取材・文:高樹ミナ/スポーツライター
国内トップクラスの選手に成長した出澤杏佳(大成女子高校)にも過去には大きな挫折があった。国内屈指の卓球強豪校に進学するも自主退学という、中学時代の苦い経験だ。多感な時期だったことを考えれば、貴重な才能はその芽を摘まれてもおかしくはなかった。
しかし、どん底から這い上がった出澤は独自のプレースタイルを貫き、全日本選手権の大舞台でその才能を開花させる。2019年にジュニア女王、一般の部でも2019、2020年連続で女子シングルスベスト16入り。国際舞台でも世界ジュニア選手権女子団体銀メダルなど大きな成果を挙げてきた。
そんな彼女のバックグラウンドはほとんど明かされていない。そこで出澤が小学生の頃から指導にあたり、フォア表、バック粒高という特殊なラバーを授けた小貫美穂子コーチを交え、挫折から立ち直って強さを身につけた出澤の成長の足跡を本人と一緒にたどってみた。
>>出澤杏佳、唯一無二のプレースタイル前編 “超”異質ラバー誕生秘話
強豪校進学も夢破れて帰郷
―中学時代は親元を離れ大阪の四天王中学校へ進学し、大きな挫折もありましたね。
出澤:はい。すごく強い学校なので入れたときは嬉しくて、「ここで頑張ろう」と思ったんですけど、練習時間が長くて練習の質も高くて、それまでの環境とは何もかもが違っていて……。
当然、周りはみんな強い選手ばかりだから、練習しても練習しても、なかなか思うように勝てませんでした。それでも1年生の全日本選手権カデット(13歳以下の部)で3位に入ったんですけど、次の日からカットマンに転向することになって。先を見据えてと言われても、ただでさえ強いメンバーの中で、全く別の戦型でスタートしても厳しいなと思いました。
写真:神妙な面持ちで当時を振り返る出澤杏佳/撮影:ラリーズ編集部
―ご両親や小貫先生も心配されたでしょうね。
出澤:それが、「もう茨城に帰りたい」と言ったら、親も小貫先生も「帰ってくるな!」って。帰ってこられても練習環境がないから、そこで頑張るしかないと言われました。
自分自身も1年生で辞めるのは早すぎると思ったし、学校は楽しかったので2年生まで頑張ったんです。でも、やっぱり体力的にも限界だったし、気持ちの面でも心が折れてしまいました。
―地元の茨城に戻ってからはどんな毎日でしたか?
出澤:ラケットも見たくない感じで、とりあえず休みたかった。でも、他にやることもなくて。地元で通う中学校を決めるときに、自分は自宅から一番近い学校に通うつもりでいたんですけど、お母さんが日立大沼卓球に通いやすい中学校を勧めてくれました。
自分はもう卓球はどうでもよくなっていたのに、お母さんに背中を押されて、また卓球を始めました。あのときお母さんが無理やりにでも背中を押してくれなかったら、卓球は辞めていたかもしれません。
写真:国際大会でもプレーする出澤杏佳/提供:ittfworld
―卓球をしていなかったら、今ごろ何をしていたでしょうね。
出澤:勉強して大学受験するのも大変だなって思ったので、卓球の方がいいかなって(笑)。卓球、辞めなくて本当に良かったです。
「負けじ魂」で自分自身と戦う
―大阪から戻って、また小貫先生のもとで練習を始めて、どんなことを教わりましたか?
出澤:これからは誰かに強くしてもらおうじゃなく、自分で考えて練習しないと強くなれないと言われました。
四天王寺はすごく練習環境に恵まれていて、自分は確かにコーチに強くしてもらおうという考えでしたから、小貫先生の言う通りだなって思いました。
―具体的にはどんな練習をしたのでしょう?
出澤:四天王寺で覚えたことをベースに、時間があったらトレーニングをして、練習内容も細かいところまで考えました。
練習相手としてクラブに来てくれる大人の方に、規定の練習時間が過ぎても、「もう少し練習をお願いしてもいいですか?」と自分から声をかけて、協力してもらいました。それってなかなか言いづらくて勇気が要るんですけど、他に選択肢がなかったのでやるしかなかったんです。
写真:出澤杏佳/撮影:ラリーズ編集部
―その頃、何を目標にしていましたか?
出澤:日本一になることです。それまで、どのカテゴリーでも準優勝が最高だったので、高校でなれなければ大学や社会人で。それでもなれなければ、レディースでも!みたいな勢いで、いつか必ず日本一になる。なるまで卓球をやめない。そう思ってました。
―身近に同世代の仲間がいない環境でモチベーションを保つのは大変そうですが。
出澤:自分は人と競争すると周りを気にしたり、落ち込んだりしちゃうタイプなので、逆に地元に帰ってきて自分以外に競争相手がいなくて、自分との勝負という環境が合っていたのかもしれません。
そもそも戦型も同じ選手がいないじゃないですか。四天王寺にいた頃はパワーのある選手がいるから、自分もパワーをつけなきゃって、常に人と自分を比べていました。でも、そうじゃなかった。自分だけの伸ばすべきところがあることに気づいたんです。
写真:小貫先生と二人三脚で歩んだ出澤杏佳/撮影:ラリーズ編集部
―小貫先生、出澤選手がここまで強くなった一番の要因は何だと思われますか?
小貫:環境が大きいんじゃないでしょうかね。周りから「そんなラバーじゃ、ダメだ」とか、試合で勝っても「まぐれだ」なんて言われたりして、子どもの頃からうんと悔しい思いをしてきましたから。
この子の卓球は私が教えたので、彼女が言われることは私が言われていることなんですよね。だから、本人にも指導者にも「負けじ魂」っていうのがある。でも、スポーツの上達には「負けたくない」って気持ちが大事。この子から負けじ魂がなくなったら終わりですよ。
世界選手権でメダルを目指せる選手に
―フォア表、バック粒高の異質ラバーを使っている選手は世界的に見ても出澤選手だけじゃないですか?
出澤:そうですね、見たことありません。
―そんな中でお手本にしている選手はいるんですか?
出澤:部分的にはいます。例えば、フォアだったら安藤みなみ選手で、ラリーは中国の何卓佳(フーズオジャー)選手という感じで。何選手はどんなボールでも粘り強くラリーを続けるところがすごいなって思います。
あと伊藤美誠選手の戦い方。特にカットマンと戦うときやサーブの種類がいっぱいあるところもお手本になります。弾き方も伊藤選手の試合の動画を結構見ています。
写真:全日本選手権でプレーする出澤杏佳/撮影:ラリーズ編集部
―伊藤選手とは、昨年の全日本選手権女子シングル6回戦で対戦がありましたね。戦ってみていかがでしたか?
出澤:いや、もう想像以上に強くて、自分にも勢いがあったからもうちょっと戦えるかなと思っていたら、全然そんなことありませんでした。
あらゆる点において自分の実力が10だとしたら、伊藤選手は100みたいな。それくらい力の差を感じました。トップの選手はやはり違います。
―今の課題は何でしょう?
出澤:同じモーションから違う回転のサーブをもっと増やしたいです。それこそ伊藤選手みたいにモーションの種類を増やしたいけど、やってて自分がこんがらがっちゃう(笑)。体も硬いし器用じゃないんです。自分はカクカクしてロボットサーブみたい。
写真:小貫美穂子コーチは「器用じゃない」とばっさり/撮影:ラリーズ編集部
―特殊なラバーを使いこなすんですから器用なのでは?
小貫:器用じゃない、器用じゃない。でも、まぁ、自分を信じて使うということですよね。このラバーを使い始めた頃、よく「それじゃ、通用しない」と言われて、私はこの子によく、中国の世界チャンピオンだった鄧亜萍(デンヤーピン/バック粒高の異質攻守型。世界選手権で4度のシングルス女王。五輪で4個の金メダル。1997年に引退)さんのことを話して聞かせたんですよ。
「あの人もバック粒高の異質ラバーで世界チャンピオンになっているのだから、あんたにもなれないわけがない」って。おこがましいにもほどがあるんですけれど、それくらい自分に自信を持ちなさいということです。何しろ私自身、「勝てる!」という思い込みがすごいんでね。この人も苦労します(笑)
写真:出澤杏佳/撮影:ラリーズ編集部
―将来的な目標はズバリ?
出澤:まだこんなこと言えるような選手じゃないんですけど、世界選手権で活躍して、メダルを目指せるような選手になりたいです。
大成女子高校特集
写真:大成女子高メンバー/撮影:ラリーズ編集部