【3日連続・中編】運命の地・モロッコへ。散々な船出から始まった「勝負の2年間」 | 卓球メディア|Rallys(ラリーズ)

卓球インタビュー 【3日連続・中編】運命の地・モロッコへ。散々な船出から始まった「勝負の2年間」

2017.10.19

取材・文:武田鼎/ラリーズ編集部

宮城県女川町で広報を務める坂本卓也さん。実はモロッコでは一躍有名な卓球選手・コーチなのだ。前編では幼少期から全国大会で活躍し、世界に飛び出すまでを描いた。今回は坂本さんがいかにしてモロッコへと渡ったのか。世界一周旅行から戻ってきたのが28歳の時。その後、選んだのが青年海外協力隊での活動だ。

左:モロッコでの坂本さん 右上:モロッコに広がる広大なサハラ砂漠 右下:モロッコの青年の家で指導する様子(写真提供:坂本卓也)

>>【3日連続・前編】モロッコでヒーローになった男。女川町広報・坂本卓也の数奇な卓球人生

降り立った運命の地・ベニメラル

発展途上国にできることはないか、と考えていた坂本さん。「僕ができることと言えば卓球。ちょうどその時、募集項目の中にスポーツ部門の卓球という職種があったんで応募しました」。マッチングしたのがアフリカ北西部のモロッコだった。モロッコではアラビア語とベルベル語が公用語だが、フランス語も第二言語として広く使われており、活動に必要とされた。フランス語はまったく話せなかったにもかかわらず、坂本さんに与えられたのはたった2カ月間。「卓球の先生になるんやから、舐められへんようにせんと」と、一生懸命に語学訓練へ取り組んだ。

そこからは、基本的には独力で現地で切り開いていかなければならない。2カ月間の訓練である程度言葉は話せるようになったものの、まだまだペラペラにはほど遠い。降り立ったのは人口16万人、モロッコの中都市・ベニメラルだ。ベニメラルはモロッコでは一、二を争う卓球が盛んな地域。とは言え日本とは何から何まで違う生活環境に戸惑った。「生活費と住居費はもらえるけど、家は自分で探す。なんでも自分でやらないといけなくて」。

右上:騎馬芸を競うファンタジア 左上:ベニメラルの町並み 右下:夜のベニメラル 右下:ベニメラルの美しい夕日 (写真提供:坂本卓也)

ここから坂本さんの「愕然とすることばかり」の船出が始まる。

赴任初日、坂本さんは早速ベニメラルにあるモロッコの青年スポーツ省が管轄する40人程度のクラブチーム『ラジャ・ベニメラル』を訪れた。意気揚々と門を叩く坂本さんに待っていたのは劣悪な環境だった。「コーチ以前の問題でした。床がコンクリートやし、土足のまま入ってくるから砂だらけやし。台もガタガタの状態。トイレもめっちゃ汚いしね」。そもそも日本人が想像する卓球ができる環境では到底なかった。

さらにクラブに通う生徒たちはやんちゃ揃いだ。いくら“コーチ”と言ってもアフリカの町に突如訪れたアジア人の言うことに従うわけがない。子どもたちに「まず掃除や」と覚えたてのフランス語で伝えたものの言うことを聞くはずもなかった。

「ならば卓球で見せつけるしかない」。そう考えた坂本さんは次々と卓球勝負を挑んでくる中高生に真正面から受けて立った。かつて日本で全国大会にも出場した男がそう簡単に負けるわけがない。「そしたら今度は大学生や大人を呼んでくるんですよ。それも元モロッコチャンピオンって人ばかり。何人チャンピオンおるんやって思いましたけど(笑)」。今度は大人相手に真剣勝負だ。「ここで負けたらあかんな。負けたら言うこと聞けへんな」。そんな思いで、モロッコ人相手に容赦なく勝ち続けた。

ベニメラルに赴任した当時の坂本さん

驚異的なアフリカ人の卓球のポテンシャル

すると2週間後、こんな評判がベニメラルの町で起きる。「強い“中国人”がやってきた」。そこで改めて「一緒に掃除しようや」と声をかけた所、子供たちの態度が一変。言うことを聞けば練習してくれることが分かったようで、掃除にも積極的に応じてくれた。「“日本人や”とは言い続けましたけどね」

ようやく「コーチ」として活動を始めたものの、「道具がなかったんです。そもそもラケットもボールすら満足にない。日本で調達した中古のラバーを少しずつ与えましたね。ラバーの切れ端だけを継ぎ接ぎで貼って一本のラケットにしたこともある」と当時の苦労を振り返る。足りないのはそれだけではなかった。練習をしようにも多球練習に必要な防球ネットも無ければ球を拾うためのボールすくいもない。同僚のモロッコ人コーチと共に防球ネットを鉄パイプで自作し、ボールすくいは洗濯物のハンガーを曲げて水切りの棒に取り付けてなんとか工面した。

用具が足りず、手作りした防球ネットとボール拾い。少し割れただけのボールを集めて、多球練習 (写真提供:坂本卓也)

こうして少しずつ信頼を勝ち取った坂本さん。獲得したのはそれだけではなかった。1年目の活動の中で、アフリカ選手権やアラブ選手権などの国際大会においてコーチだけでなく外国人枠の選手として出場することができたことから、アフリカ人全体のポテンシャルの高さに気づいた。「台上はめちゃ下手なんです。でも“バネ”が違うんですよ。『抜けるやろ』と思った打球にもすんごいスピードで飛び付く。慌ててブロックしたら、すんごいスピードでまたフォアで回り込んでとんでもないドライブを打ってくる。10年くらいちゃんと指導したら日本・中国勢にもラリーで打ち負けないレベルにまで行くと思うんです」という。

卓球場での指導風景 (写真提供:坂本卓也)

13歳の選手に目をつける

10年あればきっと“ものになる”。だが、坂本さんのモロッコでの滞在期間は2年(実際には延長の要請があり、2年10カ月)。限られた任期で結果を残さなければならない。坂本さんは一人の男の子に目をつける。それがザカリア・メルサード選手、当時13歳のあどけない少年だった。

「体の線は細いけど芯がしっかりしてる」。彼に目星をつけて特別メニューを組んでみっちり鍛えていった。

左:まだあどけなさの残るザカリア選手 右上:ザカリア選手をリーダーにしたストレッチの様子 右下:あっという間に大きくなったザカリア選手、坂本さんによるコーチング風景 (写真提供:坂本卓也)

成果は徐々に出始める。同年代としては国内大会で何度も優勝し、アルジェリアやチュニジアでの国際大会へも出場した。ついには2013年の世界卓球パリ大会にモロッコ代表として派遣されるまでになった。「パリでは頑張ったけど、負けちゃった。モロッコってシェークのドライブマンしかいないんですよ。だからカットマンとか色んな戦型の選手と当たるとダメで。でも相当強くできた。日本のインターハイに出ても通用するレベルです」と自負する。

2013年世界卓球選手権パリ大会での様子 (写真提供:坂本卓也)

そんな坂本さんに指導者としてではなく、プレーヤーとしても脚光を浴びる機会が訪れる。なんとモロッコの国営放送、それもゴールデンタイムで放映されたのだ。

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