時代に成績が大きく伸びたと思うのですが、ターニングポイントはどこになりますか?
町田幸希さん:ターニングポイントとしては、1年生の後半にバックを粒高ラバーから表ソフトに変えたことですね。表のほうがブロックができるようになって、さらに相手の状況を考えた戦術を意識するようになったことで、レシーブ力も向上しました。

ただ、2年生の時点でリーグ戦は4勝11敗だったので、すぐに結果が出たわけではありませんでした。バックを表に変えてからたくさんの方にご指導いただいて、4年生の終わりにはなんとか19勝14敗の成績を残せるぐらいにはなりましたね。

サービスの研究

――町田さんの代名詞でもある巻き込みサービスはいつごろから使われるようになったのでしょうか?
町田幸希さん:中学2年生で平野早矢香さんの講習会でアシスタントを務めていたときに出会いました。そのときに平野さんのフォア前に曲がるサービスを見て、巻き込みサービスのすごさに衝撃を受けたんです。

それまでは、クラブチームで習った投げ上げサービスの順回転と、バックサービスが基本でしたが、中学2年生から巻き込みサービスに変わりました。

――では、高校時代にはかなりのレベルのサービスが出せるようになっていたのでしょうか?
町田幸希さん:実は、高校時代はロングサービスしか出せていなかったんです。ショートサービスはほぼ出していなかったので、金谷コーチからも「フォア前に出せよ」と何度も言われていました。

ただ、高校3年生で植木先生の助言で左手でサービスを試すようになりました。元々2年生のときに練習中に遊び感覚で左のサービスを出していたら、植木先生に「お前、本番でも出してみたら?」と勧められたんです。

※町田さんは右利きです


写真:遊びで出していた左サービスを実践でも使う/撮影:ラリーズ編集部

――左手でのサービスはどのようにして試合で使えるレベルにまで持っていったのでしょうか?
町田幸希さん:高校3年生のインターハイ予選で同期の山本勝也(元リコー)と当たることが決まっていて、右のサービスには慣れられていることもあって、本気で練習を始めました。

山本はフォア前のサービスが苦手だと思っていたので、規定練習後の夜に一人でずっと左手で順回転のフォア前サービスとロングサービスを練習しました。結局、試合には負けてしまったんですが、練習した左のサービスはすごく効きました。

その後いろんな人から「お前の左サービスやばい」と言われるようになりましたね。

――サービスはどのように研究されていたのでしょうか?
町田幸希さん:まずは相手目線に立って、どう見えているか、どう反応しているかを動画で撮影して確認していました。自分の動画と相手目線の動画を一致させて、「ああ、こう見えてるんだ」という意識を持つようにしていたんです。

その研究を大学時代にするようになって、ショートサービスの重要性に気付きましたね。


写真:ショートサービスの重要性に気づき、取り入れる/撮影:ラリーズ編集部

トップ選手との関わりと現在のキャリア

――トップ選手への指導はいつから始められたのでしょうか?
町田幸希さん:本格的に始めたのは、大学時代からですね。高校時代にミキハウスさんにサービスの指導で行かせていただいたときに、平野早矢香さんに気に入っていただけて、そこから石川佳純さんとのつながりができた形です。

石川さんのサービスは東京五輪の時期まで見させていただいて、サービスの戦術や巻き込みサービスの話などいろいろやらせていただきました。


写真:トップ選手にもサービスのアドバイスを求められる/撮影:ラリーズ編集部

――トップ選手を指導するときと一般の人を指導するときの違いは何かあるのでしょうか?
町田幸希さん:一般の人とそこまで変わりませんが、トップ選手からは私が普段出しているようなサービスを出せるようになりたい、という要望をいただくことが多いですね。

ただ、最初から私のサービスだけに限定するのではなく、さまざまなサービスも取り入れてもらいたいと思っています。例えば、意外と縦回転が出せない選手が多くいます。そこで、縦回転を出すための身体の使い方だったり、サービスのときの意識なども指導しています。

――町田さんが指導者として大切にしていることは何でしょうか?
町田幸希さん:気遣いですね。コーチ業はたくさんの人と会う仕事なので、失礼のないように意識しています。この意識は高校時代に植木先生から学ばせていただきました。遠征や大会のときに、植木先生の気遣いを見て「すごいな」と思って、自分もそういう人間にならないといけないと思いました。

あとは、「適当なことは言わない」というのも大事にしています。自分の考えは持つべきですが、さまざまな人の話を聞いて自分のものにして、最終的には自分のやり方で説明する。指導者志望の人は、自分に欠けているものを補う意識は絶対に必要です。


写真:指導者として気遣いを大切にしている/撮影:ラリーズ編集部

――最後に今後の展望についてお聞かせください。
町田幸希さん:今後も卓球の仕事をしながら、さまざまな仕事にチャレンジしていきたいと考えています。

卓球コーチとしては、たくさんの人に求めていただけているので、もっと自分の技術や経験を還元したいです。

【動画】インタビューはこちら

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