「何回も卓球を辞めようと思った」愛工大名電で"魔病"イップスに悩まされた男<太田輝 前編> | 卓球メディア|Rallys(ラリーズ)

写真:太田輝(中央大)/撮影:ラリーズ編集部

卓球×インタビュー 「何回も卓球を辞めようと思った」愛工大名電で“魔病”イップスに悩まされた男<太田輝 前編>

2022.03.16

この記事を書いた人
Rallys副編集長。学生卓球を愛し、主にYouTubeでの企画を担当。京都大学卓球部OB。戦型:右シェーク裏裏

今まで普通にできていたプレーが、突如思い通りにできなくなる。運動障害「イップス」は、突然発症し、数多くのアスリートを苦しめてきた。特に“メンタルのスポーツ”とも言われる卓球では、イップスに苦しみ、ラケットを置く選手もいる。

中央大学4年の太田輝もイップスに苦しめられている1人だ。

中学2年生で突如、得意としていたフォアドライブが打てなくなった。しかし、太田はバックハンドを主戦とする唯一無二の戦型で、強豪校の中央大学卓球部で4年間プレーし、2021年では全日本学生卓球選手権のダブルスでベスト16まで勝ち上がった。

太田は“魔病”イップスとどのように向き合ってきたのだろうか。


【太田輝(おおた ひかる)】長野県出身。愛工大名電中高を経て現在中央大学4年生。中学時代にフォアハンドがイップスとなったが、バックハンドを主戦として戦い、大学でも卓球を続けた。2021年の全日学ではダブルスでベスト16入りを果たしている。

どうしようもなくなって、「自分はイップスなんだな」と認めた


写真:太田輝(中央大)/撮影:ラリーズ編集部

――全日学の試合後に伺った際は、中学から愛工大名電に入って、中2でフォアが打てなくなったとのことでした。どういう経緯だったのでしょうか?
太田輝:正直きっかけはあまりわからないんです。

元々はオールフォアで台から下がって戦うプレースタイルでしたが、愛工大名電中は、台の近くで早い打点で上から上からというプレースタイルでした。

フォームやスイングも直されますし、自分でも変えようと思っていたら、肩を痛めたのもあり、自分のスイングがわからなくなって自信もなくなりました。そういうのが積み重なって、中学校2年生くらいでイップスが出たのかなと思います。

――当時は「イップスだな」という認識はあったのでしょうか?
太田輝:もともとフォアが得意だったので打てなくなると思ってもいませんでした。ただ入らないだけだと思って、ずっと練習もしました。

そのまま中学校3年生になって、「これちょっとやばいんじゃないかな」と思い始めたんですけど、自分の中で認めたくないという気持ちもあって、「絶対に俺はイップスとは違う」と、ひたすらフォアの練習をやりこんでいました。

結局高校に入ってどうしようもなくなって、「自分はイップスなんだな」と認めた、という感じでしたね。

――イップスの具体的な症状はどういうものですか?
太田輝:本当に酷い時は腕が自分の体より前に出なくなります。最初は、フォア面が上に向いてしまって、天井に打ち上げてしまうという症状でした。

腕が勝手に上に開くので、それを抑えようとしていたら、どんどん腕が前に出なくなりました。そこからとても苦労して、ようやくスイングができるようになったんですけど、結局面が上を向くという動きは治らなくて、入る打ち方ではなくなってしまいました。


「打ち方がわからなくなりました…」

何回も卓球を辞めようと思った


写真:太田輝(中央大)/撮影:ラリーズ編集部

――得意技術だったフォアが打てなくなって、卓球を辞めようとはならなかったですか?
太田輝:めちゃめちゃ思いましたね(笑)。何回も辞めようと思いました。

イップスが発症した中学2年生の時に辞めようと思ったんですけど、辞められないですよね。

――それはどうしてですか?
太田輝:親に相談したら「辞めてもいいけど絶対後悔するよ」と言われて。確かにそうだなと、踏み留まってそのまま続けていました。

ただ、高校1年生の時、試合でカットマンと当たって、フォアでカット打ちをしたら、相手の頭を越えて向こう側のネットまで吹っ飛ばしました。それが自分の中で「これはもうダメだ」と思うきっかけになって、また卓球を辞めようと思いました。


「けど辞められませんでした」

太田輝:その時は今枝一郎先生にも「もうあまり卓球をやりたくないです」と言っていました。

中学校3年生だったら、自分で頑張って高校受験すればいいから辞められたと思うんですけど、高校を辞めて転入するとなると難しい。親にも止められたし、今枝先生にも止められて、結局は辞められなかったんですけど、「自分がイップスだ」と認めるきっかけの1つになったと思います。

「卒業まで卓球を頑張るのはやめよう」


写真:太田輝(中央大)/撮影:ラリーズ編集部

――卓球を続けてイップスと向き合い続けるのは辛くなかったですか?
太田輝:辞めたらすぐに楽になれるなと思ってましたけど、せっかくいい環境でやらせてもらっているし、良い先輩後輩同期がいる中でやらせてもらっていたので、とりあえず思い留まって卒業だけはしようと。

ただ、卒業まで卓球を頑張るのはやめようと思いました。やらないといけない範囲だけやると切り替えて、自主練習もそこからはあんまりやらなくなりましたね。やり過ぎると卓球が嫌いになっちゃうと思って。

――自分はイップスだと認めたなりの卓球との向き合い方を始めたんですね。それがいつ頃ですか?
太田輝:高1の終わりくらいだと思います。
――卓球と程よい距離感で向き合いながら、2年弱を過ごしたわけですね。
太田輝:そうですね。インターハイ予選とかインターハイとかは、もちろん僕も一応通りたくはあったので、その時期に頑張ることはしていました。

でもどちらかというとインターハイ期間は対戦相手の分析とか、自分のプレーしない方向でチームに貢献しようと思ってましたし、やれとも言われていたのでそういう方で頑張っていましたね。


写真:太田輝(中央大)/撮影:ラリーズ編集部

――そうやって卓球と向き合いながら高校を卒業して、なぜ中央大学という強豪校で卓球を続けたんですか?
太田輝:当時はやりたくなかったんですけど、正直(笑)。


「本当に運がいいというか恵まれているというか」

太田輝:中央大学って、良い大学じゃないですか。親や先生とも話して、せっかくやってきた卓球を使って行けるんだったら使うべきだよなというのがあったので、大学4年間とりあえず卓球をやって、卒業してから自分のやりたいことをやろうと思って入学しました。

でも今は入ってよかったと思っています。

イップスと向き合い、程良い距離感で卓球を続け、愛工大名電高校を卒業した太田は、関東の強豪校・中央大学卓球部でプレーを続けることを決めた。

中央大学卓球部で、太田の卓球人生の転機となる出会いがあった。

<後編に続く>

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