広島県出身の原田哲多。兄の影響で5歳からラケットを握り、島根の名門・出雲北陵では主将を務めた。
法政大学では1年生から主力として活躍し、1年次の全日学でいきなりベスト8に入賞。関東学生リーグでも「ラストの7番」という過酷なポジションでチームの勝利を支え続けてきた。
「派手な球は打てない。だからミスをしないことを極めた」と語る彼が、激戦の関東学生リーグで生き残り、実業団への切符を掴むまでの軌跡に迫る。
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悔しさから始まった「週6日」の猛練習
写真:小学生の時に卓球を本格的に始める/撮影:ラリーズ編集部
最初は遊びの延長でしたが、気づいたときには生活の真ん中に卓球があるという状態でしたね。
でも、本戦ではまったく勝てませんでした。それが子どもながらにものすごく悔しくて……。
写真:ホカバでの負けでスイッチが入る/撮影:ラリーズ編集部
日曜日の休み以外、週6日は卓球場に行って練習していました。小学校低学年でしたが、一度も「きつい」とは思いませんでした。ただ卓球が楽しくて、勝つために練習するのが当たり前になっていました。
出雲北陵は練習環境はもちろんですが、何より先輩方の雰囲気が素晴らしくて。「ここなら成長できる」と感じて、進学を決めました。
でも、僕は意外とすんなり適応できたんです。「親に心配をかけたくない」「周囲に迷惑をかけたくない」という気持ちが強かったので、寮長の方々の厳しい指導も感謝して受け止められました。自分は元々、他の人より少し落ち着いたメンタリティを持っていたのかもしれません(笑)。
でも、目の前で先輩たちが強豪校を次々と撃破していく姿を見て、震えるほど感動したんです。「自分もいつか、こんなふうにチームを勝たせられる選手になりたい」と、心から思いました。
写真:出雲北陵時代の原田/撮影:ラリーズ編集部
後輩たちがついてきているか、チームとしての一体感があるか、という一番大切な部分が見えていなかったんです。自分が全部責任を取らなきゃいけない、自分が点数を取らなきゃいけないと考えすぎて、周りを頼れませんでした。
中高6年間を総括すると、正直に言って「後悔と反省」が大きいです。キャプテンとして良い成績を残せなかった悔しさは今でも胸に残っています。ただ、その過酷な環境で培われた忍耐力だけは、誰にも負けない自信がつきました。
ノルウェーでの「共同生活」と「心の解放」
写真:法政大学に進学し、ノルウェーへ留学/撮影:ラリーズ編集部
それまで海外に対しては少し怖いイメージがあったんですが、行ってみたらノルウェーの人たちは本当に優しくて。治安もいいですし、一気に海外への恐怖心がなくなりましたね。
写真:原田と同期の岩永宗久(法政大)/撮影:ラリーズ編集部
現地の子供たちに卓球を教えたり、隣国のスウェーデンへ遠征してレベルの高さに打ちのめされたり。自分は最後まで「身振り手振り」でしたが、あの2ヶ月間で得た経験は、その後の自分の価値観を大きく変えてくれました。
法政大での「自由」と、プレースタイルの覚醒
写真:法政大学に進学し、主体的に取り組む姿勢を身に付ける/撮影:ラリーズ編集部
最初は少し解放感に浸って怠けてしまった部分もありましたが(笑)、リーグ戦に出させてもらうようになってから「これじゃダメだ」と思い、主体的に練習に取り組む姿勢が身につきました。
それが形になったのが、1年次の全日学でした。格上の選手を相手に「根比べ」で勝ち上がり、ベスト8に入れた。あのときに、自分の進むべき道がはっきりと見えました。
写真:大学では1年生の頃から試合に出場した/撮影:ラリーズ編集部
でも、僕は「ヒーローになりたい」と思ってコートに入るタイプではありません。「やるしかない」と開き直るタイプです。だからこそ、極限状態のラストというポジションが自分のプレースタイルに合っていたのかもしれません。
勝ってチームメイトの元へ戻るときの、あの「ほっとする感覚」は何回経験しても格別でした。
就職活動の苦悩を乗り越え、再びコートへ
写真:諦めかけるも、もう一度卓球に向き合う/撮影:ラリーズ編集部
そこでもう一度、自分と向き合いました。やっぱり卓球が好きだし、続けたい。そのために、まずは一人の社会人として自立しようと決め、就職活動に本腰を入れました。
面接では中高6年間の寮生活やノルウェーでの経験をありのまま話しました。厳しい環境で培った「継続する力」や「適応力」を評価していただけたのは、本当に嬉しかったですね。
結果として、仕事もしながら日本リーグという高いレベルで卓球を続けられる環境を掴むことができました。一度は諦めかけた道でしたが、今は感謝の気持ちでいっぱいです。
未来への展望――恩返しのための6年間
写真:島根県の国スポまでは現役で/撮影:ラリーズ編集部
僕が日本リーグの舞台で活躍することで、卓球を続けたくても続けられなかった人たちに「原田が続けてくれてよかった」と認めてもらえるような、そんな選手になりたいです。






