"ラストの男"が極めた不屈の粘り 中高での後悔を糧に成長した法政大・原田哲多が挑む次の舞台 | 卓球メディア|Rallys(ラリーズ)

写真:原田哲多(法政大)/撮影:ラリーズ編集部

卓球×インタビュー “ラストの男”が極めた不屈の粘り 中高での後悔を糧に成長した法政大・原田哲多が挑む次の舞台

2026.04.10

この記事を書いた人
Rallys編集長。学生卓球を愛し、主にYouTubeでの企画を担当。京都大学卓球部OB。戦型:右シェーク裏裏

広島県出身の原田哲多。兄の影響で5歳からラケットを握り、島根の名門・出雲北陵では主将を務めた。

法政大学では1年生から主力として活躍し、1年次の全日学でいきなりベスト8に入賞。関東学生リーグでも「ラストの7番」という過酷なポジションでチームの勝利を支え続けてきた。

「派手な球は打てない。だからミスをしないことを極めた」と語る彼が、激戦の関東学生リーグで生き残り、実業団への切符を掴むまでの軌跡に迫る。

悔しさから始まった「週6日」の猛練習


写真:小学生の時に卓球を本格的に始める/撮影:ラリーズ編集部

――卓球との出会いから教えてください。
原田哲多:卓球を始めたのは5歳のときで、きっかけは兄の影響でした。当時、広島の自宅から歩いて5分ほどの場所に卓球場があって、そこへ通う兄を追うようにしてラケットを握りました。

最初は遊びの延長でしたが、気づいたときには生活の真ん中に卓球があるという状態でしたね。

――早い段階から「勝つこと」を意識していたのでしょうか?
原田:明確にスイッチが入ったのは、小学1年生のときです。初めてホカバ(全日本選手権バンビの部)の予選を通過して、全国大会に出場しました。

でも、本戦ではまったく勝てませんでした。それが子どもながらにものすごく悔しくて……。


写真:ホカバでの負けでスイッチが入る/撮影:ラリーズ編集部

原田:「次は絶対に勝ちたい」という一心で、小1の夏休みが終わった頃からは、もう目の色が変わっていましたね。

日曜日の休み以外、週6日は卓球場に行って練習していました。小学校低学年でしたが、一度も「きつい」とは思いませんでした。ただ卓球が楽しくて、勝つために練習するのが当たり前になっていました。

――中学からは島根の名門・出雲北陵へと進みました。なぜ出雲北陵を選んだんでしょうか?
原田:「県外の厳しい環境に身を置いて、自分を試したい」という思いが強かったんです。何校か見学に行かせていただいたなかで、一番ピンときたのが出雲北陵でした。

出雲北陵は練習環境はもちろんですが、何より先輩方の雰囲気が素晴らしくて。「ここなら成長できる」と感じて、進学を決めました。

――寮生活は、中学生にとっては大きな変化だったと思います。
原田:古瀬先生のご実家での共同生活は、確かに大きな転換点でした。規律は非常に厳しかったです。時間厳守で、生活面での緩みは一切許されない。

でも、僕は意外とすんなり適応できたんです。「親に心配をかけたくない」「周囲に迷惑をかけたくない」という気持ちが強かったので、寮長の方々の厳しい指導も感謝して受け止められました。自分は元々、他の人より少し落ち着いたメンタリティを持っていたのかもしれません(笑)。

――中学・高校時代の部活動を振り返って、一番の思い出は何でしょうか?
原田:中1のときの全中団体準優勝ですね。僕は入ったばかりで、ダブルスで出させていただいたんですが、正直ほとんど戦力にはなれていませんでした。

でも、目の前で先輩たちが強豪校を次々と撃破していく姿を見て、震えるほど感動したんです。「自分もいつか、こんなふうにチームを勝たせられる選手になりたい」と、心から思いました。

――その後、ご自身の代になりますが、出雲北陵では珍しく同学年が1人という状況だったそうですね。
原田:そうなんです。中高を通して僕の代は自分1人きりでした。当然キャプテンも務めることになりましたが、この時期が一番苦しかったです。


写真:出雲北陵時代の原田/撮影:ラリーズ編集部

原田:自分なりに行動で示してチームを引っ張ろうとしたんですが、結局自分だけが先走ってしまっていました。

後輩たちがついてきているか、チームとしての一体感があるか、という一番大切な部分が見えていなかったんです。自分が全部責任を取らなきゃいけない、自分が点数を取らなきゃいけないと考えすぎて、周りを頼れませんでした。

中高6年間を総括すると、正直に言って「後悔と反省」が大きいです。キャプテンとして良い成績を残せなかった悔しさは今でも胸に残っています。ただ、その過酷な環境で培われた忍耐力だけは、誰にも負けない自信がつきました。

ノルウェーでの「共同生活」と「心の解放」


写真:法政大学に進学し、ノルウェーへ留学/撮影:ラリーズ編集部

――法政大学に進学し、1年生でノルウェーへ留学されていますね。これはどのような経緯だったんでしょうか?
原田:1年生の秋に同期の岩永(宗久)と一緒に2ヶ月ほど行かせてもらいました。

それまで海外に対しては少し怖いイメージがあったんですが、行ってみたらノルウェーの人たちは本当に優しくて。治安もいいですし、一気に海外への恐怖心がなくなりましたね。

――現地での生活はどうでしたか?
原田:8畳くらいの部屋に、岩永と2段ベッドで2ヶ月間ずっと一緒です(笑)。風呂もトイレも共有。あんなに濃密な時間を過ごせば、そりゃ喧嘩もしますよ。でも、そのおかげで絆はより深まりました。


写真:原田と同期の岩永宗久(法政大)/撮影:ラリーズ編集部

原田:僕一人だったら絶対に耐えられない環境でしたが、岩永がコミュニケーション能力を発揮して現地の人と交流してくれたので、すごく助けられました。

現地の子供たちに卓球を教えたり、隣国のスウェーデンへ遠征してレベルの高さに打ちのめされたり。自分は最後まで「身振り手振り」でしたが、あの2ヶ月間で得た経験は、その後の自分の価値観を大きく変えてくれました。

法政大での「自由」と、プレースタイルの覚醒


写真:法政大学に進学し、主体的に取り組む姿勢を身に付ける/撮影:ラリーズ編集部

――大学卓球の最高峰、関東学生リーグ。法政大学という環境はいかがでしたか?
原田:出雲北陵の厳格な環境とは対照的に、法政は練習時間も内容も、すべて自分次第で、本当に「自由」でした。

最初は少し解放感に浸って怠けてしまった部分もありましたが(笑)、リーグ戦に出させてもらうようになってから「これじゃダメだ」と思い、主体的に練習に取り組む姿勢が身につきました。

――大学時代にプレースタイルを大きく変えたと伺いました。
原田:高校まではどちらかというと攻めるスタイルを意識していましたが、大学1年の秋に自分の武器を見つめ直したんです。「強打は打てない。でも、我慢なら誰にも負けない」と割り切ってから、徹底してミスをしない、相手が嫌がるまで返し続けるプレースタイルに転換しました。

それが形になったのが、1年次の全日学でした。格上の選手を相手に「根比べ」で勝ち上がり、ベスト8に入れた。あのときに、自分の進むべき道がはっきりと見えました。

――法政では団体戦で7番を任されることが多かったですね。


写真:大学では1年生の頃から試合に出場した/撮影:ラリーズ編集部

原田:正直に言えば、5番、6番と試合が進むにつれて「回ってきてほしくない」とずっと思っていました(笑)。周りからは「落ち着いてるね」と言われますが、内心はバクバクです。

でも、僕は「ヒーローになりたい」と思ってコートに入るタイプではありません。「やるしかない」と開き直るタイプです。だからこそ、極限状態のラストというポジションが自分のプレースタイルに合っていたのかもしれません。

勝ってチームメイトの元へ戻るときの、あの「ほっとする感覚」は何回経験しても格別でした。

就職活動の苦悩を乗り越え、再びコートへ


写真:諦めかけるも、もう一度卓球に向き合う/撮影:ラリーズ編集部

――3年生のときは、進路についてかなり悩まれたそうですね。
原田:一番苦しい時期でした。卓球を続けるか、普通に就職するか。どっちつかずの中途半端な状態になってしまい、まったく結果が出なかったです。全日学の予選で落ちたときは、本当にどん底でした。

そこでもう一度、自分と向き合いました。やっぱり卓球が好きだし、続けたい。そのために、まずは一人の社会人として自立しようと決め、就職活動に本腰を入れました。

――就職活動ではどのような業界を見ていたんでしょうか?
原田:メーカーや広告など幅広く見ていましたが、最終的には環境にアプローチできる企業に惹かれました。

面接では中高6年間の寮生活やノルウェーでの経験をありのまま話しました。厳しい環境で培った「継続する力」や「適応力」を評価していただけたのは、本当に嬉しかったですね。

結果として、仕事もしながら日本リーグという高いレベルで卓球を続けられる環境を掴むことができました。一度は諦めかけた道でしたが、今は感謝の気持ちでいっぱいです。

未来への展望――恩返しのための6年間


写真:島根県の国スポまでは現役で/撮影:ラリーズ編集部

――いよいよ社会人、そして日本リーガーとしての生活が始まります。
原田:まずは仕事と卓球の両立を大前提として、毎日を必死に頑張りたいです。

僕が日本リーグの舞台で活躍することで、卓球を続けたくても続けられなかった人たちに「原田が続けてくれてよかった」と認めてもらえるような、そんな選手になりたいです。

――具体的なキャリアの目標はありますか?
原田:少なくともあと6、7年は現役でバリバリやりたいと思っています。そして、数年後に控えている島根県での国スポを一番の目標にしています。お世話になった島根の方々、古瀬先生に成長した姿を見せられるよう、そこまでは絶対に第一線で戦い続けます。

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