【卓球】初のインド人Tリーガーは"IT系"の頭脳派だった<S.グナナセカラン#1> | 卓球メディア|Rallys(ラリーズ)

写真:サティヤン・グナナセカラン(岡山リベッツ)/撮影:伊藤圭

卓球×インタビュー 【卓球】初のインド人Tリーガーは“IT系”の頭脳派だった<S.グナナセカラン#1>

2020.12.10

取材・文:川嶋弘文(ラリーズ編集部)

今季、インドから初のTリーガーが誕生する。その名はサティアン・グナナセカラン(27)。

昨年のアジア卓球選手権大会で日本の張本智和に勝利するなど、世界ランク20位代まで台頭したインド卓球の第一人者だ。(2020年12月現在は37位)。

卓球弱小国を世界トップクラスに押し上げた立役者は、遂に今季からTリーグへの参戦を決めた。所属する岡山リベッツでは東京五輪代表の丹羽孝希らとチームメイトになる。

インドの地からやってきた大物Tリーガーの成功哲学と素顔に迫る。

>>グナナセカランの使用用具・大会成績・プロフィール

インドスポーツ界のスターは「IT系の頭脳派」

サティアン・グナナセカランは、インド南東部のチェンナイ出身。祖国ではテレビ番組やCM出演もしばしばこなすインドスポーツ界のスター選手だ。コロナ禍のロックダウン中にも自宅の卓球マシンで練習する様子がインドのテレビ局で報道された。


写真:サティヤン・グナナセカラン(岡山リベッツ)/撮影:伊藤圭

その暮らしぶりはプロフェッショナルなアスリートそのものだ。2012年から師事するコーチのラマン氏(シドニー五輪インド代表)や練習パートナーに加え、フィジカルトレーナー、そして複数のSNS担当スタッフまで抱え、日々練習と卓球に特化したフィジカルトレーニングに励む。

そんなグナナセカランは、日本人がイメージするインド人像とは少し異なる。英語はインド特有のなまりはほとんどなく、インドでは珍しくヒンズー教ではないので牛や豚も食べる。

カレーは意外にもナンよりライス派。しかも手ではなくスプーンで食べるという。


写真:サティヤン・グナナセカラン(岡山リベッツ)/撮影:伊藤圭

「日本に来たからカレーも箸で食べようかな(笑)」

こちらの質問の意図を汲み取り、明るいジョークで場を和ませるコミュニケーション能力の高さから、地頭の良さが感じ取れる。

卓球一本に切り替えてから快進撃が始まった

それもそのはず。卓球アスリートとして活躍する傍ら、地元チェンナイのセント・ジョセフ大学(St.Joseph’s College of Engineering)をシステム専攻で卒業。「Javaのプログラミングを勉強していた」というIT系の頭脳派プレーヤーなのだ。

グナナセカランにとって2014年の大学卒業が一つの転機となった。

「大学を卒業して、フルタイムで卓球に打ち込めるようになってから勝負強くなった」との本人談の通り、“卓球専業”になってから、世界ランクが急上昇。

2013年1月に413位だったランキングは2014年12月には202位と2年間で200人抜きを達成。2017年には2ケタ代に突入し、2019年にはインド選手歴代最高位の24位となった。

そんなグナナセカランの卓球のキャリアは、5歳から始まった。日本のトッププレイヤーでは家族が卓球をやっていたケースがほとんどであるが、グナナセカランの場合は違った。


写真:サティヤン・グナナセカラン(岡山リベッツ)/撮影:伊藤圭

「僕の家族でスポーツ選手出身の人はいません。僕が小さい頃、父は仕事でインドを離れてアフリカのジンバブエにいた。家の中を走り回る元気な男の子に手を焼いた母は、息子に何かスポーツをやらせたかったみたい。家のすぐ近くに卓球センターがあって、先に通い始めた姉の後を追うようにごく自然に卓球を始めた」。

現在チェンナイの自宅には100を有に超えるトロフィやメダルがあるが、初めてもらったトロフィは6歳の時。

「学校内の試合で僕は第1シードだったんだけど、その試合では負けてしまった。それでも頑張ってプレーをしていたから“Best Upcoming Player”(敢闘賞)に選んでもらったんだ。今でもその時の小さなカップは大切にとってあるよ」。

その頃から今に至るまで「卓球が楽しい」という感覚は変わらないという。

そんなグナナセカランに「キャリアの中で最も印象に残っている試合」について聞くと、しばしの沈黙の後、インド卓球の歴史を変える一戦について静かに語りだした。

「日本に勝ったら首相に呼ばれた」インド卓球の歴史が変わった瞬間 に続く)