【卓球・黄鎮廷#1】香港のエース・黄鎮廷、世界最高のペンホルダーへの軌跡  | 卓球メディア|Rallys(ラリーズ)

卓球×インタビュー 【卓球・黄鎮廷#1】香港のエース・黄鎮廷、世界最高のペンホルダーへの軌跡 

2018.10.06

写真・取材・文:澤竹正英/呉靖惠(ラリーズ編集部)

10月24日に開幕が迫る卓球新リーグ・Tプレミアリーグ。

その歴史的な開幕戦の舞台に立つのは、張本智和、水谷隼らを擁する“エリート軍団”木下マイスター東京と、吉村真晴や岸川聖也、強豪海外3選手らを擁するT.T彩たまだ。

今回、ラリーズではその開幕戦の立役者となるT.T彩たまの“強豪海外3選手”のうちの一人、黄鎮廷を独自にインタビューした。

黄鎮廷ーー。その名が卓球界で轟くようになったのは最近のことだ。黄は現在世界ランキング9位(2018年9月現在)で2016年ワールドカップシングルス3位や2017年世界選手権ミックスダブルス銅メダルなど華々しい実績を残す。いわば「香港の水谷隼」と言っていい実力者だ。ただ、23歳の2014年プロツアーグランドファイナルのダブルスで3位入賞を果たすまで、ほとんど無名選手に等しかった。

いまや 卓球界から熱視線を注がれる「遅咲きのトップランカー」はどのようなキャリアを歩み、大輪の花を咲かせるに至ったのか。その軌跡を紐解く。

>>日本人キラーを探せ!Tリーグ参戦海外選手の対日本人成績まとめ

卓球を本格的に始めたのは9歳。遅かったスタート。

卓球天才少女と言われた福原愛が卓球を始めたのが3歳、現在日本を牽引するエース・石川佳純が7歳、平野美宇が3歳、伊藤美誠が2歳、水谷隼は5歳に本格的にラケットを握ったという。日本の卓球選手の多くが幼少期から本格的に卓球に打ち込んでいた。

一方、黄の幼少期は対照的だ。「卓球を本格的に始めたのは9歳でした」と振り返る。卓球台を初めて目にしたのは、3歳のときのこと。生まれ育った香港の家の前に置かれていたコンクリートの卓球台が1台置いてあり、家族や友達と遊び半分でラリーを始めたのがきっかけだ。

「香港では勉強も頑張らないといけない。幼少期から鬼コーチに指導されて卓球に打ち込む、なんていうことは少ないかもしれません。その点は日本とは違うのかもしれないね」と語る。

「勉強もスポーツもなんでも挑戦したい」そんな黄少年の興味は卓球にとどまらなかった。「身体を動かすのが好きで、バスケやサッカー、陸上、アーチェリー、なんでもやりました。その中でも卓球がどんどん好きになってのめり込んでいきました」と振り返る。

黄少年は9歳の時に、小学校の卓球チームに入り、本格的に卓球の練習を始める。最初に握ったのはいまや”絶滅危惧種”であるペンハンドだ。「先生に教えてもらった時に、その人が日本式のペン(編集部注:フォア面のみにラバーを貼るペンハンド。古くから日本では愛用するプレーヤーが多い)だったんです。なので最初から両面にラバーを貼っていたわけでなかったです」。練習とはいえ、当時は小学生の「エンジョイピンポン」程度でプロになるつもりは毛頭なかった。

その後、コーチをしていた小学校の先生に推薦され、11歳で「青苗」(正式名称は青苗乒乓球培訓計劃)という香港卓球連盟の若手育成プランに参加することになる。「青苗」は香港卓球協会の育成プランで、7歳から14歳までのジュニア選手がしのぎを削っていた。

精鋭たちが集う「青苗」で黄は現在のスタイルに行き着く。フォア面のみにラバーを貼る日本式のペンから、バック面にもラバーを貼る中国式ペンに変更したのだ。「やはり日本式ペンの弱点であるバックハンドを補うためでした。フォアで打った後に、バックで効率よくリカバリーができるからです」

その後、12歳で、香港卓球協会の育成プラン「精英隊」に入り、エリート選手が集まる環境の中で練習の質はさらに向上する。精英隊に入るためには年に2回ある選抜をくぐり抜ける必要があり、黄鎮廷は「青苗」でのチーム内ランキングを地道に上げ、なんとか選出された。

「香港を代表する選手になる」 無名選手、黄の覚悟

最初は遊びのつもりだったが、気づけば「勝負の世界」に足を踏み入れていた。周囲のレベルも上がるにつれ「いつか自分も国際大会のメダルが欲しい」と強く思うようになっていた。一般の中学に通い勉強しながら、放課後は本気で練習に打ち込んだ。練習は過酷だったが、勝つ喜びは何にも変えがたかった。

「試合に勝って、自分を応援してくれる人たちの盛り上がりを目の当たりにすると自分自身もすごく嬉しかったし、この興奮を何度も味わいたい。そう思い始めていました」

こうして、16歳で香港ジュニアナショナルチームに選出された。至極順当にキャリアを積み重ねているように思える。しかし黄は2008年のITTFジュニアサーキット・タヒチオープンでは予選で韓国の金東賢(現世界ランキング68位、現在23歳)に敗北し、その後なんとか決勝トーナメントに進むも初戦で敗退。なかなか結果はついてこなかった。

国際大会のメダルを見据えた時に、彼の実力や実績は同世代のトップ層にはまだ遠く及ばなかった。黄と同世代、世界最強のペンホルダー・中国の許シンは17歳で中国ナショナルチーム1軍に入り、19歳にして世界選手権横浜大会ダブルスで銀メダルを獲得していたのだ。

大きな実績の残せぬまま、節目の年を迎えた。大学に行くのか、プロになるか、2つの選択肢が待ち受けていた。ただ、黄の腹は決まっていた。

「香港を代表する選手になりたい。オリンピックに出たい。その思いの方が強かった」

当時の世界ランキングは900位台。黄の見据える「頂上」にははるか遠い。それでも、卓球に集中できる道を選んだ。2009年、18歳のことだった。

>>【卓球・黄鎮廷#2】黄を変えた、人生の師の“容赦ない一言”