少しでも卓球に触れたことのある人間なら、誰でも知っているバタフライ。
知っている人は知っている、バタフライブランドを創った会社、株式会社タマス。
そして意外に知られていない、そのバタフライが続ける、世界選手権の協賛。
写真:当たり前のことを劇的に言ってみる/作成:ラリーズ編集部
卓球用具マーケットの大半を占めるラバー・ラケット分野において、メイドインジャパンの品質と性能で、世界で圧倒的なシェアを持つバタフライ。
2019年世界選手権ブダペスト大会でのバタフライ調査では、出場全選手のうちバタフライラケット使用率56.6%、ラバー使用率53.2%という驚異的なデータが残っている。
世界に5社くらいしかないならわかるが(それでも多いのだが)、ラバーだけでも100を優に超える数のメーカーが国際卓球連盟(ITTF)の許諾を受けており、そのうちの56%シェアだ。
そのバタフライが、決して主力商品ではないボールと卓球台の提供が中心のはずの世界選手権協賛を続けているのは、なぜなのだろう。
そもそも、世界選手権の協賛って、いったい何をしているのだろう。
タマスの大澤卓子社長と、社内の世界選手権プロジェクトメンバーとして業務を担う布川真美さんに話を聞くと、そこには華やかな表舞台にも負けず劣らずの汗と涙のエピソードがあり、普段明かさない舞台裏の秘話に花が咲き、蝶が舞った。
写真:株式会社タマス代表取締役社長 大澤卓子氏/撮影:卓球レポート/バタフライ
このページの目次
痛い思い出、初めてのプラスチックボール
――世界選手権の協賛って何をしているのでしょう。あんまり知られてない気がします。
大澤卓子社長(以下大澤):そうなんです。ありがとうございます、取り上げていただいて(笑)。2009年の横浜大会に公式用具スポンサーとしてITTFと契約してから、数回を除いて毎大会、ボールをご提供するボールパートナーか、卓球台のテーブルパートナーかを務めています。
2009年の横浜大会でバタフライのボールが初めて世界選手権使用球となりました。まもなく開催されるヒューストン大会もボールパートナーですね。
写真:世界選手権2013パリ大会の審判台に飾られたバタフライボール/提供:卓球レポート/バタフライ
――ボールとテーブルの協賛があるんですね。ボールはどれくらい必要なんでしょう。
大澤:ヒューストン大会では、7,000球以上送りました。マルチボールシステム※になってからさらに増えましたね。※試合進行の迅速化のために複数のボールを使って試合進行するルール
写真:今回使用されるバタフライ スリースターボールR40+/提供:卓球レポート/バタフライ
――先日ITTFのスティーブ・デイントンCEOにインタビューしたとき“今はバタフライのボールに全く不満が出ないから会場でもほとんど選ぶ必要がない、2015年当時は不満が出た記憶があるけど”って言っていました。
大澤:あの2015年蘇州大会は、セルロイドからプラスチックボールに変わりたてほやほやの時期で、正直に言えば“もうちょっと準備期間が欲しい”というのが私たちの本音でした、愚痴になっちゃいますけど(笑)。※2014年7月1日から卓球のボールはセルロイド製からプラスチック製に変わった
とにかくプラスチックボールでやるんだっていうITTFの方針だったので、やるしかないってとにかく準備して、一個ずつはできるんですけど、すべてを一定の品質で保つ技術がまだ追いついていなかったんですね。量産して一定のクオリティに保つというのは、結構大変なことなんです。
――割れる、とかじゃなくて、1個ずつのボールが一定じゃないという不満だったんですね。
大澤:ええ。試合が始まる直前で選手の皆さんからお話を頂いたもので、慌てて。
――でも、そのタイミングで手の打ちようがあるんですか?
大澤:私はまだ中国への出発前で東京にいたので、すぐに研究所にあるボールを全てパッケージを開けて調べさせました。すると、もちろん全てクオリティは保っているものの、レンジ(基準値)の中で、例えば反発がちょっとだけ高かったり低かったりという、いくつかのグループに分かれる傾向が分析で分かりました。これらが混ざってしまうと、どうしても選手によって好みが分かれます。とにかく同じグループのものをパッケージを開けては集め、何度も現地に送りました。
写真:2015蘇州大会で戦う水谷隼と鄭栄植/提供:ittfworld
――開幕直前の舞台裏ですね…。
大澤:やっぱりそれは、私の中では痛い思い出なので、その直後から供給会社さんと原因を突き止める議論をたくさんして、改良しなければならないポイントを掴んでいきました。策を打たないことには、バラツキは解消できません。でも急に良くなったわけではなくて、徐々にです。
――いまや、会場で選ぶ必要がないくらいだと、スティーブが言うほどに。
大澤:それまでに検査もたくさんしていますからね。大元の供給元で制御する方法を考え出したことと、転がし検査を供給会社さんで4、5回、その後弊社でも転がし検査をした上で、さらに外観選別でセレクトしています。
やっぱり、世界選手権で使われるボールですから。おかげさまで今は自信を持ってご提供できるボールになっています。
――タマスらしい品質向上へのこだわりでしょうか。
大澤:もちろん、市場の皆さまからどういう評価を頂くかということもセットで確認しないといけません。ひたすらそれを繰り返していくうちに、気づいたら最近ボールの品質のことを考えなくて良くなっていたという、そういう感じです(笑)。
写真:ヒューストン大会で使用されるバタフライ スリースターボールR40+/提供:卓球レポート/バタフライ
現地から疲労困憊の写真「大澤さん、大変なことになっています」
――テーブルパートナーで苦労したエピソードはありますか。
大澤:これはですね、実はボールより大変です(笑)。2016年クアラルンプール大会が特に印象深いですが、弊社で世界選手権を担当している布川が現地で体験しています。
写真:タマス世界選手権プロジェクトメンバーの布川真美さん/撮影:卓球レポート/バタフライ
布川:まず、台の水平が取れませんでした。
――え。
大澤:私も先発で入ってくれた現地からの報告に驚いて。“なんで水平とれないの、足に調節つけたでしょう”って言ったら“会場の床が水平じゃないんです”って。うん、どうしようかなと。
写真:大澤さん「床が水平じゃないのか…と」/撮影:卓球レポート/バタフライ
布川:ショーコートが置いてあるメイン会場はコンクリートの上にベニヤを敷いていたので大丈夫だったんですが、サブ会場が野原にテントを立てるような会場だったんです。10日前くらいに現地入りしたんですが、そもそも会場ができてなくて。
写真:クアラルンプール大会で対戦するシュラガー(奥)とクレアンガ(手前)/提供:卓球レポート/バタフライ
大澤:現地から疲労困憊の写真と共に“大澤さん、まだ会場がありません”って言われて、とりあえず“わかった”って答えましたが、いや全然分からない(笑)。
布川:まず、本当に大会が始まるのかなって思ってましたから。そろそろ選手が来てしまうのに、まだ卓球台が設置できていなくって。
写真:白熱の舞台裏に思わず身を乗り出す槌谷/撮影:卓球レポート/バタフライ
――結局どうしたんですか
布川:協力会社さんのプロの方のノウハウを最大限駆使して、でも床を水平にすることはできないので、台を一台ずつ微調整して水平をとっていきました。熱帯気候のマレーシアでエアコンも無いなかで、歪んでいる床にベニヤを一枚ずつ敷いて、そこで1台ずつ卓球台の平衡をとっていく作業でした。
大澤:夜中まで作業していたでしょう、あのとき。本当につらそうだった。
布川:大会期間中も、スコールがあると雨漏りしたので、ビニールを全ての卓球台にかけたりしていましたね。
写真:クアラルンプール大会で使われたショーコート「トラスピード」/提供:卓球レポート/バタフライ<
協賛というよりも“運営”
――協賛という言葉のイメージより、ずいぶん多くのことを御社が担当するんですね。
大澤:そうですね。ITTFから他のスポンサーの方々のロゴと設計図を頂いてから、私たちの下準備がたくさんあって。ロゴが正しく指示通りに入っているか、数はこれで合っているか、何度も確認しつつ製作して現地に送り、前乗りしてくれているスタッフがさらに確認をして。私たちもそうですけど、他のスポンサーのみなさんも自社の宣伝や認知を期待してスポンサーをしているところもあるので、間違いのないように。
フェンス、ショーコート、あ、でもいちばん大変なのは審判台かもしれません。特に電光掲示板に不具合がないように、作って頂いたエンジニアにも現地入りして設置してもらいます。
写真:繊細な電光掲示板/提供:卓球レポート/バタフライ
――東京五輪でも何度か動かなくなるハプニングがありましたね。
大澤:結構繊細な機材なんです。あとは審判台の椅子は足の長い特注のものなので、卓球台が70台あったなら70脚分。
――そういうものまで御社が準備するんですか
大澤:ITTFから依頼されていますから、椅子も用意してくださいって(笑)。
写真:足の長い審判台の椅子/提供:卓球レポート/バタフライ
――世界選手権会場で目に入るものほとんどを御社が準備しているくらいの感じですね…
大澤:世界選手権が終わったら、次の世界選手権のスタートを切らないと準備が間に合わないんです。特に卓球台を製作する場合は、一年半前くらいからデザインを起こすところからなので、途中でどっちの世界選手権用ですかね、みたいになることもあります(笑)。
しかも、世界選手権担当と言っても、そのための部門は会社になくて、みんな他の業務も担っています。布川で言えば、海外販売部門を切り盛りしながら、世界選手権の準備をしています。
こんな裏話をするのは、初めてかもしれません(笑)
写真:大澤卓子さん/撮影:卓球レポート/バタフライ
それでも、世界選手権の協賛を続ける理由
――あの、なぜ、そんな思いをしてまで協賛を続けるんですか
大澤:やっぱり、卓球人にとって世界選手権は特別なんです。本当の意味での世界一を決める大会ということに加えて、開催地の卓球を愛する人たちの思いが込められていて。
――というと。
大澤:クアラルンプール大会はいろんな意味で印象に残っていますが、でもそれは、世界選手権の開催にまだ慣れていない国の卓球協会の皆さんが、この地に卓球を普及させたいと思って、大会招致に自ら立候補し、頑張ってくれた証でもあります。
写真:苦労したと語るクアラルンプール大会の記念モニュメントが大切に応接室に飾られていた/撮影:卓球レポート/バタフライ
五輪と違い、世界選手権はそれぞれの国の卓球協会が“ここで世界一を決める卓球の大会を開きたい”と、手を挙げてから始まります。卓球に携わる人たちのその心意気はやっぱり感じます。今回の史上初のアメリカ開催となるヒューストン大会も、なんとかアメリカで開きたいっていう、その地域で卓球に携わり、支えてきた方々の思いからですよね。
世界選手権には、この地に卓球を広げたいという、卓球を愛する人たちの思いが込められていると思います。
写真:世界選手権2013パリ大会で盛り上がる観客/提供:卓球レポート/バタフライ
――なるほど…。確かに、その地域で卓球に携わる人たちが自ら手を挙げて招致する、というのは五輪との違いですね。
大澤:それに加えて、私たちサプライヤーとしては、世界一を決める大会において最高のクオリティのものを出さなければいけない。そこにご提供するために、常日頃の品質や製品に対する向き合い方が問われます。大事な世界選手権で私たちの製品をご活用頂くことは、私たち自身のレベルアップにも繋がっています。
――でも、テーブルパートナーの大会に、販売するわけでもない台まで作るのはなぜなんですか
大澤:確かに1台あたりのコストはそこそこするんですが(笑)。あのショーコートは直接弊社の売上に繋がるものではないんですけど、でも、卓球がメディアに取り上げて頂くときに、やっぱり少しでも明るく華やかなスポーツに見せたいという思いがあるのです。
写真:クアラルンプール大会で使われたショーコート「トラスピード」/提供:卓球レポート/バタフライ
――ざっくり、世界選手権の協賛って、いくらくらいなんですか
大澤:さすがに言えません(笑)。でも契約金のお支払いをし、製品もご提供し、社員も派遣してなので、そういう意味でも、企業としての負担が決して小さいわけではなく、大きな投資です。
契約金額は蝶のようにかわされた
祭りのあと
――ああ協賛して良かったなと思う瞬間は。
大澤:それは私なんかより、いつも現地に先に入る布川たちのほうが思い入れが強いと思います。
布川:最終試合と表彰式が終わり、これで無事に大会が閉幕したっていうときです。世界選手権の協賛は、弊社の東京本社だけの力で運営できるものじゃないので、海外の子会社や代理店の方と“ああ、無事終わって良かったね”って言い合うときが、今回も現地でサポートができて良かったなあって思います。
あんなに苦労しても、終わった後は寂しさも感じます(笑)。
写真:タマス世界選手権プロジェクトメンバーの布川真美さん/撮影:卓球レポート/バタフライ
――祭りのあとの心境ですね
大澤:わかる気がします。選手の方はもちろん人生を懸けてその大会に臨んでいらっしゃるんですが、大会関係者や観客を含めてその場所は、世界中からトップ選手が一同に集う大きなイベントで、お祭りのようなものです。さっきまで、あれだけ賑やかに皆が卓球を観て盛り上がっていた場所が、撤収された後には何もなくなり、次は卓球ではない別の何かが行われる。
2019年のブダペスト大会だったでしょうか、私も会場に響く最後の片付けの音を聞きながら、すごく寂しくなったことを覚えてます。
写真:引き込まれる話ばかりだったインタビュー/撮影:卓球レポート/バタフライ
いよいよ、史上初アメリカ開催の世界選手権開幕
――そしていよいよ史上初、アメリカ開催の世界選手権ヒューストン大会が開幕しますね。
大澤:楽しみですよね。初めて世界選手権を開催するアメリカ卓球協会さんなので、今回ボールパートナーの弊社としては楽しんでばかりは居られないんですが(笑)。でもアメリカで卓球を愛する人たちの“この地に卓球を普及させたい”という思いを感じますよね。
――アメリカ男子卓球期待の若手、カナック・ジャアもバタフライ契約選手ですね。
大澤:そうですね。ブダペスト大会では、男子シングルス2回戦で馬龍からも1ゲーム取りましたからね。
写真:アメリカ卓球、期待の新星カナック・ジャー(アメリカ)/提供:ittfworld
――東京五輪では、多数の国の代表ユニフォームにもバタフライマークを見ました。
大澤:今回、あれだけ参加する国が増えると私も実感しました。
国際卓球連盟は加盟する国と地域が226と、国際競技連盟の中で加盟協会数が最も多いスポーツ連盟です。でも、地域によっては用具を調達することもままならなかったり、良い用具を手にすることに苦労しているのが現実です。あまり強くはない、メジャーではないかもしれない協会さんから用具支援などをお願いされたときに、なるべく前向きに検討するというのが弊社の考えです。
個人的に記憶に残ったのは、東京五輪にシリアのヘンド・ザザ選手もバラフライのユニフォームで出場していて、厳しい環境下で卓球を続ける選手がバタフライウェアで試合をしてくれている姿を見て、思うところがありました。※東京五輪で12歳で史上最年少五輪出場選手として話題に
写真:12歳で史上最年少東京五輪出場選手として話題となったヘンド・ザザ(シリア):提供:ittfworld
取材を終えて
苦労話さえ、社長も現場もどこか楽しそうに振り返るのは、世界選手権の舞台裏を支え続けてきた自負だろうか、それとも、選手を花に例え、自らを花に仕える蝶に例えるバタフライにとっては、見えない舞台裏の苦労こそブランドの精神が息づく場所なのだろうか。
後片付けをしながら、ふと「でも、なんでそんなに卓球を普及させたいんでしょうね」と尋ねてみた。
「やっぱり、本当に卓球が好きなんだと思います、みんな」大澤さんは言った。
「私、社会保険労務士として働いていた経験がありますけど、卓球業界の特徴はみんな、どの時代の人も一貫して、卓球が好きです。採算が合う合わないより前に、純粋に自分たちの好きな卓球の魅力を伝えたいんです。私たちの会社も卓球やってない人が入社してくると、みんながもう教えたがって(笑)」。
「うちは新年会と新年卓球大会を年始にやるんですが、みんな私にも忖度無しに遠慮なく負かしてくれますからね。サービスがとれなくて、もう1回出してくれるってお願いして、やっぱりポトって落として」悔しそうに笑う、ここにも一人の卓球好きがいる。
写真:大澤さん「みんな1ヶ月前くらいから練習を始めるんですよ、付け焼き刃で(笑)」/撮影:卓球レポート/バタフライ
「私はカリスマ性もないですし創業家でもないんですが、でも、この組織のみんなの力で、会社と卓球界を盛り上げていきたいと思っています」
多くの見えない力に支えられて、いよいよヒューストンでの世界選手権の幕が上がる。
写真:歴史の重みを感じるタマスのプレート/撮影:卓球レポート/バタフライ
(おわり)