追悼・吉田安夫さん、教え子が"全力スマッシュ"でお別れ会 卓球インハイ優勝26回の名将 | 卓球メディア|Rallys(ラリーズ)

写真:吉田安夫さんお別れ会/撮影:ラリーズ編集部

卓球ニュース 追悼・吉田安夫さん、教え子が“全力スマッシュ”でお別れ会 卓球インハイ優勝26回の名将

2019.12.22

文:ラリーズ編集部

卓球界の名将吉田安夫氏を偲び、「お別れの会」が12月22日に開催された。

吉田氏といえば水谷隼や丹羽孝希といった名プレーヤーを育てあげた実績を持つ卓球界の重鎮だ。今年7月に亡くなったことを受け、22日の「お別れの会」には約170名の選手や指導者が集った。

吉田氏は熊谷商業高校、埼玉工業大学深谷高校、青森山田高校での卓球部監督、青森山田学園卓球部総監督などを歴任し、インターハイの学校対抗では監督として計26回の優勝を果たす偉業を残している。

埼玉県大宮市で行われた「お別れの会」では教え子の現役Tリーガーや実業団選手、指導者たちも参列。献花ならぬ献球では、参列者がラケットを握り、スマッシュ、カット、バックハンドと思い思いの全力スイングで吉田氏への感謝を伝える一幕もあった。

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写真:倉嶋洋介ナショナルチーム男子監督/撮影:ラリーズ編集部

会場にはTリーグチェアマンの松下浩二氏やナショナルチーム男子監督の倉嶋洋介氏など往年の名選手たちが一同に会し、吉田氏が卓球界に残した業績の大きさを感じさせるものだった。倉嶋氏は「ほぼ吉田先生の教えが前提にある。吉田先生から教わった大事なものを胸にしまって、日々戦っています」とコメント。


写真:松平賢二(協和キリン)/撮影:ラリーズ編集部

お別れの会の発起人の一人で協和キリンでプレーする松平賢二は「僕は中3から大学4年まで7年半もお世話になりました。吉田先生に拾ってもらえて人生が変わった。(夜に居残り練習をしているときに)『練習するな』と言われたのが一番の思い出。それまではやみくもに練習していたのが、コンディションを考えたり、試合前にあえて休むことの重要さを気づかせてもらえた。全日本の上位を青森山田勢で固めると吉田先生は嬉しそうだった。またこのタイミングで青森山田卒業生でベスト4独占を成し遂げたい」と亡き恩師に来年1月の全日本選手権での活躍を誓った。


写真:松平健太(T.T彩たま)/撮影:ラリーズ編集部

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他にもお別れ会の司会を務めた矢島淑雄氏(中央大学女子監督、トップ名古屋コーチ)が「日本一を経験できたのも先生の指導のおかげ。卓球だけでなく、人としての生き方を指導いただいた。手抜きに対してとにかく厳しかった。トイレや練習場の掃除を少しでもサボると、練習が中止になってやり直ししたりというのも今となってはいい思い出です。全国優勝した後もあえて褒めずに次に向かうところも印象的。(現役で)やっている時は休みも無くてキツかったが、人間対人間のコミュニケーションはしっかり取っていただいた」と振り返ると、2度の全日本選手権シングルス優勝を誇る吉田海偉(東京アート)は「(帰化する際に)吉田先生の名前をいただいた。先生は自分の親よりも感謝している存在。後輩たちの前で『海偉の練習はすごい』と褒めていただいた時が本当に嬉しかった」と、厳しくもときに温かい吉田氏の指導を懐かしんだ。

また、東京五輪男子シングルスでの代表権を獲得している丹羽孝希は、仙台で行われたジャパントップ12決勝戦後に「中学高校の6年間指導していただいて、すごく自分の実力が上がった。(青森山田高校在学中に)ロンドン五輪にも出れましたし、すべて吉田先生のおかげなので感謝しています。(卒業後は)なかなか会う機会がなくて、直接指導してもらえなくて寂しい思いもある。とにかく吉田先生は厳しかった。練習場にいるだけで雰囲気が変わってみんな真面目に卓球に取り組めた」と恩師への思いをコメントした。

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写真:弔辞を述べた日本卓球協会名誉副会長の木村興治氏/撮影:ラリーズ編集部

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写真:吉田安夫さんお別れ会/撮影:ラリーズ編集部

吉田氏は熊谷商業高校で9回、埼工大深谷高校で3回のインターハイ優勝を果たした後、青森山田高校では8連覇を含む14度制覇。平成9年のインターハイでは青森山田高校でレギュラーが全員1年生(宋(現・吉田)海偉、田勢邦史、三田村宗明、加藤雅也)での劇的な優勝を果たしたほか、水谷隼(木下グループ)、丹羽孝希(スヴェンソン)の五輪メダリストを輩出した。