卓球インタビュー 【3日連続・前編】モロッコでヒーローになった男。女川町広報・坂本卓也の数奇な卓球人生
2017.10.18
取材・文:武田鼎/ラリーズ編集部
当たり前のことだが、一流アスリートは偉大だ。目にも留まらぬチキータや変幻自在のサーブ…。その豪快で巧みなプレーは様々な言葉で表現される。だがごく稀に「すごい」としか形容できない人物に出会うことがある。しかも出会ったのは東京ではない。宮城県の加美町という小さな町で開催された小さな卓球大会でのことだからなおさらだ。
その人物こそ宮城県女川町役場で広報を担当する坂本さんだ。なぜ坂本さんは「すごい」のか。実は坂本さんが卓球で活躍したのは、日本からはるか離れたアフリカの地・モロッコだ。なぜ坂本さんはモロッコで卓球をすることになったのか。その数奇な人生を紐解いていこう。
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ワルドナーが”神”だった少年時代
現在、坂本さんは東日本大震災で町の約7割が流失するという甚大な被害を受けた宮城県女川町の役場に勤め、応援職員(被災地支援に係る兵庫県任期付採用職員)として町の復興状況を発信する広報業務に携わる傍ら、隣の石巻市で小中学生対象の卓球教室でボランティアのコーチとして活動している。大学以来ほとんど剃っていないというこだわりの髭面、その笑顔から繰り出されるのは意外にも関西弁だ。
大阪府で生まれた坂本さん、彼の名は「卓也」だ。由来は言うまでも無いだろう。坂本さんの母親は国体で3位になるほどの卓球の腕前だった。
幼少期の坂本さんはクラブに所属せず、毎週末大会に参加して、実践に次ぐ実践で腕を磨いていった。そんな坂本少年にとってのヒーローがワルドナーだった。「もうワルドナーは“神”でしたね。ワルドナーのビデオを見まくってて」。ヒーローはやがて、最高のお手本となった。ワルドナーみたいになりたいと願ううちに力を付け、高校生の時には全国高校選抜卓球大会にも出場、シングルスで3位になった。
大学でも卓球を続けていたが、就職活動がいよいよ迫ってくる。「卓球ばっかしてて外の世界全然知らんのに社会人になっても仕方ない」と思い立った坂本さんは、まずは自転車で日本を縦断。2カ月かけて4000キロを走り、そこでのさまざまな旅人との出会いから海外へと目を向け、卒業後にはワーキングホリデービザを取得して半年間ニュージーランドへ渡った。異文化に触れ、英語を学びながらフィヨルドや氷河、広大な自然を肌で感じ、時には数百羽のペンギンに囲まれたこともあったという。
世界一周旅行へ。数奇な卓球人生の幕開け
日本に帰ってきて働き始めたのが釣り新聞専門の通信社だ。「釣りも好きやったんです。書くのも好きやったんで。そこではなんでもやりましたね。小さな編集部でね。記事の書き方やら写真やら、レイアウトも全部経験しました」。
そこで5年間、編集者・記者として経験を積んだあと、28歳の時、世界一周航空券を手に旅に出る。約200万円をかけて、30カ国を回った。卓球とは一見かけ離れているが、心の片隅ではいつも卓球が気になっていたらしい。
「スウェーデン行ったときだったかな。歩いてる人に道聞いて、ついでに『ワルドナー知ってる?』って聞いたら『知ってる知ってる』って(笑)。アルゼンチンでは路上に卓球台を持ってきて、とんでもないフォームで打ち合っている姿を見ました。ラケットを一眼レフに持ち替え、夢に描いていた世界遺産はほとんど旅しましたね」。
特に印象に残っていたのが南米だ。「(アルゼンチンの)イグアスの滝とか(ペルーの)マチュピチュとかも回ったんですけど、そこに行くまでの間って全然整備されてないような集落がいっぱいあって。屋根のない家や水道・電気が通っていない地域をたくさん目にしました」。卓球一筋だった坂本さんは「途上国で自分ができることは何かないか」と思いはじめていた。
4カ月の旅から戻ってきた坂本さんが選んだのがJICAの事業の一つである青年海外協力隊だ。この選択が坂本さんを運命の地「モロッコ」へと導く。ここから坂本さんの数奇な卓球人生が始まる。