【3日連続・後編】「モロッコの水谷」との激闘!舞台は国営放送ゴールデン


青年海外協力隊に参加し、モロッコに渡った坂本卓也さん。まったく信頼がない状態から徐々に町に溶け込んでいった。モロッコの代表チームの外国人枠として国際大会に出場するまでになる中で「忘れられない1試合」があった。国営放送で放映までされたという1試合、坂本さんは何を掴んだのか。(取材・文:武田鼎/ラリーズ編集部)

ナショナルチームの様子右上が坂本さん (写真提供:坂本卓也)

モロッコの水谷との激闘

坂本さんが「特に印象に残っている1試合」、それが全モロッコ選手権での決勝戦。それもベニメラルの町を代表して出場した団体戦だ。坂本さんはモロッコ卓球連盟に登録していたため日本人ながら団体戦に出場することができ、青年海外協力隊の活動を知ってもらうよいチャンスだと捉えて出場要請を快諾したという。その大会で決勝まで勝ち進んだのだ。

都市対抗で行われた卓球選手権、ベニメラル対メクネスで迎えた決勝戦が行われた。坂本さんが迎えたのは当時のモロッコチャンピオン、ラフェック・アギーダ。世界ランキングは500位ほどで、当時のモロッコでは10年近くナンバーワンの称号をほしいままにしてきた名プレーヤーだ。いわば「モロッコの水谷」と言ってもいいかもしれない。

ベニメラルのクラブのメンバーとの1枚。右端が坂本さん(写真提供:坂本卓也

その注目度はモロッコ国内では屈指だった。「国営放送、それもゴールデンタイムで中継されるって聞いて。モロッコって国営放送をみんな見てるんですよ。だから町のカフェでも流される。日本人としてこれは負けられへんな」と。町を代表して臨んだ大一番、団体戦のトップで坂本さんはモロッコ10連覇中のラフェックを打ち破る。

モロッコでの国内放送の様子 (写真提供:坂本卓也)

「ちょっと失礼ですけど、日本代表ってこんな気持なんかな、って思いました。それにベニメラルを代表してるっていうプレッシャーもありましたね」と言う。

勝利から一夜明けた次の日、町は大賑わいだった。チームとしては負けたものの、不動のチャンピオンからの勝利に「みんな『握手してくれ』って歩み寄ってくるんです。『タクヤようやった!』って。本当に町に溶け込んだなって思えました」。坂本さんの活躍は新聞やテレビでもよく取り上げられていたが、この日ばかりは特別。普段なら練習場から自宅まで20分の道のりを、知らない人に何度も何度も呼び止められて、帰るのに2時間かかったそうだ。名前も知られていなければそもそも日本人とも思われていない状況から2年間、坂本さんは町のヒーローとなった。

全国紙や地方紙に掲載された (写真提供:坂本卓也)

日本へ帰国、東北・女川へ

モロッコを離れて4年間が過ぎた。今もベニメラルの人々とは交流はあるのだろうか。「子供たちがたくさんの大会で勝ったことでベニメラルの功績が認められ、国から補助金が下りたって聞きました。それも1億円も!そこでベニメラルに新しい卓球場ができたんです。昨年末に見に行ったらホンマに建ってて。台が9台置ける専門の卓球場ができてたんです。それも、入口には日本とモロッコの国旗を立ててくれるって。もしかしたら僕のおかげで“少しだけ”変わったのかもしれない。そうだとしたらこんなに嬉しいことはないですよね」とはにかむ。

新しくできた卓球場で。同僚だったソアフ・アブドゥラガーニさん(左)(写真提供:坂本卓也)

坂本さんが目をつけたザカリア選手はその後どうなったのか。「思ってたほどは強くなってなかったですね(笑)。やっぱりちゃんとした指導者がおれへんし…」と語る。だが、2014年の世界卓球の東京大会にモロッコチームが訪れたことは坂本さんにとっては嬉しいことだった。「モロッコ人にとっては、日本に入国するビザを取ることさえ難しい。でも遠い日本まで来てくれた。彼らが来ると聞きつけ、自分もボランティアとして大会運営に参加しました。見つけた時には試合中やったのに、フェンス飛び越えて抱きついてきてくれたんです」と顔をほころばせる。

モロッコに滞在していた2年10カ月間の成果は日本でも注目を集め、その成果を天皇皇后両陛下に接見し報告するメンバーにも選ばれた。「天皇陛下に“ご苦労さまでした”と労っていただき、これまでの苦労が報われた気がしました」と目を細める。

赴任当初「バネがすごい」と驚かされたアフリカの卓球選手たちの底力。今後、世界を席巻する可能性はあるのか。「環境さえ改善されれば、確実にありますよ。現にナイジェリアのアルナもあれだけ活躍してるでしょ。ただ、そのためには自分たちみたいな草の根活動やったり、資金・用具面での継続的な支援が必要やと思います」と真摯に語る。

モロッコから帰ってきてからは東日本大震災の被災地での復興支援に注力する坂本さん。モロッコ滞在中に震災があり、何もできない自分との葛藤があったそうだ。現在は、記者・編集経験から女川町の広報マンとして丸4年、復興の最前線で撮影や情報発信、報道対応にあたっている。取材日はちょうど仙北地区の町職員による卓球親睦試合の開催日だ。「ちょうどこれから個人戦が始まります。広報マンとして女川町を宣伝するためにも頑張らんと(笑)」と意気込む坂本さん、個人戦では優勝を果たした。県大会でも2連覇中だとか。アフリカで鳴らした腕は健在だ。

町職員親睦の卓球大会での表彰式の様子。右が坂本さん

大阪から世界を旅し、行き着いた果てはモロッコ。そして今は東北被災地・女川へ。世界各地を転々としてきた坂本卓也の数奇な人生。そのターニングポイントにはどこかで卓球が結びついていた。次なる場所はどこか。坂本さんの旅は続く。

<了>

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