思いもよらない一瞬が、その後の自分の人生を貫く瞬間だったことに後になって気づくことがある。
吉村真晴にとって、この出来事もその一つだったのかもしれない。それは意外にも、試合の勝敗とは別のところにあった。
「2019年6月、ジャパンオープンで吉村真晴選手が中国選手に負けた直後、ボールを踏み潰した」
書くと一文、時間にするとコンマ何秒のその行為が、今も吉村真晴の胸に深く刻まれている。
>>第2話 「当たり前が怖くなった」ナショナルチーム辞退の真相
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「気づいたら踏んでいた」
写真:吉村真晴(愛知ダイハツ)/撮影:伊藤圭
彼自身が座右の銘にしている「人間力」について、こちらが質問したときだ。それは去年、敗戦後にボールを踏んでしまったこともどこか関係しているのか、と。
それまで自らを的確に説明していた吉村の言葉が、ぴたりと止まった。
そして、しばらくの静寂の後、その“事件”について語り始めた。
写真:吉村真晴(愛知ダイハツ)/撮影:伊藤圭
「あれは自分の中で糸が切れた瞬間ですね。東京五輪を目指しているなかで、次の週の韓国オープンに行くか迷ったぐらい自分としては、あり得ないことでした」。
負けたことより、その自分の行為が、だろうか。
「その自分の行為です。でも、自分はその瞬間って、オリンピックのことや、自分が勝たなければならないという気持ちが、強くあったので、その瞬間って自分がもう覚えてないくらい、なんかもう『ああ!』って踏んじゃってた。試合後に倉嶋監督に『ああいうのはダメだ。止めろ』と言われた。倉嶋監督にも協会にも『ホント申し訳ないです』と謝りに行きました」。
「こんな姿見せたら、誰が盛り上がって誰が感動してくれるのか」
写真:ジャパンオープンで倉嶋監督と話す吉村真晴/撮影:松尾/アフロスポーツ
札幌で開催されたジャパンオープンは、五輪前年の格付け高いプラチナ大会。日本の卓球ファンからの注目度も高まっていた。
「自分で部屋に帰って冷静に考えたとき『アスリートとして自分終わったな』って。数多くの日本の卓球ファンが来ていて、なかには自分の応援をしてくれた人もいた。『じゃあこれが東京五輪だったらどうだった?』と考えた。こんな姿見せたら、誰が盛り上がって誰が感動してくれるのか。東京五輪に出る出ない以前の問題だろうって」。
しばらく言葉を探した後、こう続けた。
「オリンピックの舞台は、世界中のアスリートが目指してる場所。みんなが憧れる場所なのに、そこで自分がこの行為をやったらと思ったとき、ちょっと違うなと感じてしまった。ジャパンオープンだから、とかではなく、その先含めて日の丸を背負った選手としてのあるまじき行為。あの時に糸は一旦切れましたね。プツンって。『俺どうしよう』とすごく思いました」。
吉村の言葉が少し震えた気がした。
「今話してるだけでも、ちょっとどうかな、と思う。それぐらい自分にとっては大きな事件でした」。
『俺はオリンピック終わったかもしんない』
写真:吉村真晴(愛知ダイハツ)/撮影:伊藤圭
ジャパンオープンの敗戦直後、ボールを踏み潰してしまった吉村。
自責の念から、糸が切れた凧のように自らを見失いそうになっていた。
しかし、なんという運命の巡り合わせだろう。
その試合の対戦相手・孫聞(スンウェン・中国)と、翌週の韓国オープンで再戦する。
「そのときはたまたま勝てた。リベンジできてホッとする部分もあったけど、何か胸の中でまだつっかえるものがあった。『いや、卓球じゃないんだよ』となってしまったというか…。勝ってホントは喜びたいんだけど、ただ『ああ、勝ったなぁ』くらいで、リベンジしたという気持ちが全然なかった。試合後、妻に『俺はオリンピック終わったかもしんない』と話をしました」。
あれがあったから、っていつか思えるかもしれない
写真:吉村真晴(愛知ダイハツ)/撮影:伊藤圭
その葛藤を間近で見てきた妻は答えた。「いろいろあるけど、卓球今までやってきたし、うちらはずっと応援してるから、全力で頑張りなよ残りの半年」。
「『やっぱやるしかないな』という気持ちになった。家族だけじゃなくて、マネジメント、スポンサーさんに対しても。倉嶋監督にも『ああいうことがあったけど、目指してるものはその先にある。だから目標をしっかり持って心折れずにやれよ』と言われました。本当に自分に対して悔しかったし、なかなか立ち直るのは難しかった。でも、人生に一度しかない地元でのオリンピックは目指して、悔いのないように目標は持って戦うべきだなと思いました」。
写真:2019年チームワールドカップでの吉村真晴/撮影:森田直樹/アフロスポーツ
東京五輪代表選考レースは、吉村真晴にとって、自ら切ってしまった集中の糸を紡ぎ直す戦いでもあった。
「ホントに苦しい半年でした。もちろん、アジア選手権やチームワールドカップなど、楽しいこともあった。でも振り返ると、あそこは一つ大きなところでした。ただ、あれがあったから、っていつか思えるかもしれないし、だからこそ、また応援される選手になりたいな、と思います」。
自然と応援される選手じゃないとその先に行けない
写真:吉村真晴(愛知ダイハツ)/撮影:伊藤圭
アスリートは過酷だ。
全てを賭して一つの試合に準備し、試合中は野性の闘争心の中に身を置き、同時に冷静に戦術を組み立てながら、ゲームが終わった瞬間からは一人の見られる人間としての振る舞いを取り戻す。
でも吉村は、アスリートと呼ばれる存在は、そうあるべきものだと定義している。
現在の卓球トップアスリートたちが、自分の強さだけでなく、その行動やキャラクターが、この国の卓球の将来を左右すると誰よりも知っているからだ。
「人間力がないアスリートは、超一流にはなれない」吉村は自らに言い聞かせるように語る。
写真:2019年チームワールドカップの吉村真晴/撮影:森田直樹/アフロスポーツ
「結局強くなるためには自分一人でてっぺんまで行った人はいない。真剣にやってる姿かっこいいとか、挨拶がしっかりしてるとか、『終わったあともしっかり練習してるんだな』とか、『気が配れるな』とか、そういう選手は自然と応援される。自然と応援される選手じゃないと、その先に行けないなと思うんですよ」。
そして、ようやく納得のいく言葉を探し当てた吉村は、噛み締めるように言った。
「だから、一つ一つ気をつけて、練習見てくれるスタッフ、コーチも含めて、全員に感謝の気持ちで練習する。応援したいなと思われる選手になりたいですね」。
そう言って顔を上げた吉村真晴は、私たちのよく知る、明るい顔に戻っていた。
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「兄・真晴、弟・和弘ともプロ卓球選手として世界を舞台に戦っています。兄弟で日本卓球界の発展に貢献していきたいです」。
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吉村真晴インタビュー特集
写真:吉村真晴/撮影:伊藤圭
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(取材:3月)