卓球×インタビュー 吉村真晴、飛躍。切り札「アップダウンサーブ」の裏側
2017.10.21
取材・文:武田鼎(ラリーズ編集部)
厳しい幼少期の反動からか、中学に入り、サボりグセを身に着けてしまった吉村真晴。だが、中3の山口県への転校を機に再び“卓球熱”に火がつく。徹底的な練習を始め、再び「成長を実感できた」という試合があった。
吉村真晴、飛躍の時——。
>>第1話 「バカじゃないと強くなれない」 メダリスト吉村真晴、壮絶な幼少期
>>第2話 卓球エリートから一転… 吉村真晴「空白の3年間」
「俺、世界を相手に戦える」
吉村が「一気に成長を実感できた」という試合がある。野田学園へ転校して迎えた中3の夏の西日本選手権大会だ。その大会で勝ち上がってきた韓国・金 珉鉐(キム・ミンソク)との一戦だ。「本当に強い選手だったんです。でも彼に3対1で勝ったんですよ。その1カ月後に、キム選手がアジアジュニアで優勝しました。それを聞いて、『俺もまた世界を相手にやれるんじゃないか』って思えるようになったんです」。結果的に吉村の同大会はベスト4に終わってしまったが、再び自信を取り戻すきっかけになった。
再び練習に打ち込み始めるにつれ、結果も自ずとついてきた。大小問わず大会に参加し、ベスト16、8、4と徐々に成績を残せるようになった。そして迎えた高校3年生の時、吉村は飛躍の年を迎える。ひとつがナショナルチームへの招聘だ。そこで吉村は上宮高校監督で当時ナショナルチームのコーチだった河野正和氏と出会う。「河野さんは“バックハンド命”っていうタイプの人で。僕のバックハンド主体のスタイルとも合致しました。すごい怖い人なんですけど(笑)、フランスやスペインの大会に参加させてもらえたのも勉強になりました」。
河野氏が吉村に授けたものがある。それが吉村の代名詞とも言える「アップダウンサーブ」だ。アップダウンサーブとは、同じフォームから上回転と下回転という真逆の球を打ち出すサーブだ。レシーバーの目前まで球の回転が判別不能で「魔球」とさえ言われている。現在世界ランキング3位の許昕も「あのサーブは読めない」と絶賛する。サービスエースを狙うか、甘いレシーブを3球目で確実に仕留めるか。吉村の “型”が形成されていったのもこの頃だ。
「魔球」世界に通ず
そしてもう一つの飛躍が全日本選手権での優勝だ。「ここが一番のターニングポイントですね」と振り返る。当時在籍していた野田学園の卓球部顧問である橋津氏からは「高3での山口国体があるから、お前が高3でチームを引っ張ってほしい」そんな言葉をかけられた。「重責でしたね。エースとしてやらないといけないなって」。大会を優勝したことで、精神面に大きく成長、リーダーシップが吉村の中に芽生え始めていた。
中でも「最も型がキレイにハマった。パーフェクトな大会だった」と振り返るのが大学3年生の4月に迎えたスペインオープンだという。これが吉村初の海外大会でのタイトルになる。迎えた決勝戦、相手は香港の黄鎮廷(ウォン・チュンティン・世界ランキング7位)を相手に4・4・4・4と圧倒、「橋津先生と河野先生が育ててくれた卓球は世界でも通用することがわかった。これが俺の卓球だ」。そう胸を張れる試合だった。
その後の2016年のリオ五輪、2017年の卓球世界選手権ドイツ大会での活躍はすでに報じられている通りだ。今ではテレビにも出演するなど幅広い活躍を見せる。
そして2017年、ロシアリーグへの参戦を発表——。
ロシアリーグへの挑戦の理由を吉村はこう語る。
「リオ五輪以降、『物足りなさ』を感じていました。ロシアリーグへの挑戦の理由は一言で言うと闘争心です。それもガツガツした原始的な戦いをしたいんです」。その真意はどこにあるのか。そのためには2015年のリオ五輪代表選考合宿にまで遡る必要がある。
吉村真晴選手をUnlimで応援しよう
「兄・真晴、弟・和弘ともプロ卓球選手として世界を舞台に戦っています。兄弟で日本卓球界の発展に貢献していきたいです」。
吉村真晴選手へのギフティング(寄付による支援)は下記の「Unlim」より実施可能です。ご支援宜しくお願いします!
写真:伊藤圭