「結果で次の4年の卓球の価値が変わってしまう」。
丹羽孝希は並々ならぬ覚悟を持って東京五輪に臨む。リオで団体銀メダルを獲得し、その後の卓球ブームを牽引してきた丹羽だからこその決意の表れだ。
「本当にこの一年苦しいことばかりで、一時は代表を諦めかけていた」という過酷な選考レースを乗り越えた丹羽が今思うこととは。(取材:武田鼎/ラリーズ編集部)
>>【丹羽孝希・前編】「卓球やめるかも」熾烈な五輪代表争いの心中
孤独な戦いからチームでの戦いへ
写真:丹羽孝希「試合が楽しみです」/撮影:伊藤圭
2020年1月6日に正式に五輪代表候補選手に選出された後、初めてのワールドツアーとなったのが1月28日からのドイツオープンだった。丹羽は2回戦で中国の林高遠(リンガオユエン)にマッチポイントを握るもフルゲームの末敗れた。
写真:林高遠を追い詰めた丹羽孝希(写真はドイツOP時)/提供:ittfworld
「5回マッチポイントで全部自分サーブだったんですけど、あと一本を取る自信がなかったですね。相手の状態も良くなかったので、勝っておきたかったです」と反省を述べながらも「でもやっとチームや他の日本選手も応援できるようになったので、ドイツオープンからは試合が楽しみです」と表情を緩ませて打ち明けた。
写真:丹羽孝希/撮影:伊藤圭
五輪代表入りをかけた世界ランキング争いが中心となった2019年は「他の選手の応援ができなかった。みんなライバル。代表争いは自分一人だけで戦ってる感じ」と孤独との戦いだった。
しかし、現在の日本男子チームの目標は、チームランキングで2位のドイツを抜かし、東京五輪団体戦で決勝まで中国と対戦しない第2シードを獲得することだ。自然とチームを意識した戦いになっていく。
写真:試合に出続けるのは「チームランクのため」/撮影:伊藤圭
「チームランキングを上げるために試合が続くので、一つ一つの大会でベストを尽くすことしか自分も考えてない。ドイツを抜かすことだけを考えてやってます。今回水谷さんが林昀儒(リンインジュ)に勝ったりそういうのも応援できました。チームランクのためにお互い頑張ろうとなるので、そういう意味では楽しくなってきました」。
勝つ選手は“運”が必要
写真:丹羽孝希/撮影:伊藤圭
「チームランキングを上げるため」、「僕がもっともっと強くなって団体戦で必ず点を取れる選手になれば、日本がメダルとる確率も高くなる」。丹羽からは五輪団体戦への意気込みばかりが口をついて出る。昨年末のトップ12後も報道陣に東京五輪の目標を聞かれた際「団体戦でのメダル獲得」と言い切った。
ただ丹羽は、2017、2019年の世界卓球個人戦で日本人最高位のベスト8入りを果たした。さらにはリオ五輪でも準々決勝で中国のスーパースター・張継科(チャンジーカ)に敗れはしたが、メダル一歩手前のベスト8に入賞するなど個人戦にも滅法強い。リオに続き参戦するシングルスについてはどう考えているのだろうか。
写真:リオ五輪での丹羽孝希/撮影:長田洋平/アフロスポーツ
「シングルスも出場するからにはもちろんメダルは狙ってます」と前置きした上で「ただ、自分のランキングが大体この位置にいるだろうなというのもわかってますし、張本と違って第4シード取れる位置にいない。確率の問題で2分の1で中国側を引くか引かないか。勝つ選手はそういう“運”が必要だと思ってる」と冷静に自らを客観視する。
写真:丹羽孝希/撮影:伊藤圭
第1、第2シードを獲得するであろう中国選手とは、第3、第4シードを取らない限り、50%の確率で準々決勝までに相まみえる。
男子中国選手は、1992年バルセロナ五輪以降7大会連続で表彰台に登り、そのうち5大会で金メダルを獲得してきた。丹羽もリオ五輪や世界卓球を含め、国際大会で70戦以上も中国選手と対戦しており、誰よりも中国の強さを知っている。丹羽だからこそその牙城を崩すことが容易ではないことを身をもって感じているのだ。
写真:中国の壁の高さは身をもって実感してきた/撮影:伊藤圭
この一種の悟りのような感覚は、昨年の過酷を極めた選考レースを通して芽生えたものだ。「最初の方はいろいろ我慢して、めちゃくちゃ練習して頑張っていた。最後らへんは代表を諦めかけていたら“運”が巡ってきた。練習してたから勝つわけじゃないし、練習しなくても勝つときは勝つ。卓球の難しいところですね。僕もまだわからないです、どうすれば勝てるのかって」。
スポーツで必ず勝てる方法なんてものはない。実力だけでなく運も必要になる。幼い頃から世界のトップで戦い続けてきた丹羽だからこそ至ったシンプルな境地だ。
写真:「昔から運良いですよ」/撮影:伊藤圭
ただ、丹羽は「昔から僕、めちゃくちゃ運が良いんですよ」とも続けた。
「2016年の世界選手権も、僕と(松平)健太さんで争ってて、僕がグランドファイナルに出れなかった。でも張継科(チャンジーカ)がバラエティーで足首を捻挫して僕が繰り上がって、世界選手権代表になった。今回も王楚欽(ワンチューチン)が試合中にラケット投げて3か月謹慎。それで繰り上がりでT2ダイヤモンドに出場できた。あれがなかったら僕は代表になれてない」。事実は小説より奇なり。思わずそんなことを言いたくなるようなエピソードを明かしてくれた。
写真:繰り上がり出場となったT2ダイヤモンドシンガポール大会では張本に敗れるも初戦に勝利した/撮影:ラリーズ編集部
運も実力のうちとは言うが、これも代表まであと一歩、あと半歩の位置に居続ける実力があるからこそ生まれたチャンスだ。それを丹羽はものにし、「ラッキーな部分が重なった」と謙遜しながらも日本のエースとして君臨してきた水谷との代表争いを勝ち抜いた。
「4年後のパリ五輪も目指す」
写真:丹羽孝希は戦い続ける/撮影:伊藤圭
17歳でロンドン五輪に出場し、団体ベスト8とメダルを逃す悔しさを味わった。21歳で臨んだリオ五輪では、卓球日本男子初の団体銀メダル獲得に貢献した。水谷と共に日本男子卓球界の歴史を作ってきたサウスポーが自国開催の東京五輪を25歳で迎える。
熾烈を極めた代表争いを終え、技術、体力、知力、経験、そして運を兼ね備えた丹羽はどのような姿を東京で見せてくれるのだろうか。
写真:笑顔を見せる丹羽/撮影:伊藤圭
昨年10月のどん底時には「最悪このまま引退することになるかもしれない。卓球を辞めるかもしれないと思っていた」とこぼしていた男が、いまや「4年後のパリ五輪も目指す」と力強く語るまでになった。丹羽は2020年、そして「その先」も戦い続ける。
取材中、一番幸せだと思う瞬間は?と尋ねると「まだそんな味わったことないです…これから味わいたい」。そう小さく呟いた丹羽の瞳は力強く未来を見つめていた。