文:武田鼎(ラリーズ編集部)
2019年の1月、水谷は全日本選手権で10回目の優勝を達成した。言うまでもなく前人未到の偉業である。しかも「球が見えない」という困難を抱えての優勝、この快挙に水谷が抱くのは危機感だ。「全盛期の“3割”の僕でも優勝できてしまうようでは、日本の若手がまだまだっていうこと」とまで言い切る。30歳を迎え、中堅からベテランの域に差し掛かった今、若手たちに何を思うのか。
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「張本3人いないとだめだね」
「木造、大島と対戦したけど、若手はまだまだ。張本があと3人くらいいないとダメですね」と冗談めかす。
写真:水谷隼/撮影:伊藤圭
水谷が絶対的エースとして君臨できたのは、身体的な強さやテクニックだけが理由ではない。水谷の強さは「戦術の巧みさ」にある。例えば今回の全日本選手権、実は水谷は6回戦の上田仁戦、準決勝の木造勇人戦、決勝の大島祐哉戦、いずれも1ゲーム目を先取されているのだ。だがあれよあれよと言う間に水谷のペースになり、気づいた頃には逆転。そんな老獪な試合運びが水谷の強さだ。実は1ゲーム目を取られることも水谷の中では“計算どおり”であることがあるという。
「相手の弱点を1ゲーム目捨ててでも冷静に見るときはある。フォア打ちとかバックとかしたらボールの重さとか分かるじゃないですか。ドライブの回転とかを見て、“あっ、この回転だったら自分がしっかり待っていればブロックできるな”とか。彼らには冷静に分析すれば勝てるんだっていう自信はあった」
その自信を裏打ちするのは「引き出しの多さ」だ。「僕は他の選手より引き出しが多い。その数の多さは土壇場で勝負を分ける」と豪語する。引き出しを増やすために必要なこと、それは「海外での勝ち」だ。「Tリーグももちろん大事ですが」と前置きした上で、「世界を目指してほしい。全日本選手権って優勝者以外はなかなか評価されない。でも世界の舞台では中国選手を一人でも倒せれば、一気に評価が上がる」と説明する。
その好例として水谷は吉村和弘の名前を挙げる。「4月の世界選手権に吉村が選ばれたのは、香港オープンで優勝したのと中国の左の林高遠(世界ランキング3位)に勝ったのが大きかった。そうやってチャンスをモノにして、引き出しを増やしていくんです」。
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水谷の「ワースト3の敗北」とは
引き出しを増やし、技を磨いただけでは不十分だ。「中でも最も鍛えるのが難しいのがメンタル、つまり心の部分」と水谷は指摘する。「実は僕のメンタルも弱い方で。負けた時の試合がすごく印象に残るタイプ」と自認する。事実、取材中、水谷が過去を振り返ると出てくるのは負けた試合ばかりだ。“勝ちに不思議の勝ちあり。負けに不思議の負けなし”の格言の通り、敗北から学ぶことの方が多いのだろう。
「特にメンタルの弱さを痛感した試合があった。例えば全日本選手権で2012年に吉村(真晴)に負けたときとかゲームオール10-7から負けたし、その翌年(2013年)丹羽との決勝も3-1でリードしていたところから負けたりとか、大事な試合で逆転負けしちゃうことが多かったんですよ」
写真:水谷隼/撮影:伊藤圭
最近では3月のトップ12の張本戦を「ワースト3に入るできだった」とツイートし、話題になった。ちなみに水谷は「ワースト3の他の2つはロシアリーグでの1試合と、2010年にボルに負けた試合」と明かす。「大体良くない試合のときは“無意識”で打っちゃうんですよ。考えずに“なんとなく”やって、気づくと負けてる。そういう試合はダメですね」。
もちろん人間である以上、メンタルにはムラがある。だがそのムラを減らしていくことがアスリートとしての強靭さにつながる。とは言え“メンタル強化”と言ってもそう簡単なことではない。「確かに答えはない。でも一つだけ言えるのは高校卒業してから練習量が落ちる選手が多すぎる。楽な方に流されすぎだよ」と喝を入れる。
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「飢え」こそがアスリートを強くする
確かに多くの選手が高校時代に、厳しい監督や先輩の元で卓球浸けの日々を送る。水谷の母校・青森山田でも最高の設備が整っており、その気になれば24時間できる環境にある。「でもそこから大学になると遊びを覚えちゃったりして練習量は3分の1くらいになる。その間世界のトップクラスは“努力プラスアルファ”のところで勝負している。これじゃあね…」。
写真:水谷隼/撮影:伊藤圭
ならば水谷はどうだったのか?「僕は友達がいなかったから。ホントに(笑)!卓球以外に友達いないんですよ」と冗談めかす。「でも、20代前半は“飢えている”ことが必要なんだと思います」。ならば20代の水谷が「飢えていた」時代の話を聞きたい。
「やっぱり僕はロシアに渡ってすべてが変わりました」(続く)